198◇一閃リミットブレイク
アキハは来訪者ではない。そして剣の才も無かった。
だが、望まぬ形で時間を得た。
定命の者であれば、いかな剣の才の持ち主であろうと、百年あれば土に還ろう。
けれどアキハには千年の時があった。
そしてそれを血の滲むような修練に費やし、そして至ったのだ。
理を超越する極地へ。
「爾来、『その瞬間、斬撃を叩き込める箇所が複数ある時』に限ってではありますが、一閃を複製出来るようになったんですよ」
「そ、れは……」
アキハは不思議そうにそう言ったが、幸助は言葉を失う程の衝撃を受けていた。
言葉にするまでもないが、一つの斬撃は、一つである。この当たり前が覆されることは通常有り得ない。
つまり、アキハやトウマの一閃の複製は異常事態だ。
魔法で斬撃を複製しているように見せかけているのではなく、真実一つの斬撃は二つの結果を刻んでいる。
剣の才ならエルマーにもあっただろう。適性を獲得したという意味では、幸助にだって。
だから、これは才能の問題では無いのだ。適性の問題ですらない。
幸助には予想しか出来ないが、精神と技術が大いに関係しているのではないか。
一度に複数箇所を斬れればいいのにという発想と、その思考に至るまでの武技。
ある分野に関する事柄が究極と言える域にまで達していることを指して極地などと表現することがあるが、まさにそれだ。
武の極地に、アキハは無才がまま至った。それだけでなく、それを十全以上に引き出そうとした。
限界に到達したものが、その先を望んだ。
それが実現したとなれば、許可した者も自ずと知れる。
神しかいない。
幸助はアキハの境地を考え、慄然とした。
それは、千年主に付き添ったセツナにも感じた、驚愕と憧憬と恐怖全てを混ぜたような感情。
アキハの不撓不屈は、千年の時を掛けて神にすら認められたのだ。
限定的ではあるが、一刀に限り理を歪めることさえ許可するに値すると。
そしてアキハの恐ろしい点は、それを特別なものと思っていないことだ。アークレア由来の人類で、彼以外その極地に至った者は他にいるかどうか。
であるにも拘らず、彼は誇ることも驕ることもしない。
それどころか、トウマの師匠となり、技を伝授した。
出来るだろうか。
自分の千年分の努力の結晶を、仲間とはいえ継承させるなど。
「クロ様?」
「あ、あぁ」
名を呼ばれて、我に変える。
アキハはあどけない顔で上目遣いに幸助を見つめている。髪は一纏めにされ、白いうなじが横目に覗いた。
「カグヤ様やシキ殿が絶技などと呼んで持ち上げるので恥ずかしいのですが、実際トウマ以外は再現出来ていないんですよね。あ、そうだ! クロ様ならきっと出来ますよ! どうですか? なんならお教えいたしますが」
なんてことのない風に彼が言うものだから、幸助はそれが厚意と分かっていても腹が立ってしまう。
「それは、お前の努力の証だろ。なんで簡単に人に渡そうとする」
アキハは戸惑うようにポカンとして固まる。
「えぇと、その」
「あまり自分と、自分の持っているものの価値を低く見積もるな。それはお前自身と、お前を大事に思う人に対して失礼だ。トウマは隠そうとしたぞ。俺が信用ならないからじゃない、きっと、師匠から教わった技だからだ。それをお前は、簡単に――」
指が触れた。
幸助の唇に、アキハの人差し指が。
あまりに自然で、異常な速度。
それでいて、触れた際の衝撃はぴとっと表現するに相応しく、静かで小さい。
湯さえ、一滴も跳ねなかった。
「簡単に、じゃあないんです」
放たれる言葉は柔らかいが、同時に力強さも感じさせた。
「これは恩返しなのですよ」
「……恩返し?」
アキハはニコッと微笑む。
「はい。僕はエルマー様のおかげで、剣士になれた。仲間の皆がいたから、戦士で在れたんです。どちらが欠けても、今の僕はありません。返しきれない恩が、既にあるんです。けれど、エルマー様にも、還って逝った仲間達にももう返すことは出来ない。だから僕に出来るのは、次の世代に残せるものを残すことだと思うんです」
「――――」
彼は、自分を安く見ているのではなく。
「剣しか無いから、剣を教えるんです。それがまた、何処かで誰かを救うことに貢献出来れば、それが平和を望んだ彼らへの恩返しになると信じて」
幸助は一瞬前までの自分を強く恥じた。
とんだ勘違いだ。
彼は彼なりの意思で、それを行っていたのに。
「……悪い、勘違いして説教臭いことを言った」
「まさか! 僕のことを心配してくれてのお言葉です、喜ぶことはあっても逆は有り得ません!」
「そう、か……。でもいいのか、返す先が俺で」
「もちろんです。だってクロ様は、戦争を終わらせて、悪神を倒すのですよね?」
「あぁ」
「ならば、僕の全てを捧げたって惜しくは無い。無価値だからではありません。託すに値すると、僕自身がそう判断したからです。トウマも、身につけられなかった他の仲間も」
「……ありがとう」
「では、どうぞ」
グイッと、アキハが顔を近づけて来る。
鼻先が触れ合いそうな程に近い。
「どうぞ、って」
「クロ様は確か……記憶を見る魔法を使えますよね?」
「それは、まぁ……そうか」
「はい、トウマもそうですが、クロ様なら僕より余程早くその境地に到達出来ましょう。必要な記憶をこう……いい具合にまとめて思い浮かべますので、ささっと持っていってください。あ、でも他の記憶にはなるべく触れないでいただけると! さすがに……恥ずかしいので」
直接記憶を覗くとなると頭部に触れる必要がある為、距離が近いのはまぁ頷ける。
「こ、これって痛くないですよね」
「そういう苦情が出たことはないな」
「で、ではお願いします……」
アキハは緊張するように目を閉じた。
「…………あぁ、まぁ、じゃあ」
今でなくともいいが、確かに入浴中の方が時間を無駄にしなくていいかもしれない。
幸助はそっと彼の頭に手を伸ばし。
ガラッと、脱衣所と露天風呂を繋ぐ戸が開いた。
シキだった。
強張った様子で目を瞑るアキハと、それと向き合う形で今まさに手を伸ばしている幸助。
事情を知らない第三者にはどう映るだろうか。
「………………………………大変失礼致しました。では、私はこれで」
シキのことだから冗談ではなく本気で勘違いしているのだろう。
「待て待て待て待て! 誤解だ! なぁアキハ!」
「……シキ殿。どこから聞いていたんですか?」
アキハは恥ずかしそうに顔を伏せながら言う。
恩返しの下りは、確かに長年の付き合いである仲間達に今更聞かせるには恥ずかしい話だろう。赤面も頷けるが、今この瞬間はまずい。
「主のご趣味の文句を付ける気など毛頭ありませぬ。人倫に悖る行いであればまだしも、双方合意であるならば問題など――」
「違うっつってんだろッ……!」
その時、ギギギ、と不吉な音と共に女湯と男湯を隔てる仕切りが倒れた。
その上に、タオルを巻いた女性陣が載っている。
「…………覗いてたのか?」
全員が目を逸らした。
アキハだけが「い、いつから……っ」と顔を真っ赤にして湯に半分まで浸かる。
幸助は重い溜息と共に空を仰ぐ。
相変わらず、月は掴めそうで。
けれど先程までと違い、疲れがドッと溜まる。
全員がそれぞれ自身の主張を口にし、一気に喧しくなった。




