191◇淀んだ清廉
どうにかカグヤを説得し、思い直させる。
「…………うぅ。こうす……いえ、クロ様のご命令とあらば、不肖カグヤ、この罪を背負ったまま生きていくことと致します……うぅ」
「カグヤ様。クロ様の妹御であらせられるトワ様が、あの程度でご機嫌を害されるような御方だとお思いですか? ねぇ、トワ様?」
シュカが少し困ったようにトワに微笑み掛ける。
「あ、はい。トワ、全然気にしてないので、だから、あんまり落ち込まないで……ください」
カグヤはトワを見つめるように顔を上げ、ぽろぽろと大粒の涙を流し始める。
「お優しぃ~……うぅ。ご兄妹揃ってなんて……なんて……尊い」
……尊いときたか。
彼女達の対応が大げさというより、そこまでの恩や忠誠を感じるほどに、エルマーという人物がしたことは大きかったのだろう。
自分より、五年程年上の黒野幸助。
「…………そろそろよろしいでしょう、カグヤ様。本題に入られてはいかがです」
「トウマ、まったくあなたという者は正しいわね」
「は、はぁ……左様で」
「けれど! けれど、も! なのよ! カグヤ達がこの日を一体どれだけ待っていたと思うの? もう少し感慨にふけるくらいは許される筈だわ! 具体的にはそうね……一年は国を挙げて祝福しましょう」
「さすがカグヤ様です、冗談がお上手ですな」
「えへへ、でしょう? ……冗談じゃなくてよ?」
カグヤの瞳から光が消える。
トウマは心底困ったような顔をして、シュカを見た。
そんなシュカは頬に右手を当てて微笑む。
「あらトウマ。困った時真っ先に視線を向けるのがわたくしだなんて、嬉しいわ。好きな人に頼られて嬉しくない人なんていないもの」
「そうか、ならば存分に助けろ」
「悲しいことに、わたくしではこうなったカグヤ様をお止めすることは出来ないの。クロ様、どうかお言葉を……? どうなされました?」
幸助とトワは表情を硬くしていた。
どれだけ待っていたと思うの? と言ったか?
彼女達は何らかの理由で、エルマーの時代から生きている?
千年も?
薄々可能性には気付いていたが、改めて聞かされると衝撃だった。
「クロ様」
再度シュカに声を掛けられ、どうにか対応する。
「あぁ……カグヤ」
「はい! カグヤです!」
しゅたーんっ、と機敏に正座し、カグヤは幸助を見上げる。静聴の姿勢。
「気持ちは嬉しいよ、けど――」
「はい! カグヤも嬉しいです! まさしく天上の……いえ、これはあの神風情の住処を称えるようで好ましくありませんね、ですからそう、至上の喜びにごさいます!」
「……うん。だけど俺達は、頼みがあって来たんだ。長くはいられない」
カグヤは笑っている。
笑みのまま、固まっている。
「戦ですか?」
その声は明るい。
明るいのに、平坦だ。
「…………あぁ」
「我らに兵を出せと? エルマー様を闇に葬った者共の末裔を救う為に?」
彼女達の言い分は尤もだ。
愛する者がいたとする。
他の誰かの為に、自分の愛する者が犠牲になってしまうとする。
他の誰か達は、それを苦しみはすれど過去と受け入れ、あるいは何も知らず先へ進むのだ。
愛する者を失った自分を残して、未来へ向かっていくのだ。
そして、ある時、言う。
助けてくれと。
そんな都合のいい話があるだろうか。
ましてや、彼女達の恨みは――千年も積もり積もっているというのに。堆積した怨嗟は既に山積と呼ぶまでに至り、その標高は天を貫いてもまだ足りぬことだろう。
「そうだ」
「――――――――ふふ」
カグヤが楽しそうに笑った。
なのに、室内の重力が数倍になったかのような圧力が放たれる。
「カグヤ様、お待ちになって……? セツナが生きています。アークスバオナに囚われ、救出の時を待っていると聞きました」
「でしたら、クロ様。セツナの救出をお命じになってください。総力を挙げて救い出します故」
「……ですが、カグヤ様。それではセツナ殿を救ったのち、連合が滅びた先に我らも滅びの道を避けられませぬ」
「あら、トウマ。ほんの少し逢わない間に考えを変えたのね? クロ様の来訪を、あなたは望んでいなかったとカグヤは思っていたのだけど」
「……それとこれとは、話が違いましょう。わたしはただ……同胞が笑える未来を求めているだけです」
「そうね。だからあなたを五劔に任命したの。でもおかしいわ。それじゃあまるで、今あなたと主張が対立しているカグヤは同胞が笑える未来を求めていないみたいね?」
「笑える未来の解釈が違うのでしょう。わたしは、生きることを前提にしておりますから」
トウマは一歩も退かず、カグヤに提言を繰り返す。
一瞬だけ、幸助に視線が向いた気がした。
先程シュカに向けていたものと同じ意味だとすれば、今トウマは――。
「ふふ。そう。そういうこと。あなた、否定するのね? カグヤ達の――」
彼女の言葉を遮る。
「カグヤ」
彼女は嫌な顔一つせず言葉を切り上げ、微笑んだ。
「はい。カグヤです」
「セツナとエルマーは、約束をしていたらしい。知ってるか?」
カグヤが眉を顰め、シュカが綻ぶように笑う。
「『お前の幸せを探してやる』ですね。わたくし、その場におりましたもの。懐かしい……」
「……あの御方らしいお言葉。ですが、それがどうしたというのでしょう」
「お前らはエルマーを待っていた。詳しいことは分からないけど、エルマーもセツナも直接知ってるんだよな」
「……はい」
「なんで待ってた?」
「――――」
シュカが悲しげに目を伏せ、カグヤが固まった。
「エルマーに望んでいたものがあるんだろう? 俺にエルマーを見ているんだろう。けど、俺はあいつじゃない。お前らにとっての黒野幸助はあいつであって、俺じゃない」
「………………そう、思うのなら、何故此処へ参ったのです?」
エルマーと幸助の関係は特殊だ。同じ人間で、違う存在。
彼女達は、エルマーとの再会を望んだ。いや、あるいは彼と同質の存在との邂逅を。
どちらにせよ、その理由があるのだろう。トウマの言葉からも見当はつく。
だが、それではだめなのだ。
だから、まず対話が可能な状態になってもらわなければならない。
幸助の後ろにエルマーを幻視するような状態の領主では、いつまでもまともな話し合いは始まらない。
だから、言う。
「エルマーの最期を見せよう」




