204◇心を侵す
既存の物質の構成を把握し、それらを分解、再構築することで目的の物質を組成する。
『土』属性の特性を語るなら、こうなる。
周囲の魔力を酸素に変え続けることも、分類上は『土』属性魔法になるわけだ。
『風』属性に可能なのは、既にある空気の利用。転用は出来ても変換は出来ないのだ。
有資格者とそれに次ぐ能力の持ち主が控える魔力防壁内で活動するには、次のどちらかが必要。
一、酸素を常に自身の周囲に作り続けながら、戦闘用の魔法も発動出来るような卓越した実力。
二、そもそも呼吸を必要としない個体。
リリスはそのどちらも持っている。
数百の魔法使い死兵と四体の『導き手』死徒は敵を大いに混乱させた。
敵は口々に言う。
「なんと惨い……ッ!」「こんなこと、許される筈が――」「冒涜だ!」「恥を知れ!」「悪神の狗に堕したか!」
「……うるさい」
音の伝わり方が通常と異なるらしく、まるで海の中を歩いているような気分だった。
多少マシだが、煩わしいことこの上ない。
そして、それは勢いを増した。
魔法による戦いが始まったのだ。
幸か不幸か、一帯は魔力だらけ。魔法の素には事欠かない。
リリスの人形が全力なのに対し、相手には迷いが感じられる。その間に敵の魔法使いが命を落としていく。
リリスの側に戦力を集中させれば、他方向で死兵達が装置を探す時間を与えることになってしまう。
かといって戦力を分散させれば、『導き手』四体と魔法使い数百体を一方向に集中させているリリスを防げない。
皮肉にも、敵の魔力防壁がこちらに利した状況を作り上げていた。
こちらは死体を導入すればいいが、敵は防壁内で活動出来る実力者が少ない。
ダルトラが来るまで保つ筈だったろう。
指揮官がリリスでなければ、だが。
「狼狽えるな! それこそが敵の狙いなのだ!」
敵の指揮官だ。
幼子のように見える。身長と同程度に伸びた波打つ毛髪の色は白で、双眼は赤い。
頭二つ分長い魔杖の周囲では宝石が浮遊し、杖の周囲を公転している。
アークスバオナの資料に名があった。確か彼女の名は――オズ。
「既に同胞の魂は地上に無い! 最早此処に遺されたのは精神の伴わぬ人形に過ぎぬ! 真に同胞を思うのなら! 防衛戦を死守するのだ! 敵の魔手より、生きた同胞を救えッ!」
及第点だ、とリリスは思う。
彼女の言う通り。
自分ではそう割り切れない者も、オズの言葉で覚悟を決めたようだ。兵が敵を殺す時、心理的負担を大きく軽減させる方法に『命令』がある。
やれと言われたからやった。言い訳の余地を与えるだけで、人が感じる抵抗はスッと軽くなる。
加えて、同胞を救う為ときた。
『誰かの為』もまた、心のハードルを越えることを助ける。
彼女は端的に、仲間を鼓舞する言葉を紡いだのだ。
ただ、残念ながら。
既に士気で覆る局面ではない。
こちらの戦力は増え続け、敵は疲弊するばかり。
そしてついに、敵の『導き手』が一人命を落とした。
致命傷を修繕し、すぐに魔力を通わせる。
立ち上がった『導き手』はリリスの忠実な人形。
「アーレス様ッ!」
彼の部下らしき魔法使いが叫ぶ。
「……もう、特拾肆號」
此処にいる以上優秀な人材なのだろうが、動揺からか容易く特拾肆號の手にかかり命を落とす。
そして、彼もまた人形と成り果てる。
あちこちで装置が破壊される。陽動だったが、もはやそれに割く戦力も無いのだろう。
魔力防壁がどんどん狭まっていく。
逃げ出す者がいないのは、指揮官の優秀さを表しているのかもしれない。
彼女に指示を仰ごう、という意思が恐怖に勝っているということなのだから。
「……無駄な抵抗」
「無駄などではない」
魔力防壁が消えた。
「…………?」
異常事態だった。
首都を護る要が一瞬で消失したのだ。
リリスの部隊によるものではない。
つまり――自分達の意思で?
確かに突破されるのは時間の問題だっただろう。展開した状態では中の人間を逃がすことも出来ない。だがそれは今も同じだ。防壁圏外には帝国軍死兵と前任者の指揮下にあった兵を展開させている。
逃走は――いや。
「……それは」
魔力は消えたのではない。移動したのだ。
彼女の魔杖に。
都市一つ破壊可能な戦略級魔法すら霞む程の魔力量。個人が賄える魔力ではない。より正確には、個人の出力を大きく越えている。自分から離れた魔力程扱いが難しくなるが、それは量でも同じことが言える。魔力の制御難度も扱う量に比例するのだ。
都市を囲む魔力防壁に使われていた魔力全てを、オズは一人で束ねている。
「……都市まで吹き飛ぶわ」
「心配には及ばない。加減する頭はある」
魔法式を綿密に組む脳はあるらしい。
どうやら本気で有資格者十数人分の戦略級魔法をまとめて放つようなものだ。
リリスだけでなく、死徒達もひとたまりもない。
それは、耀く槍の形をとった。
「死を弄んだ罰と知れ――【神杖駭地】」
「そう」
リリスの足許に『紺藍』が広がり、九つの棺が出現。そこから九体の死徒が姿を現す。
十数人分の戦略級魔法をまとめて放つ威力?
驚異的だ。
だが対抗策もある。十数人に戦略級魔法を撃たせればいい。
リリスの死徒は十四体。
充分だ。
「まさか――」
相殺。
神の杖は地上を叩くことなく、空中で複数の魔法に激突し、消え去った。
「あなたの魔法が、わたしへの罰なら」
リリスは傘をゆっくりと回しながら、悠然と歩みを進める。
中空に佇むオズを見上げ、瞳に映す。
その視線に、嘲弄の色はない。ただただ冷たいだけだ。
「結果を見るに、わたしの行いは、罪に値しないのね」
罰の執行は滞った。
「それで、どう? 死を弄ぶことを、天は是とされたみたいだけれど」
「ふざけたことを……ッ」
リリスは口を開くのがあまり好きではない。
こうして率先して言葉を紡ぐのには理由があった。
複数の死徒を運用するのは、負担が大きいのだ。元がリリスと同格の有資格者。死兵とはわけが違う。
だがそれを敵に悟られてはならない。
まだ逆転の余地があると思われてはならない。
「次はどうするのかしら?」
オズの瞳にようやく諦念が混じりかけた、その時。
夜が明けた。
「――――」
否、そんなことは有り得ない。
燿はすぐに収まった。
だが耀きと同時に後方に配置した帝国軍人死兵との繋がりが消失。修復の余地なくこの世から消えたということ。
考えられるのは、そう。今のが魔法で。
つまり、燿が地上を灼いた。
オズの目に耀きが灯る。
「ダルトラの援軍だッ! 既に魔力防壁は無い! 戦える者を全て出し、敵を挟撃せよ!」
燿?
だが『暁の英雄』は既に死んだ筈だ。
その力を継いだとされるクロノが此処に来る筈も無い。
それに、一瞬見た限りでは大地は灼け溶けてはいない。
『暁の英雄』のやりかたでは無い。
「……これは」
かつて悪神が暗雲で空を覆った時のことだ。
闇を払い、人々の心に明かりを灯した者がいた。
一瞬とはいえ夜に勝ち、死にかけていたオズと魔法使い達の目に、再び燿を灯すなど。
これではまるで、神話の――『燿の英雄』のようではないか。




