203◇死を喰む
黒いドレスに身を包んだ少女だ。
色白で、紺藍の毛髪と瞳をしているが、顔はヘッドドレスから垂れるレースのベールに覆われている。コルセットドレスというのか、ただでさえか細い印象を受ける胴が更に細く見える。膝上までのソックスからはガーターベルトがドレスの奥へと伸びており、露出しているのはベール越しに覗く顔を除けば太腿だけだ。二の腕まで伸びる手袋を着用し、夜だというのに手には漆黒の日傘。
瞳に生気はなく、その精緻な顔の造りから連想されるのは一流技師による人形。
少女は名をリリス・リパル=リーパーという。
『教導の英雄』ジャンヌ=インヴァウス麾下の小隊長で、階級は中佐。
彼女に任された任務は魔術国家エルソドシャラルの最終防衛線の突破。
期限はなんと、連合が和平交渉提案の受け入れを表明するまでの間。
相手の出方次第ではあるが、愚か者ではないということなので速やかに返答するだろう。
何故なら――相手が受け入れを表明するまでは停戦をする必要が無いから。
和平交渉の場を設ける為に戦闘行為を停止したロエルビナフと異なり、エルソドシャラルに対しては矛を収める理由がギリギリまで無い。
エルソドシャラルは疲弊している。ダルトラからの派兵もあり戦線を後退しながらも敗北を先延ばしにしていたが、あとひと押しというところまできていた。
しかしその最終防衛線が厄介だった。
魔力防壁、と呼ばれるものがある。あるいは純魔力圏。
通常、空気中には魔力以外にも様々なものが含まれているが、純魔力圏は言葉通り一定空間内全てが魔力で満たされているのだ。
それが防壁とまで称される所以は単純。
呼吸する為の酸素もなければ、濃すぎる魔力はそれを処理出来ない者には有害だから。
つまり、無闇に進軍させれば兵が死ぬのだ。
前任の指揮官がそれをやり、多くの兵を損なった。
代わりがリリスというわけだ。
この状況に、彼女以上の適任はいない。
さて、一つの国家が用意した最後の防衛手段を突破するのに、派遣するのが小隊でいいのか。
通常ならば、否だろう。
彼女の部下は四十七名。
生きた者に限れば、ではあるが。
「リリス様」
アークスバオナの軍服に身を包んだ青年だ。リリスの副官で、彼女の許まで駆け寄ってくると恭順の姿勢をとる。
「なに?」
冬の夜のような声だ。痛い程冷たく、闇を思わせる程暗い。
「魔力防壁は城壁内からの魔力供給によって維持されているようです」
「そう」
魔力堆によるものであれば、どうしても交換が必要になる。おそらく地下に魔導体のケーブルでも引いて魔力を供給しているのだろう。
都市内の魔力が尽きない限りは保つということだ。
ダルトラからの増援でも待つ気か。
「死兵によってそれを暴くことは叶いましたが、敵は『導き手』を出してきました」
「ろぉど」
少し考えてから、思い出す。
有資格者のことだ。ダルトラでは確か仰々しく――英雄規格などと言ったか。
確かに有資格者であれば、魔力防壁内でも活動出来る。
「そう。どうりで、さっきから沢山壊れていくと思った」
リリスは丘の上に陣営を敷いていた。兵は出払っており、いるのはリリスと副官のヘイだけ。
時間帯は夜。天上から注ぐ光は陽光には遠く及ばず、世界を支配するのは闇だ。
「いかがいたしますか」
命令を求めるヘイを、リリスは虫でも見るように眺める。
「……あなた、生者よね」
「……はっ」
「魂が、精神によって肉体に繋がれている。なら、自主的にものを考える機能は残っているはず。人形になりたいなら、そう言って。可愛くはないけれど部下だもの、せめて優しく殺してあげる」
リリスは喧騒が嫌いだ。狂騒ならなおさら。だが真の静寂とは、静かな部屋にこもって耳を塞ぐことで手に入られるものではない。
自身の平穏を脅かすものを排除してようやく、訪れるものなのだ。
故にリリスが望むのは終戦。全て屈服させれば、ようやく一息つけるというものだ。
霊園のような静寂こそ、リリスの望む世界の在り様。
そんなリリスが部下を持っているのは、ひとえに有用だから。
無能なら、喋る機能を持たせる必要は無い。
彼自身もそれを承知しているのだろう、すぐに語りだす。
「防壁展開が魔力供給によるものなのは確かですが、供給源を断つことは現状出来ません。ですから、装置そのものか供給路を断つのが得策かと」
城壁内からケーブルが装置に伸びているというのなら、ケーブルを切るか装置を壊せばいい。
「ですが、装置まで含めて地中に埋まっており、掘り出すより先に『導き手』に殲滅されてしまいます」
「数」
「『導き手』が五名。それに次ぐ魔力反応が八です。十二名が四方に三名ずつ配置され、一名が指揮を担当しているようです」
「一つ壊すと」
「魔力防壁は城壁を中心として円形に広がっていますが、正確には四つの効果範囲をつなぎ合わせているようでして、一つ破壊するごとに一効果範囲が数十メートル後退します」
一つの円に見えるが、放射状に切れ込みが入った欠片の集合というわけだ。一つの装置を壊すごとに、欠片一つの効果範囲が狭まっていく。
「一つを集中的に壊す」
「ですが、それでは敵戦力もまたそこに集中します」
「新しい人形と、死徒を出す」
青年は驚くことなく――というより、これまでの一連の会話全てがその言葉を引き出すものだったのだろう――「それでしたら、問題無いかと」と頷く。
リリスは考える。まぁ、及第点か、と。
「人形の指揮は、ヘイ、リン、サノ、ノエに任せる。死徒は、わたし」
ずず。
影が急速に広がる。
否、それは影ではなく、色だ。
『紺藍』の水が湧き出たように、丘を満たしていく。
リリスは『紺藍の英雄』を拝命した有資格者だ。ただし、旅団同様これまでは秘匿されていた。
だから、彼女の呼び名は他にあった。
生きた部下を数十名しか連れず、されどどういうわけか膨大な数の死兵を率いる。
――『孤軍連隊』、と。
その名の由来を証明するかのように、『紺藍』より出づるものがあった。
人間だ。
とはいっても、無論生者ではない。
だからといって、肉が腐り落ちているわけでも、骨だけで動いているわけでもない。
彼らは人間なのだ。死者。魂が肉体の軛から解き放たれ、精神の紐は千切れて消えた。
つまり、身体だ。五体満足の瑞々しい死体。
今まで使用していたのは帝国軍人の死体。
しかし今『紺藍』から出現しては整列に動くのは、全て魔法使いの恰好をした死者だ。
『紺藍』に与えられた権限は――『死』への関与。
死に触れたものを支配下に置く力。
死体の鮮度は関係ない。そこまで含めて『紺藍』の権限内。修復は可能。
精神がなくとも脳があれば、それを引き続き利用することが出来る。生きた部下を指揮官とすれば、どんな命令にも従う即席軍隊の出来上がりだ。
死兵を維持する為の魔力さえあれば、数千人だろうと運用可能。
死兵は生前の性質も失っていない。
だから、そう――。
「特拾號から、特拾参號までを出す」
死兵と異なり、これらをリリスは別途死徒と呼ぶ。
神に従った英雄を神の使徒に喩えるならば、今の彼らはまさしく死の徒だ。
『紺藍』から四つの棺が出現。蓋が内側から開かれ、ずれて落ちる。
中から出てきたのは――『導き手』だ。
此処に至るまでに殺めた敵国の有資格者ということだ。
ただ内一体は、『翠の英雄』レイドから貰ったものだ。生前の名は確か……マギウスとかいったか。
今は特拾號。
エルソドシャラルに限らず、生きた人間の能力というのは精神に大きく左右されるものだ。
殺してやりたい憎い敵なら、あるいは殺せるだろう。
なら、愛しくてたまらない相手なら? 抱きしめて口づけしたい相手なら?
無理だ。同じ殺すという行動でも、相手が誰かで実行に掛かる精神的負担は変わる。それと同じ。
心は、人の強さに干渉する。
では倒すべき敵が気味の悪い敵兵から――操られている仲間の遺体になったら?
「こういうの、なんていうの」
「…………攻城戦、でしょうか」
考え込んでからヘイが言った言葉は、リリスが求めていたものだった。
「そう。じゃあ、攻城戦。すぐに終わらせる」
「はっ」
死の行軍が始まる。




