199◇複製ブレイド
呼気を整える。
納刀状態のゴーストシミター、その柄に手を掛け、力を込めずに浅く握る。
木板の床を、音もなく跳躍する。
既に幾本もの巻藁が床に倒れていた。
刻まれているのは、全て一閃。
トライアンドエラーを繰り返し、何度目のことか。
刃を奔らせる瞬間、確かに視えた。
未来の可能性を先んじて覗くように、三つの軌跡が。
どれを斬る、ということは考えない。
全て斬る。全て斬れる。全て――斬れた。
まるで残心のように、意識を途切らせることなく繋いでおく。
不思議な感覚だった。
自転車に乗れるようになった途端、乗れなかった頃の不安が不思議になるように。
あぁ、どうして今まで気付けなかったのか、至れなかったのかという思いに襲われる。
スゥッと、鼻から息を吸い込む動作と共に身体から力を抜く。
落ちた巻藁の残骸は三つ。
これが世界に認知されていない理由は簡単に想像がつく。
魔法が在るから。
此処までの境地まで至ろうと考える者自体が極めて稀なのだ。
魔法使いに武力で勝てるのは、基本的に魔法戦士くらいのもの。
天地程に離れた資質、厳然と立ちはだかる実力差。
そんな現実を前にして、塵を積み上げて天を衝こうなどと考える酔狂者など、いなくて当たり前。
けれど、いたから。現れたから。至ったから。
神はその境地の先に、特別を許可した。
「…………奥義をそう簡単に習得されては叶わんのだがな」
道場を借り切っていた。
ヘケロメタンの者に借りた着物姿の幸助の前に、トウマが現れる。彼女は和装に袴姿。黒セーラー風の服装とはまた違った趣だが、女学生風の装いというのは共通しているのかもしれない。
「奥義か……流派とかあるのか?」
納刀を済ませ、幸助は何気なく尋ねる。
「水霧一刀流だ。控えめに言って、大陸最高峰の剣術だろうな」
彼女はどこか自慢げに言う。
これまでのやりとりで、幸助なりにトウマという人物が見えてきていた。
彼女はとても、仲間が好きなのだ。
大好きだから、シュカの言葉は重んじる。大好きだから、アキハの腕を我が事のように誇る。
そして、みんなが大好きだからこそ――。
「謝罪ならしなくていいぞ」
感覚を手放さないよう、再度集中しながら幸助は言う。
斬る。
刻まれたのは、四つの斬撃。
視える線の増減は、自身が剣戟を放つ瞬間の『実現する可能性』に左右されるらしい。
選択肢が一つしかなければ一つ、二つあれば二つ、三つあれば三つ……ということだ。
「……後は戦いの中で自然に出せるかどうかかな」
ぼそりと呟いてから、思い出したようにトウマに視線を転じると、彼女は訝しげにこちらを見つめている。
「なんだよ。あ、それより暇なら竹刀とかでちょっと相手してくれないか」
「何故わたしが謝罪すると思った」
「他に用無いだろ。それに、他の奴らが来るよりお前の方が早いのはちょっと変だ。大方、話しておきたいことがあるとか言って来たんだろ」
当たっていたのか、トウマは眉間にしわを寄せた。
「……シキ殿とカグヤ様はご多忙だ。他は……まぁ……貴方の言う通りだ」
シュカも言っていたが、彼女は素直なのだ。
初対面時の言動を、無礼と思い直し謝罪しに来たのだろう。
少し面白くて、笑ってしまう。
「何故笑う」
「別に? 片付け手伝ってくれるか?」
「……まぁ、いいだろう」
散らばった巻藁の残骸を二人で拾っていく。
しばらく無言が続いたが、やがてぽつりと彼女は溢した。
「正直に言えば、わたしは……貴方が恐ろしかったのだ」
それは、敵として恐怖を感じた、ということでは無い。
彼女は仲間が大好きで、とても大事で、だから侵入者が単なる侵入者でなく、シュカ達の待ち望んでいた黒野幸助だと判明して、恐怖した。
「貴方が、みんなを……死地へと連れて行ってしまうと思った」
千年前の戦士がどれだけ生存しているかは分からない。だが、ヘケロメタンから外へ出る者は、皆無と言えるまでに少ない。此処へ来る途中の光景も平和そのものだった。
この国は、民にとって居心地のいいところなのだと思う。
それを築いたのはカグヤ達だ。彼女が元首として認められていることからも、いまだに尊重されていることが窺える。
だが、平和な国を築いた彼女達には生きる目的があった。
全員で無いにしろ、終わる場所を求めて生きていた。
永遠に黒野幸助を待つ人生。続く限りは平和を享受し、待ち人が来れば終わりへ直走る。
どれだけ恐ろしかったろう。
黒野幸助の登場とはすなわち、彼女達が全員失われるに等しい。
それこそあの時までは、カグヤは死をこそ望んでいたのだから。
さながら、父親を徴兵される幼子のような気持ちだったに違いない。
大切な者が、帰ってくるかも分からない場所へ、誰かの為に行ってしまう。
嫌だと思って当たり前だ。
そのことには、早い段階で気付いていた。
トウマは、トワへの敬意は怠らなかった。
他の者からエルマーの話を何度も聞いていたのだろう。仲間の主、その妹は丁重に扱った。けれど、主と同質の存在だけを否定するのは? そう考えた時、気づいたのだ。
幸助が怖いのではなく、幸助を認めることで起こる何かが怖いのだろう、と。
だからこそ、あの時トウマは他の者と同じく幸助を認めてくれた。
彼女の懸念が、払拭されたから。
「貴方は言ったな。千年前から生きる者達に、生きる場所を、与えると」
「あぁ、確かに口にした」
それから彼女は一瞬目を伏せ、幸助に視線を合わせると、不器用に笑った。
「わたしの目的も、同じなんだ」
「あぁ、だと思ったよ」
ニカッと微笑み返すと、彼女は目を丸くして、それから今度は自然に、小さく笑う。
「手伝ってもらっても、いいか?」
先程の幸助を真似るように、彼女が言うので。
「もちろん、これ拾うの手伝ってもらったしな」
と戯けるように肩を竦める。
彼女は唇をむっと歪めたが、目許は柔らかく緩められていた。
「……試合がしたいのだったな。木刀でよければお相手するが?」
「あぁ、頼む」
「ちょーっとまったぁ! そこまでだよトウマ! クロ様のお相手は僕がしよう! 君の師匠である僕が務めようとも!」
道場に駆け込んできたアキハが胸に手を当ててそんなことを言う。
「師匠……いつから……いえ、承知。わたしはこちら、片付けておきますので」
トウマは僅かに困ったような顔をするも、弟子らしく素直に彼の言葉に従う。
「ふっふっふ。いくらクロ様と言えど、手加減は出来ませんよ?」
「いいね」
風呂上がりということも気にせずに、二人は全力の試合を始めた。
いつの間にか観戦者が増え、賭けにまで発展していたが、戦いに集中する二人にはそんな喧騒は届かず、その夜だけで何本もの木刀が折れてしまうこととなった。




