181◇あるいはそれすらも
『黒』によって神の実体を『併呑』することが、もし叶えば。
性質を獲得するという特性から、神に等しいどころか神そのものの力を得ることは出来るのだろう。
『黒』が神に通じることは、エルマーや幸助、グレアが概念属性を手に入れていることからも窺える。そもそも、エルマー自身は明確に悪神の一部を喰らっているのだ。
神を喰らうことが可能であると、多くの人々が知っている筈。
それでも考えが及ばなかったのは、あまりに荒唐無稽だから。
「あれあれ……ぼく、もしかしてなんか変なこと言っちゃったりしちゃったり?」
マキナが頬を掻きながら、困惑したように言う。
「いや、マキナさんがどうこうってわけじゃないと思うよ……」
トワが控えめにフォローを入れる。
「変なことどころか、ありがたいよ」
偽らざる本心だ。
アークスバオナ帝がグレアを神にしようと目論んでいてもおかしくない。
それに気づけたことがプラスになることはあっても逆は無いだろう。
だが、そうなると彼が持つ概念属性はどこから手に入れたのか。
悪神の実体があるならば、既に『併呑』し神へ至っている筈。
それが出来ない事情があるか、別の方法で概念属性を手に入れたのか。
「あのねあのね、話にはもう少し続きがあるんだけど、いいかな?」
「あ、あぁ……」
幸助が小さく頷くのを確認してから、マキナは口を開いた。
「ではではいきます。『黒』は神に至ることが出来る力、というわけなんだけど。さっき言ったように、神は与える力を制限している。これは矛盾するよね?」
エルマーは言っていた。
色彩属性保持者に課せられた狂化の枷とでも言うべきそれは、神化の防遏であると。
マキナの言うように、人が神に至れぬよう制限を設けた。
だが、『黒』はそこから外れることが出来るという。
最初の最初、『黒』を用意した時点なら、神でさえ失敗は犯すのかもしれないと思える。
だが、ミスに気づかぬ無能ではないだろう。
つまり、二度目以降の『黒』保持者、幸助やグレアに『黒』が割り振られたのは、神がその機能を知りながら許容しているから?
「……神には、人が神に至る抜け道を用意する――理由がある?」
マキナは幸助がその答えに至ってくれたことが嬉しくて堪らないとばかりに唇を緩め、こくこくと何度も頷く。
「そうそう! そうなんだよ! そう思うよね? 思っちゃうよね! ある筈なんだ! 理由がどこかに! ナノランスロット卿! 何か心当たりとかない!?」
口許に手を当て、しばし考える。
―一年の時が巡る内に悪神の討滅が叶わなければ、魂が消滅する。
幸助にかけられた呪いだ。
これは、もしかすると単純に悪神を滅ぼせということではないのかもしれない。
幸助が神を滅ぼすとなれば、当然『黒』での『併呑』を選ぶだろう。
そうすれば、幸助は悪神の力を手に入れる。
それで……その先は?
「ねぇねぇ、ナノランスロット卿?」
気付けば、マキナが真下から表情を窺うようにこちらを見上げていた。
好奇心旺盛な瞳で、上目遣いに見つめられる。
「ん、あぁ、そうだな。どうだろう。単純に受け止めるなら、神を作りたい、とかか?」
「うんうん、ありえるかも。ただ、それだともう少し制限が緩くてもいいと思うんだよね。神になれる方法、なんてものがもっと多く、明確に用意されていてもおかしくない。けどそうじゃないから、きっと違う。ぼくは、そうだなぁ――次代の悪神を作りたいから、ってとこじゃないかと思うんだ」
「…………あぁ」
そちらの方が、正解に近いと幸助も感じる。
悪神は魔物を率い、神と人に仇なした。
結果は人類側の勝利と記録されているが、完全勝利とは言えない。
魔物の脅威はのちの時代に残り、悪神もまた消滅することなく休息についた。
神と太古の英傑が率いた兵士達の力でも滅ぼせない程、悪神は強力な存在なのだ。
だが、もし悪神の『併呑』が叶えば――神の力を継いだ人が残り、代わりに神と敵対したという意味での悪神は滅びる。
その時、悪神の力を手に入れてしまった『黒』の保有者を、神はどうするつもりなのだろうか。
千年争ってきた悪神より余程、相手取るのは容易いそれを、放置するのか、共存の道を提示するのか、あるいは――。
「ねぇねぇ、ナノランスロット卿はどう思――ぐぇ」
その時、彼女のコートの襟を引っ張る者がいた。
グレイだ。
「こほっ、喋り過ぎだ。時と場合を考えろ」
グレイが一瞬、幸助を見る。
幸助は内心で感謝した。
今、この場にはトワがいるのだ。
妹に要らぬ心労を掛けたくはない。
呪いのことも話していないし、マキナが話す筈だったことも聞かれたくはなかった。
師匠の言いたいことを察したのか、マキナは「うーうー、分かったから離してよ。おっぱい押し付けるよ?」と脅しなのかなんなのかよく分からない言葉を返している。
「女性がそういったことを口にするものじゃあない」
マキナは不満げに頬を膨らませる。
「あーあ、そういう古臭い考え、魔術師としてはダメじゃない? 女らしさとか、男らしさとか。そういう風に縛りを設けるの、ぼく嫌いだなぁ」
「そうか。男の弟子だったら頭を引っ叩いているところだったんだが、今からでも――」
「うそうそ! ぼくか弱い女の子だから暴力しないで! きゃあ」
すぽっ、とばんざいの姿勢をとりながら腰を下ろし、彼女は拘束から抜け出す。
グレイの手にはコートだけが残った。
……今気づいたが、彼女にしては大きいそのコートは、元々グレイのものなのだろう。
彼女は逃げるようにトワの背中に隠れる。
「ねーねー聞いてシンセンテンスドアーサー卿! 師匠ったら酷いんだよ。いつも朝になったら起こすし、朝昼晩食べろとか言うし、服はちゃんと着ろとか言うし、お風呂は毎日入れとか言うし、健康に気を遣えなんて言うの! ひどくない!?」
「……えぇと、ど、どのあたりがだろう」
完全に子煩悩なお母さん、といった感じだった。
「だってだって、ぼく研究しかしたくない。興味ないことしたくないんだもん! 仕方ないよね!」
「…………どう、なのかな。トワにはちょっと、判断がつかないけど」
「こほっ……。友の娘を預かっているのだ、その程度の干渉はする」
うっ、とマキナが一瞬声を詰まらせた。
グレイからすれば、弟子以前に亡き親友の忘れ形見でもある。
母親の許を離れ自分に師事している以上、親代わりを務めようとすることは彼なりの責任の示し方なのだろう。
マキナもそれは理解しているらしく、返す声も弱々しくなる。
「でたでた、それ。それ言われるとねー……さすがのぼくでも、ちょっと言い返せないけども。しかーし! あんまり引きずり過ぎないのも優秀な魔術師の素質!」
「こほっ。……それは、師の言葉を軽視することを正当化していい理由にはならない」
「ふっふ……それはどうかな? 今のぼくには、シンセンテンスドアーサー卿という盾があーる! いくら師匠でもこれを越えてぼくにお説教は出来まい!」
なんとも他力本願な自信だ。
しかし、トワの背中越しにマキナが笑いかけてきたのを見て、幸助はそれが気遣いであると悟った。
研究しかしたくないと言いながら、彼女には他人を気遣う心がちゃんと備わっている。
話題を逸らし、トワを巻き込み、意識を遠ざけてくれたのだ。
もし、神の望みが。
エルマーに『黒』を与えた時点から変わっていないなら。
より御しやすい悪神を求めてのことなら。
エルマーも、幸助も、グレアも。
悪神候補なのかもしれない。
だとすれば、幸助は一年以内に悪神を滅ぼさねばならず。
また、悪神を滅ぼす過程で悪神の力を手に入れ。
神がそれを許さなかったなら、その時は――滅ぼされる予定なのかもしれない。
そんなこと、妹に聞かせられるわけがなかった。
 




