196◇五劔オーバードライブ
小さな口が控えめに開かれる。
グロスを塗っているわけでもないのに、その唇は健康的な艶やかさを主張していて、口の動きに連動してぷるっと揺れ動く。
箸で挟んだ焼き魚の身を慎重に、利き手ではない左手を皿のようにしながら口許に運び、ぱくり。
普段は吊り目がちでどこか小生意気な印象を受ける目許が、至福に綻んだ。
「ん~~っ」
正座状態で足の指をぱたぱた動かしながら、舌鼓を打つ。
そんなトワの姿を、五劔とカグヤが幸せそうに眺めていた。
それに気付いて、トワがハッとした様子で口許を隠し、顔を赤くする。
「あらあら、あらあらあらあら。トワ様ったら、とてもお可愛いですよ? ささっ、こちらも食べてください。この煮物ですね、わたくしも少し手伝わせていただいたんですよ。お口に合うとよろしいのですけど。はい、あぁん」
「ええい、シュカ! トワ様が困っておられるだろう! ……ところでトワ様、清酒は嗜みますでしょうか? いい酒が手に入りまして」
「あ、それゲンのところの! カグヤが行った時にはもう無いと言われた、限定の! トウマ、貴方カグヤに隠れてそんなものを懐に忍ばせていたのね! トワ様に振る舞うならば仕方ないけれど、仕方のないことだけれど! あ、トワ様、頬に米粒がついていますよ? カグヤがお取りしますわ!」
強烈な既視感だった。
そういえば、セツナの時もおおよそ同じ反応だったか。
「あはは~、みんなトワ様にぞっこんだねぇ。まぁ仕方ないけどさ~」
ハルヤが微笑ましげに言ってから、くいっと酒を呷る。
女性陣の中では唯一、トワに群がっていない。
宴会だった。
歓待を受けている、とでも言えばいいのか。
気持ちは嬉しいが辞退しようとする幸助に、カグヤらは早馬を既に出していることを告げ、幸助が十の国を順に巡るより此処で返事を待つ方が結果的に早いと説得された。
遅くとも明日の昼には十つ国の意思が返ってくるというので、兄妹は提案を受け入れることにした。
気を張り詰めの妹を、精神的に休ませたいという思いが無かったと言えば嘘になる。
過去を語ったカグヤ達は、それでありながら引き摺っている様子をもう見せなかった。
エルマーがそうだったように、幸助にも同情や憐憫を向けられたくないのだろう。
それを汲めぬ程、無粋ではない。
「クロ様ぁ。聞いてくださいよぉ~、僕、僕、頑張って強くなったんですよぉ?」
アキハは泣き上戸なのか、目に涙を浮かべながら幸助の腕にしがみついている。
「あ、あぁ。トウマの師匠なんだって?」
「いやぁ、僕なんかが弟子をとるなんて考えもしなかったですけど、でも僕なんかに残せるものがあるならそうしたいなぁと思ったんですよ!」
何かを期待するような瞳で見上げられ、幸助はそっとそれを口にする。
「……偉いな」
満面の笑みだった。
「えぇ~そうですかぁ? そうですかねぇ? クロ様にそう言っていただけると、報われるなぁ」
右隣はアキハ、左隣はシキだ。
シキは幸助の猪口が空くと、すぐに酒を注ぐ。
「ありがとう」
「いえ」
感謝しつつ、幸助は彼に両腕が揃っていることを確認してしまう。
その視線に気付いてか、シキがこぼれるように笑った。
「義手です。ゴーストシミターを表に出してまで知己の者がメレクトより取り寄せた品で、これで中々使い勝手がよいのです」
鎖国しているのに、ゴーストシミターが世に出ることがあった。鍛錬国家と評される程に。
それは、国内に存在しない何かを、仲間の為に入手しようとした動きによるものだったのか。
「そんなことよりさぁ~。ぼくクロ様にど~しても訊きたいことがあるんだけど、いいかなぁ?」
義手をそんなことで片付けられたシキだが、特に気を悪くする様子は無い。彼女の言葉に悪意が無いと分かっているからか。
席を立って近づいてきたハルヤが、酒気にあてられ火照った顔で笑う。
「きみって~、ぶっちゃけると巨乳派? 貧乳派?」
空気が固まった、ように感じた。
どういうわけか一瞬前まできゃあきゃあ楽しそうだった女性陣まで耳をそばだてるように沈黙する。
「……どうしてそんなことを?」
「いやぁ。エルマー様ってね、基本なんでもぼくらに話してくれたんだよね~。トワ様がどれだけ可愛い人かとか~、ニホンの話とかね~」
「待ってくれ……妹自慢を俺がするわけないだろ。無いよな?」
「してたよ~。『目つきは喧嘩売ってるのかって勘違いするくらい悪いが、笑うとまぁ愛嬌が無くもない』って。ねぇ、アキハ」
「うぇっ? あぁ、そうですね、僕が覚えてるのは『負けず嫌いで、だからこそ無駄に努力家』とか『生意気なくせにこっちが冷たくすると拗ねる』とかですかねぇ? トワ様の為人と、エルマー様がトワ様を大事にしていることが窺えて、皆で和んだ覚えがあります」
「な――。待て待て、もういいぞお前ら、もう聞きたくない」
なるほど、妹を見つけられなかった幸助は、仲間達に妹のことを率先して語って聞かせていたらしい。確かに世界を転々としていたなら、幸助の話を聞いた誰かが妹に似た特徴を持つ人物を知っている、なんて場面に遭遇する可能性も生まれてくる。
エルマーとクロこと幸助は違う。
だが、死ぬほど恥ずかしかった。
見たくはないが、見ないのも逃げているようで嫌なので、横目に妹を見る。
ニヤニヤした様子で、彼女は唇を震わせる。
シ ス コ ン。
「最初に悪く言うところに、エルマー様の素直になりきれない兄心が溢れていて、カグヤ胸がきゅんきゅん致しました! いやぁ実はうちの兄にも同じようなところがありまして~」
「主に虚偽を報告するな愚妹めが」
「きー! ほんとはカグヤのこと大好きなくせに! 大好きなくせに!」
カグヤが地団駄を踏むと、その豊満な胸が豪快に揺れる。
「わたくしは、カグヤ様の率直なところ、とても愛おしく思っていますよ?」
「カグヤ、シュカ好き! やはり時代はシュカ! 兄様は旬を逃しました!」
「なんの旬だ」
「妹に慕われることが出来る貴重な期間のことです!」
「……ふむ。特に必要性を感じないな」
「酷いわ酷いわ! そんなことを言うなら、カグヤはクロ様の妹になっちゃうのだからね!」
「……主を困らせるな」
「あ、の、さぁ~。話を戻していいかな~」
幸助は内心で舌打ちした。
この流れで無かったことになることを期待したが、そうはいかないようだ。
「エルマー様はさぁ、トワ様の可愛いポイントは無限に語ってたわけなんだけど~」
「語ってない」
「……うん? そこは否定されても困るかなぁ。じゃなくて~、妹はともかく、恋人に関しては教えてくれなかったんだよね~」
全員が再び幸助に意識を向けた。
「……私も存じません」
「わたくしも何度か立候補しましたが、悲しくも袖にされてしまいましたね」
「僕も聞いたことないですね。師匠に聞いても笑って誤魔化されるだけでした」
「カグヤが聞いたら『カグヤのように可愛いやつだよ』と教えていただきました!」
「貴様はまたそのような世迷い言を」
「本当なのに!」
不平を垂れるカグヤを置いて、ハルヤは続ける。
「でも、いることにはいた筈なんだよね~。どうにもコソコソ姿を消す時があったしさぁ」
「……確かに」
「えぇ、わたくしも覚えています」
「ありましたね」
「いつも皆で追いかけるのだけど、人数が多すぎて早々にバレてしまうのがよくなかったと思うの」
「お前ら何してるんだ……」
エルマーの苦労を察する幸助だった。
トウマも呆れたような顔をしている。
「ぼくらも頑張ったんだよ~? エルマー様の知り合いは取り敢えず全員記録して、こう、候補を絞ってさ~」
「本当に何をしてるんだ?」
いや、気持ちが分からないとは言えない。
たとえばトワに彼氏が出来たとして。それをコソコソと隠す動きがあれば気になってしまうだろう。
「だからさ~、特徴をちょこっと教えてよ~? 誰だったか知りたいんだよねぇ」
「ガンオルゲリューズ殿では?」
「花の妃様という説も」
「え、僕はセフィ様ではないかって噂を聞きましたけど」
「エルマー様はもっと素朴な感じの女性の、自然な魅力にコロっといきそうだとカグヤは思うのだけど」
「取り敢えず胸でしょ。クロ様は巨乳好き? 貧乳好き?」
「黙秘する」
「コウちゃんは巨乳好きだよね」
「てめぇ、トワ! 裏切りやがったな!」
トワの密告に、五劔とカグヤがドッと沸く。
幸助は心の中でエルマーに詫びた。
……悪い、お前の恋人暴かれるかもしれない。




