180◇それは黒い鍵
稀代の魔術師グレイが幸助を呼んだ理由とは――引っ越し作業の手伝いであった。
「…………まぁ、いいけどさ」
頼まれれば理由も納得出来る。
グレイは研究所を私宅から軍の施設へと移すことになった。以前アリスが暗殺を敢行せんと現れたように、安全性という点で不安が残るからだ。
彼は幸助にとっても不可欠の存在だ。それは国家や連合にとっても同じで、グレイは有用性だけで言えば英雄規格にさえ匹敵するといえる。ただ、そうでありながら戦う力は持たない。
だからこそ安全な場所へ拠点を移した方がいい。
ただし、彼はややアナログ志向らしく、研究室には紙の資料なども多い。それらを軍の人間に運ばせることは出来る。だが、その人員に間者が紛れ込まないとも限らない。
情報の流出を完全に防いだ上で、必要な資料や機材をまとめて運べる人材と考えて、幸助が思い浮かんだのだろう。
幸助にとっても彼の安全確保は優先事項。
というわけで、幸助は彼の研究室全体を『黒』で覆い、部屋中のものを一時的に収納する。
「わー! わー! これが『黒』!? 初めて見たけど、なんか…………すごく、黒いね!」
幸助は部屋の中心に立っており、三人は入り口前で待っている。
そんな中、マキナだけが瞳を輝かせて大はしゃぎしていた。
「ねぇねぇ! ナノランスロット卿、触ってみてもいいかな? ちょっとだけだからさ、人差し指でつんつんするだけだからさ!」
遊園地に来た幼子さながらに興奮した様子のマキナ。
幸助は淡く苦笑しながら、作業を終え部屋の『黒』を消す。
そして、彼女の眼前に球体状の『黒』を浮かせた。
「えっ、えっ、いいの? やったやったー! ふわぁ……あ、思ってたより硬い……攻撃に利用するんだから当然なのかな……いやでもさっきは水みたいだったよね……そうしたら形状だけじゃなくて硬軟も自在ってことに……? この性質変化は『土』属性っぽいなぁ……っていうかこの浮いてるのはどうやってるの? 『風』属性? それとも……いやでも……これがこうなら……たとえば……」
思考に没頭しているのか、彼女は独り言をぼそぼそと漏らす。
グレイは「またか」とでも言いたげに額を押さえたあと、柔らかく口の端を曲げた。
人としてはともかくとして、研究者としては咎められるものでない、といったところか。
「この娘も色彩属性に興味が?」
「興味を持っていない魔術師などいないだろうな」
「そうなのか」
そうかもしれない。
研究したくても実例自体が極めて稀な色彩属性。
叶うなら、調べてみたいと考えるのは技術者なら当然のこと、なのか。
「ところで、クロ」
「ん?」
「こほっ……。わたしも触ってみていいだろうか」
今の空咳は少しわざとらしかった。
幸助は吹き出すように笑ってから「もちろん」と許可を出す。
「あれあれ? 師匠ってば友達なのに触らせてもらったことなかったんだ? ごめんね、弟子なのに抜け駆けしちゃってさー」
「まったくだ」
正確には、グレイは何度か『黒』に触れたことがある。
だがそれはアリス確保の為の作戦中で、じっくりと観察するような状況でも心境でもなかった。
ぶつぶつと互いに意見を交わし始めるグレイとマキナ。
そんな二人を生暖かい視線で眺めながら、トワがとことこと近づいてくる。
「……コウちゃんは変な女の子にばっか好かれると思ってたけど、女の子に限らないかも」
「変でもいいよ。グレイは頼れる友達だ」
「そう……。あ、言っとくけど、今の悪口じゃないからね」
彼女はそっけなく呟いて、前髪の内、長い方の毛先を指でくるくると弄る。
「なんだよ」
「べっつにー」
「拗ねてるだろ」
「はい? 拗ねてなんかないんですけど?」
確実に拗ねている。
拗ねてますとばかりにそっぽを向く始末だ。
少し考えて、思い至る。
彼女は妹として守られるのではなく、幸助に頼られるようになりたいと考えていて。
それが上手くいっていない中、幸助が迷うことなくグレイを頼れる友達なんて言ったものだから。
自分はそこまで至っていないことに気付いて、落ち込んだのかもしれない。
ただ、それをそのまま言うことも出来ないから、拗ねるしかない、という感じだろう。
可愛いところもあるものだ。
もちろん、幸助だってそれを口に出す程素直じゃない。
代わりに髪をくしゃくしゃと撫でる。十八にもなった兄妹がすることではないかもしれないが、五年の空白を思えば許容範囲だろう。
「な、なにすんのさ。女の子の髪型を崩すとは許すまじ!」
頬を膨らませる彼女だが、先程より少しだけ楽しそうに見えたのか錯覚か。
「あのさあのさ! ナノランスロット卿! 聞いてもらってもいいかなっ」
「ん、あぁ」
呼ばれたのでマキナに視線を向ける。
「あのねあのね、色彩属性って色づけっていう特徴が付与された概念属性じゃないのかって説があるんだけどね、あ、これアークレア信徒に言うと『主の力を人の規格に落とすなど許されない』とか言われたりしちゃうんだけど、ナノランスロット卿は平気?」
「……あぁ、大丈夫だよ」
「そっかそっか。それなら話は早い。でね、ぼくはこれ正確じゃないと思うんだ」
「正確じゃない?」
幸助もエルマーも、色彩属性とは人に許された概念属性という解釈をしていた。
実際、そう間違っていないように思うのだが……。
「そうそう。正確には概念属性の一面を削りとって、その他属性を混ぜ合わせたものなんじゃないかって。低性能化っていうか、人間用に調整されてるっていうか。だって神が『併呑』や『否定』とか『進行』『途絶』『生命』とか使ってるなんて記述は無いでしょう?」
「……続けてくれ」
「でもでもね、その上位互換の概念属性は存在するんだ。『創造』と『破壊』。呑み込むのも、無かったことにするのも、先へ進むのも、これ以上進めなくするのも、命への関与も、全てはその二つの一面でしかない。要するにぼくはこう思うわけさ」
「現状明らかになっている色彩属性は、概念属性を劣化させたものに過ぎない? いや、色彩属性に限らないな」
話を聞いてみれば、なるほど納得出来る話ではあった。
幸助の反応に、マキナは嬉しそうに何度も首肯する。
「そう! そうなんだよ! まぁ『創造』と『破壊』は魔法の枠に収まらないから概念属性に入れるのはどうなんだって話もあるんだけど、そうすると話は簡単になるんだ。神は人に力を与えたかった。けど、人は自分達が作ったものだ。創作物に、創造主が超えられるなんて滑稽な話はないよね。だから神は与える力を制限する必要があった。けど普通の属性じゃ悪神に立ち向かうには足りない。だって神だし、神を超えられないってのが普通の属性に課せられた制限なんだから。じゃあどうすればいいか」
そこから先を、幸助は知っている。
神がエルマーや全ての色彩属性持ちに植え付けたのは、狂化の種。
もう一段階神に近づくことを許す代わりに、過ぎた力の行使で正常を奪う制限。
神に近づき過ぎれば正気を失い、人類がそれを処理すべき脅威を見做すという自浄頼みの策。
確かに、神が概念属性をそのまま人に与えたと言われるよりかは、余程それらしくはあった。
「ふふっ、でもね、神は一つだけ設計ミスをした。そうでしょう? ナノランスロット卿」
マキナは興奮冷めやらぬ様子で幸助を見上げる。
「だって、『併呑』だけはその制限を超えられる。本当の概念属性を手に入れられる。もし神を完全に喰らうことがあれば、『創造』と『破壊』だけじゃない、神の性質すらも手に入れられるんだ!」
それは、つまり。
「もし、もしもだけど、神が実在するなら、それを呑み込むことで『黒』の保有者は神になれちゃうってわけなんだ!」
突拍子もない仮説だ。
子供の妄想ではあるまいし、神になるなど。
幸助はそんなもの望まない――いや、問題はそこではない。
そうだ。幸助は望まない。そんなもの、欲しくはない。
だが、幸助以外は?
この時代にはもう一人、『黒』の保有者が存在する。
そして彼の所属する国家は、異界への侵攻を目論んでおり。
神は、次元を超えて死者をアークレアへと召喚する権能を持っている。
仮に、グレアが悪神なり神の全てを喰らえば。
いや、グレアに限らず、アークスバオナ側に『黒』持ちが現れて同じことをすれば。
アークスバオナの目的は――叶ってしまう?




