193◇重ねど重ねず
魔法具を起動してから、映像が終わるまでの間、誰も一言も口を開かなかった。
ホログラム映像のように展開される主の最期の時を、一瞬たりとも見逃さぬようにと努めていた。
精神汚染に侵され、僅かに残った自我で幸助に思いを託し、セツナに別れを告げた。
最後の最期に、『黒の英雄』エルマーは、黒野幸助として終わることを選んだ。
幸助は、こう考えていた。
理由や事情は分からないが、ヘケロメタンにはカグヤらのように当時を知る者が生きている。
彼らはどういうわけか、エルマーかあるいは同じ人物がいずれ現れるだろうと考えていた。
そしてそれを待っていた。今日この時まで。
何故だろう。
どうすれば、千年の時も主を待つことが出来るだろう。
もう一度逢いたいと願うならば、死を受け入れることの方が自然だ。
けれど彼らは生きて待っていた。
もし、幸助にそんな存在がいたら。
一生ついていけると、いや、一生を何度繰り返してもついていきたいと思える人がいたら。
あぁ、簡単だ。
その人と終わりまで行きたい。
エルマーが突如として封印され、そのことを知らされず、生死すら不明。
千年前の英雄達は、人の忠誠を甘く見ていた。
置いてけぼりを喰らった忠犬の選択まで考えが及ばなかった。
彼らは、主を待つのだ。
今度こそ、終わりまでお供出来るようにと。
死んでるに決まっている? 知るものか。もう逢えない? だからなんだ。諦めろ。馬鹿を言うな。
待ち続ける。
自分達はまだ、終わっていない。
エルマーを主君と定めた彼らの戦いは、まだ終わっていない。
彼らは今もなお、死に時を求めている。
映像が終わる。
「待ってください」
カグヤが立ち上がり、映像が展開されていた空間を掴もうとし、その手が空を切る。
そのまま躓き、地面に倒れる。彼女は立ち上がらず、啜り泣くように呻いた。
「待ってください。エルマー様。待ってください。カグヤ達を、置いて行かないでください。終わっていないんです。カグヤ達は、まだ、此処で、ずっと、だって、貴方がいないと、貴方の後ろでないと、貴方の下でないと、貴方の横でないとダメなんです……カグヤ達には、それしか……なのに……なんで……行ってしまわれるのですか」
もし、順番が逆だったら。
このことを事前に知っていて、エルマーに知らせることが出来たら。
……いや、彼を苦しめるだけだったろう。
もう、彼は英雄として務めを果たすことが出来る状態ではなかった。
あの終わりは、奇跡とさえ言えるものなのだ。
カグヤの肩に、シキがそっと手を添える。
「予想は出来たことだったろう。むしろ、我らの予想よりも上等な死を遂げられていた。クロ様、我らが主に安らかな死を与えて頂き、感謝致します」
アキハはシュカの胸で大泣きし、シュカも瞳を潤ませている。トウマは複雑そうな顔をしながら気遣わしげに周囲を見ており、ハルヤは無言で俯いていた。
「……クロ様は、我らに何をさせたいのですか?」
カグヤが赤くなった目許もそのままに、幸助を見上げた。
「協力してほしいんだ」
「協力?」
ふふ、とカグヤが笑う。小馬鹿にするように。
「何も知らないのですね。こう思っているのでしょう。我らは死にたがっていると。えぇ、そうですとも。けれど、何故そう考えるに至ったのだとお考えですか?」
「……カグヤ、よせ」
「エルマー様はあの時、あの日! 悪神を休眠に追い込んだ程度で安堵している人間共に仰ったのですよ。悪神は討滅すべきだと! 彼の者が魔物を操っていることは当時の人間には既知の事実でした。これを放置すればのちの世に不幸の種が残ると! 平和を望むなら、苦労の一切を我らが代で背負うべきだと! なのに! なのに人間共は! 武器を捨てたのです!」
「――――」
「今この世界に悪領が残り、人々が魔物に食われる恐怖から逃れられないのは! 千年前の人間達が、我が身大事に矛を捨てたからなのです! 充分戦ったではないかと。悪神を退治出来たのだから充分ではないかと。その胸中は明らかでしょう! もう戦いたくなかっただけだ! 彼らが欲しかったのは世界の平和じゃない! 自分達が生きている間の平和だったのです!」
神と悪神はお互いに疲弊し、休眠に入った。
あぁ、そうだ。
だからなんだ、という話ではあるのか。
悪神の影響下にある魔物は、悪領から這い出ようと動いている。人と神を害そうとしている。
なのに人類は、現状維持だ。
それは、その始まりは。
「エルマー様はご自身の状態に自覚的であられました! トワ様と逢うことはもう叶わぬと半ば諦められておられました! それでも! それでもあの御方は! あの人は! せめて狂うより先に世界を救おうとしていたのに! カグヤ達は最期まで付き従うつもりでいたのに!」
「……そう、か」
『蒼の英雄』クローズ達がエルマーを封印した理由は、まだあったのだ。
エルマーなら、悪神を倒すことが出来たかもしれない。
悪神の全てを喰らい、悪神の力の全てを手に入れられたかもしれない。
カグヤ達部下は信じていた。それで世界が救われると。
英雄達は危惧していた、悪神となった時、エルマーにはもう正常が残っていないだろうことが予期出来たから。
それは単に、世界一の英雄が新たな人類の敵になることを指す。
英雄達は、世界を救おうとしたエルマーから、世界を救おうとしていたのだ。
けど、カグヤ達はそうは受け取らなかった。受け取れるわけがなかった。
「あの英雄共が、エルマー様を、あのような場所に! 千年も! 我らにだって……何をしたか……! それなのに、彼奴らめが築いた国の危機を我らに救えと仰せか! クロ様! 貴方はそれを是とするか!」
「あぁ、そうだ」
即座に返す。
一同の目が見開かれる。
「な、にを」
「戦いたがらない人間達がいた時、エルマーは『じゃあやめよう』と言ったか?」
「――――ッ!?」
トウマとトワを除く全員が、明確に過去の一場面を思い浮かべたように、顔色を変えた。
「どうでもいいんだよ、誰が何を考えているとか、誰がむかつくとか。目的があるんだ。そこに向かう以外は全部どうでもいいことだろ」
シキだけが、嬉しそうに微笑む。
「……して、クロ様の目的とは」
「戦争を終らせる。んでもって――悪神を討滅する」
カグヤが言葉を失ったように口を開閉すると十秒ほど続け、どうにかといった具合に言葉を発する。
「それは、エルマー様の」
「違うね。俺は諦めない。妹も、世界も、自分も、お前らも。エルマーじゃない。俺が、クロが、お前らに用意してやる」
「…………死に場所を、ですか?」
それは、昏い期待。
主と共に戦いきりたかった。最期までついていきたかった。
それが叶わなかった忠臣達に残った、狂気。
だが、そんな後ろ向きな活力ではだめなのだ。
だから、その意識そのものを変えてもらう。
「いや――生きる場所をだ」




