195◇憎しみネバーエンド
幸助は、エルマーに関する千年前の真相を知っている。
そして、これはエルマーの仲間達に関する千年前の真相だ。
『白の英雄』スノーダスト・フィーネラルクス=クリアベディヴィア。
『紅の英雄』ハートドラック=グラカラドック。
『蒼の英雄』クローズヴォートニル=ダグニィット。
『翠の英雄』ジョイド=ネリヴラド。
そして、彼らを含めた計十三人の英雄が本陣に戻って来て、エルマーとセツナは死んだなどと宣った時、彼を知る人間のほとんど全員がそれを受け入れられなかった。
信じられなかったのではなく、嘘だと確信したと言っていい。
件の悪領の場所は知らされることなく、死体すらなく、悪領で没したと告げられた。
あるいは最初から、納得させるつもりなど無かったのかもしれない。
獣の特徴を併せ持つ人をして亜人、より獣寄りの人をして獣人、魔法を用いる獣をして魔獣、既存の生物に類を見ない特徴を持つ人をして魔人。
その全てを、当時はまとめて魔物と呼ぶ向きがあった。
人と比べれば少数派で、総じて人より個体として優秀であるものの、悪神の影響を受けやすい。
要するに、常人は魔物を恐れた。
常人を率いるべき英雄達からすれば、兵が忌避する存在を受け入れられるわけもない。
世界を救いたい思いは同じなのに。彼らは排斥され、差別され、時に殺された。
「じゃあ、そいつらは全員俺が貰うよ」
エルマーがそう言わなければ、それこそ彼らの全ては人類の敵になっていたかもしれない。
反発する者は多かった。なにせ『黒の英雄』だ。最重要戦力である彼の麾下を魔物風情に任せるなど言語道断。千では聞かぬ程聞いた言葉。
「どうでもいい」と、彼は笑った。あまりにしつこい者がいると「ごちゃごちゃうるせぇ」と遮った。
エルマーからは憐憫を感じなかった。エルマーから同情を向けられることは無かった。エルマーはただの一度も魔物達を下に見なかった。
戦場を駆ける時は将であり、それ以外の時は友であった。
性別も年齢も体格も貧富も美醜も、出生も姿形も才能も適性も好悪も、彼は気にしないようだった。
女だからと、子供だからと、華奢だからと、見窄らしいからと、醜いからと、忌むべき生まれだからと、人から外れた姿だからと、能無しだからと、臆病者だからと、彼に否定的だからと、誰かを追い出すことは無かった。
意思の一つのみを見極め、剣を執ることを望んだ全てを掬い上げた。
ハルヤは来訪者ですらない小さな農村の少女で、それでも戦うことを望んだ。
シュカは鬼という種族で、その怪力を誰もが恐れた。
アキハは孤児で、身体も細く剣の一つも握れなかった。
シキは戦場で片腕を失って以後、仲間にも煙たがられ一線を退くよう言われていた。
カグヤは優秀な治癒魔法の遣い手だったが、子供というだけで疎まれた。
悪神の影響下に無く、人に敵意も無いのに殺されかけた獣人がいた。亜人は人以下であるという思想の許に奴隷として使役されていた者達がいた。ただ生きているだけで討伐される魔獣がいた。
それら全てを掬い上げ、仲間の一言で纏め上げたのがエルマーだ。
エルマーとその仲間達が挙げた功績は、人類のどの軍よりも多く大きい。
あぁ、けれど。
その事実は、のちの歴史にとって好ましくはなかった。
掲げるべきは、人類の勝利。
戦士が掴んだ勝利。
人と、亜人と、獣人と、魔人と魔獣だなんて――ややこしい。
一番活躍したのが人じゃないなんて――面白くない。
実際、現在語られている歴史では、『黒の英雄』がそれらを纏め上げたことの記述はあれど、具体的な戦果はほとんど記されていない。異形を率いた『黒の英雄』が凄い、という形でしか事実は残されていない。
エルマーが死んだの一点張りで通そうとする英雄達に我慢の限界を迎え、手を出す者が現れたその時。
一度に何人もを背に乗せて駆けることの出来る大狼のグロウが――消えた。
それが『白』の『否定』であると気づいた頃には、数十人の仲間が『無かったこと』にされていた。
怒りに駆られて挑んだ者達はすぐに死んだ。
『紅』の『進行』によって、一瞬で骨まで死が進行し。
『翠』の『生命』によって、命の全てを吸われ木乃伊と化した。
将たるエルマーも、その補佐たるセツナもいない状況が悲劇をより凄惨なものにした。
良くも悪くも、彼らはエルマーの許でこそ真価を発揮する者達だったから。
死んで、死んで、死んで、死んで、死んでゆく。
「……やはり魔物は魔物、人と分かり合えるわけもなかったというわけですか」
冷たくそう呟いたのは、『蒼の英雄』クローズ。
「貴様……それが、勝利に貢献した同胞にすることかッ!」
シキがクローズに殴りかかろうとして、生命活動が『途絶』する。
「……申し訳ないが、僕が彼と約束したのは、妹御の件だけでね。獣臭い部下のことは、なんら頼まれていない」
「外道がッ!」
続いてクローズに斬り掛かったアキハも『途絶』。ハルヤも『途絶』。シュカも『途絶』。
『途絶』。『途絶』。『途絶』。『途絶』。『途絶』。『途絶』。『途絶』。『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』『途絶』――、
「何をやっているのですッ……!」
『燿の英雄』ローライトが現れ、怒りの形相で英雄達の凶行を止めようとしたが、遅かった。
その頃には、どうにか逃走が間に合った者を除き――全滅していたから。
そして次に目が覚めた時、カグヤ達は驚愕した。
彼女達にとって、記憶はクローズに『途絶』された時から動いていなかったというのに。
自分達はまったく知らない場所にいて。
自分達の目覚めを喜ぶ仲間の顔は――何十年分も老け込んでいたから。
つまり、こういうことらしかった。
『途絶』された者達を解放することをクローズが断固拒否。そのまま殺すことはローライトが許さず、結果として彼らは人知れぬ場所に安置されることになった。
それを逃げ延びた仲間がどうにか回収し、東へ移動した。
カグヤ達が目覚めたのは、クローズが死んでから数年後だという。
色彩属性は、人の規格まで落とされた神の権利。
であれば、その効力が永続ではなく、時限があったとて何ら不思議ではない。
そう。色彩属性の魔法効果は永遠には続かない。
虐殺された仲間の内、クローズの周囲にいて『途絶』された者達だけは、意識を取り戻すことが出来た。
だが、魔法は完全に解けたわけでは無かった。
精神と肉体の活動は取り戻したが、肉体の成長は『途絶』したままだったのだ。
エルマーとセツナを秘密裏に探した。見つからなかった。
自分達を見つけてくれた仲間達は死んでいった。でも自分達だけは死ねなかった。
復讐しようとも考えたが、実行には移さなかった。
主が救おうとした世界を、自分達が壊すわけにはいかなかったから。
活動拠点は神殿などが多かったこと、どこから噂を聞きつけてきたのか居場所なき魔物達が集まってきたことで次第に村から街と言えるまでに育った。
そしてある時、奇妙なことが起きた。
一人の来訪者が、別の来訪者を指して過去生の知己であると言った。
だが、言われた方は覚えが無いという。
しかし、指摘した方が提示した名前、出身、好みなどは全て一致した。過去も、ある程度までは。
そう、ある時期からズレを見せ、もう一方は指摘した方にそもそも逢ったことが無いという。
神は、あらゆる異界から人を連れてくる。
ある人物の存在する世界は、もしかして一つではない?
それに気付いた時、彼らは希望せざるを得なかった。熱望せざるを得なかった。渇望せざるを得なかった。その願望は、枯れない泉のように絶えず彼女達を刺激し続けた。
主の目的を遂げようにも、悪神を倒す戦力は最早無い。そもそも主無くしては叶わない。
だから、待とう。
自分達には、黒野幸助しかいないのだから。
いつか彼が再び自分達の前に現れてくれた時に、力を貸せるように。
それ以外は、どうでもいいことだ。
そうして、千年の月日が流れた。
生きた亡者達の純粋な忠誠心だけは狂うことなく、されど願望は静かに歪み始め。
そこに、黒野幸助は現れた。




