183◇忠犬と、妬く狐
現状で幸助とトワが抜けることは、あまり推奨されることではないだろう。
だが、どうしても必要なことだった。
それに、頼れる英雄もいる。
その後二人は、王都の東門に向かった。
見送りには、彼女が来てくれている。
「……クロ。行くの?」
『白の英雄』クウィンだ。彼女は兄妹同様軍服姿。
「あぁ、行ってくるよ」
旅団戦を経て、彼女には変化が表れていた。
一つ、英雄という役割を彼女自身が受け入れたこと。
もう一つは、瞳だ。表情、と言っていいかもしれない。
以前のような無表情と茫洋とした視線は、彼女の心の問題に起因していた。
それが解消された彼女は、少しだけ普通の少女のようになった。
喋り方も、基本的に表情が無いのも同じ。
だが、感情の変化はしっかりと表れるようになった。
喜怒哀楽が、しっかりと態度に出るようになったのだ。
それはとても、喜ばしい変化だと思う。
「留守は、任せて。……トワも、気をつけて」
彼女の言葉が意外だったのか、トワは目をパチクリさせている。
「あ、ありがと。……クウィン、やっぱ変わったね」
「うん。変えてくれたの……クロが」
彼女の瞳に、もはや鮮血を垂らしたような紅玉という印象は無い。その紅は少女の心模様を反映し、まるで万華鏡のように美しさの種類をその時々で変えていく。
柔らかい笑顔は、大切な思い出を思い出しているようだった。
「それで、クロ」
「あぁ」
クウィンはそこで俯きがちに、ぼそぼそと言う。
「……び……しい」
「ん?」
「わたしも、がんばる……ので、がんばる……わけ、だから、つまり……」
「あ、『ご褒美ほしい』? わっ、人間変わるもんだね……」
トワの言葉に、クウィンがコク、と頷く。表情は見えないが、耳が赤いので恥ずかしがっているようだ。
「お前も昔はすぐ泣いて『コウちゃんコウちゃん』うるさかっただろうが。人間は変わって当たり前なの」
「そ、そんな昔のことなんて覚えてないし!」
顔を真っ赤にしているあたり、ばっちり覚えているようだ。
「でもなぁ、ご褒美って言われても……まぁ、俺に出来ることなら」
少しでもやる気が出るなら、断る理由は無い。
一度敵側に渡り、幸助と敵対することで殺されることを望んだ彼女としては、ダルトラは心地いい場所ではないだろう。そういった場所で踏ん張るには、何かしら心の拠り所があった方がいいのかもしれない。
人の身体は、栄養を補給すればそれで動くというわけではない。陳腐な言い方かもしれないが、心こそが原動力なのだ。
「大丈夫。すぐ出来るものだから、前払いを要求する」
「すぐ出来ること?」
「キスでいい」
「……それはちょっと」
「『妹は見た、兄・黒野幸助が白昼堂々と浮気する現場を』」
「やめろ。してねぇだろ」
「だめ……?」
悲しげに見つめられると心が痛むが、さすがに了承出来ない。
「それなら、口づけでもいい」
「同じだな? 言い方変えただけだよな?」
クウィンは見ているこちらが申し訳なるくらい消沈した。
それでもすぐに顔を上げ、言う。
「じゃあ、頭を撫でてくれればいい」
ハードルはグンッと下がったが、これはこれで彼女らしからぬ要求だ。
しかし、理由を聞いて納得。
彼女には直接の両親というものがいない。
造られた生命体である彼女には、人並みの幼少期というものが無かった。
けれど、彼女には心があった。非業の死に囚われながら、『人並み』を羨んだこともあるという。
その中の一つに、親に頭を撫でられる子供、というものがあった。
ただ頭を撫でられているだけなのに、子供たちはとても嬉しそうに笑う。
試しに自分で自分にやってみるも、何も感じない。
だが、親のいないクウィンは、頭を撫でてもらうことも当然出来ない。
「それでも、知りたい。……撫でられるなら、クロがいい。クロじゃなきゃ、いやだ」
もしかすると、最初からそれをお願いしたかったのかもしれない。
最初に無茶な要求をすることで、本当の要求を呑んでもらいやすく――なんて考えではなく。本音を外に出すことに不慣れな少女が、気恥ずかしさをなんとか誤魔化そうとして。
さすがに、それを聞かされて断る幸助ではない。
すすす、と近づいてくるクウィンの頭をそっと撫でる。
「………………」
「……えぇと、クウィン」
「…………あと、もう少し」
それから十秒ほどして、彼女は「ありがとう」と言って離れた。
「それじゃあ、わたし、仕事あるから」
顔を隠すようにして、彼女はその場を去ろうとする。
燃えるくらいに耳が赤くなっていることに、本人は気付いているだろうか。
遠ざかるクウィンを少し目で追って、そこで幸助はそれに気付いた。
噴水の近くに立っている、フードつきの外套を羽織った人物。
こちらをじいいいっ、と注視しているのは、桃色の髪の少女。
狐耳の亜人『天恵の修道騎士』イヴだった。
幸助と目が合うと、恐ろしいくらいに可憐な微笑みを浮かべて、そっとその場からいなくなってしまう。
「……コウちゃん」
「……あ、あぁ」
「日本人だし、火葬でいい?」
「俺、死ぬのか!?」
「確実に刺されるよね。あの子ヤ……病て……とても純粋みたいだし」
「……お前ほら、妹だろ? 兄ちゃんを助けてくれよ」
「あはは」
「笑い事じゃないんだが……」
「まぁ大丈夫でしょ……多分、おそらく、余程のことがない限り?」
「冷たいやつだなぁ」
「色恋沙汰で妹に縋るお兄ちゃんとか、かなーりダサいと思うけど」
尤も過ぎて何も言い返せない幸助だった。
そろそろ出発するかと考えたところで、グラスに通信が入る。
ほぼ同時に、二つ。一つはシロから。
『ゼスト前来て! 緊急! 今すぐ!』
もう一つは、そのゼストの警備隊長レイスから。
『案内人殿と共に来た少女の件で至急お話が!』
「……先にちょっと寄るところが出来た。急ぐぞ」
『黒』でワイバーンを創り出し、その上にトワを放り投げる。
「え、ちょっ、わっ」
驚きの声を上げながらも、彼女は小竜の背に綺麗に腰を下ろした。
幸助は彼女より前の位置にまたがる。
ワイバーンが飛んだ。
「そんないきなりっ、な、なにかあったの!?」
「振り落とされないように気をつけろ」
トワは不満げな声を上げるも文句などは言わず、幸助の腰に手を回した。
「……いや、離してくれないか? 気持ち悪いんだが?」
「は、はぁっ? じゃあ他に掴むところとか用意してくれますっ!?」
その手間が惜しいので、幸助は黙って速度を上げた。




