194◇死に損ないリスタート
「生きる……場所」
譫言のように、カグヤが幸助の言葉を反芻する。
「既に、充分以上生きました。あとはただ、相応しい散り際だけあれば、カグヤ達には十全なのです」
「カグヤ」
「兄様は黙っていて! ……えぇ、えぇ、そうです。そうですとも。総意ではありません。貴方のお言葉であれば、未来に目を向ける者も現れましょう。けれど、そうではない者もいる」
カグヤは堰を切ったように続ける。
「世界は地続きでも、カグヤ達の物語は断絶しているのです。終わるべき場所で終われず、こうして生き長らえている。生きる場所? そんなものを期待して、貴方を待っていたわけではありません」
縋るように、いや実際にカグヤは幸助に縋り付いて、言う。
「輪廻から外れた我らは、今度こそ貴方の為に死ぬ為に生きている。どうか導いてください。我らの行先は、行末は、何処なのでしょう? 分からないのです。貴方が消えてから、千年経っても、いまだに……エルマー様と、散っていった仲間達の言葉が……消えなくて」
彼女達は、死ななかったのではないのかもしれない。
死ねなかったのかもしれない。
だって、エルマーは自分の正常が消えかかっているにも拘らず悪神を倒そうとした。
志半ばで斃れて逝った仲間も少なくはなかっただろう。
そんな中、どうして死ぬことが出来るだろう。
自分達だけが、まだ終わってもいないのに、全て諦めて安らかな死を望むなど、幸助が同じ立場でもきっと出来ない。
妹が死んだ時。不幸な出来事だったと受け止め、時間を掛けて前を進むのが人間として正しいことなのだとしても、出来なかったように。復讐が過ちであったとしても、止められなかったように。
黒野幸助との悪神退治こそが、彼女達が自分達に死を許せる唯一の状況だったのだ。
けれどそれは、想いが歪んでしまっている。
生き抜き、勝ち取る為に戦いがあった筈で。
死に行き、朽ち果てる事が目的だったわけではないだろうに。
千年という時間は、人の心を歪めるには充分過ぎるということだ。
それでも、幸助は言った。
「死に損なったなら、生きろ」
「なッ――」
カグヤが絶句し、シキが歓喜に打ち震える。
アキハが顔を上げ、シュカが目を見開き、ハルヤが楽しげに笑い、トウマが呆気にとられる。
「自殺志願者は、要らない」
「そ、そちらから協力を仰いでおいてっ……」
「そうだな。でも、勝って、先を見ようとしない奴はダメだ」
「そのようなこと、言われたところで」
あぁ、それだけじゃあ意識は変わらない。
「だけどな、カグヤ」
彼女の前に屈み、視線を合わせる。
「全てが終わって平和になった世界で、それでもお前達が其処を終わりと決めたなら、その時は――」
「……その時は?」
「死を望む奴を、俺がこの手で終わらせてやる」
その言葉に、偽りは無い。
ただ、そうはならないと確信しているだけだ。
「ぷっ」
誰かが笑う。桃色の髪の少女――ハルヤだ。
「ハルヤ! 何がおかしいのです!」
「だって~、あははっ。だって、カグヤちゃんがあまりにアホ可愛くてさ~」
「トウマ、その不埒者はどうやら介錯を頼んでいるようね?」
「すぐ断頭しようとするのはやめようね~、怖いからね~」
ハルヤがヘラヘラ笑う中、シュカとアキハが進み出て、片膝をつく。
「クロ様のご提案はなるほど確かに、雑兵の一撃で死すよりも余程甘美で、幸福な最期となるのでしょう。我らにとっては、至福とも言えるかもしれませんわね。けれど、嫌だわ、クロ様ったら」
「主の手を己の血で汚そうなんて、そんなことを考える愚か者が僕達の中に一人でもいるわけがないじゃあないですか。腐っても我ら一同、主への忠誠より他に優先するものなどあるわけもなし」
シュカとアキハの言葉に、カグヤが「うぅっ」と困ったように呻く。
「ずっとさ~、後悔してることがあったんだよねぇ。ぼくらは、エルマー様に寄り掛かり過ぎていたんじゃないかってさ~。ぼくらが頼りになる仲間だったら、狂う程『黒』を使うことも無くて、トワ様を探す時間も残っていた筈で、他の英雄達だってエルマー様を封印しようなんて考えなかったかもしれないって……ね。きみは……クロ様は、僕らを使ってくれるのかなぁ? きみが救いたいと思う者全てを、きみ自身すら含めて救う為に」
ハルヤがにへらっと笑いながら、二人に続いて膝をつく。
意外と言うべきか、トウマも続いた。
「……貴殿が、我らを駒の一つとしてでなく、未来を求める同胞として扱うというのであれば、この刃の閃く先、貴殿に預けよう」
カグヤは涙目になりつつ、「うぅうぅ」と呻いている。
「酷いわ! みんな酷いのだわ! これじゃあカグヤだけ悪者で駄々っ子みたいじゃない!」
「愚妹めが。それ以外の何者だというのだ」
「むきー! 兄様なんて嫌いよ! カグヤを置いて勝手に生きればいいわ!」
シキはそんな妹を優しげに見つめ、頭に手を載せ、肩で抱くように引き寄せる。
「貴様の苦しみは、私とて理解しているつもりだ。万が一、クロ様についていった先、平和の実現後に、貴様が何も望めないというのであれば、その時は兄として一緒に逝ってやる」
どんな、葛藤があったか。
「うぐ…………わかった」
一度だけシキをぎゅっと抱きしめ、それからカグヤは幸助に向き直る。
「クロ様」
初めて、名前を呼ばれたような気がした。
エルマーの代わりとしてではなく、目の前の一個人として名を呼ばれた。
「正直、カグヤは貴方が好きではありません」
むすっとしている仕草は幼女然として愛らしかったが、当人は不機嫌さをアピールしているつもりなのだろう。
あぁ、しかし。幸助の全てを肯定する勢いだった彼女が、こうして否定的な言葉を放ったということ自体が、彼女の決意の重さを物語っているようだった。
「そうか」
「ですが、カグヤはヘケロメタンの長です。アークスバオナの猛威がいずれ我が国まで及ぶことは火を見るよりも明らかであり、それを食い止めるには連合に与する他無い。えぇ、論理的思考というものでしょうとも。ですが我が国と貴国には禍根がある。貴国の者の誰一人として知らぬ歴史の真実が、我らの憎悪を買い、この地を閉ざした」
「あぁ」
「貴方はそれを知った上で、エルマー様の威光を借りてこの場までやって来ました。我らに主の死を見せ、助力を乞うた。そのやり口は決して褒められたものではありません」
「自分でも、かなり性格が悪いと思う」
「えぇ、まったく。ただ、カグヤ達は知っている。それが黒野幸助であると。エルマー様もクロ様も、目的の達成の為ならばどんな手段だって採る。そして貴方の目的は、平和だと言う。偽りはありませんね?」
「無いよ」
「よろしい」
シキも膝をつき、五人が横並びになる。
その前に、カグヤが進み出た。
「連合の使者である貴方の交渉に応じ、ヘケロメタンは連合に加盟致しましょう」
彼女の瞳はもう、淀んでいない。
「ただ――カグヤの一存で全てを決めることは出来ないのです」
尤もな話だった。
どうやらヘケロメタンは十の小国を一つの国が束ねるという形をとっているらしい。
「都に五劔在り、十士十つ国に在り。何れも大稀人……ダルトラでは英雄規格? と言いましたか、超越者を抱えています。彼らの説得は不可欠です。ご協力を」
「あぁ、もちろん」
五人の中心で膝をつくシキが、口を開く。
「クロ様。我ら五劔、貴方様がエルマー様でなくとも、その気高き魂は変わらぬものと信じ此処に忠誠を誓います。どうかその燃ゆる志を、千年を経て再び我らの心に分火していただきたく。さすれば我ら一同、その輝きを以って大陸が闇を払いましょう」
「よろしく頼むよ」
幸助が微笑むと、カグヤは顔を赤くして視線を逸らしてしまう。
「トワ様を不幸にするわけにも、セツナを救った後で滅ぶわけにもいきませんからね。そういうことなのですからね!」
今はそれで充分だろう。
国家元首たる彼女が死を望んでいては、何も始まらない。
これで全てが解決なんてことにはならない。
だが、少なくとも、第一関門程度は突破したと言えるだろう。




