177◇邪魔立ては蒼により
色々教えろと、ジャンヌは宣った。
セツナの返す言葉は決まっている。
「断る。そもそも、裏切り者の……エルフィといったか、あの女に記憶を探らせれば済む話だろう」
拷問ならば耐えられる。心の折れない限り、情報を守れる。
だが、それを飛び越えて情報の抽出を行うエルフィの魔法には、セツナとて抗えない。
ジャンヌは愉快げに手を合わせ、小さく首を横に揺する。
「あはは、そう出来れば話は楽なんだけど、そうもいかなくてね。まず、エルフィは旅団のメンバーだ。あれは独立した兵団で、皇帝直属なのさ。だから陛下のお言葉が無いとわたしでも自由に使えはしない。新たな任務に必要として、きみの身柄を引き渡してもらうのが精々だったよ。もう一つは、単純に断られた。旅団が自ら協力する形ならぎりぎり問題にはならないからね、頼んだんだけれど『お断りよ』って一蹴さ。きみ達仲良かったの?」
「さぁな」
答えつつ、セツナは安堵する。
エルフィとルキウスは仲間を思う気持ちを、真に捨てていないのだ。
だから、クロの従者であるセツナの記憶を覗くことを断った。
エルフィはクロが裏切り者を探す際に用いた記憶精査を誤魔化す程の腕を持っている。
そもそも、クロの使用している精神干渉魔法は彼女の『神癒』を下敷きにしている。
『治癒』属性の延長による脳への干渉とやらで、彼女を凌ぐ能力の持ち主はいないだろう。
そして、セツナの脳には干渉を拒絶する魔法が掛けられている。クロの手によってだ。
万が一の可能性を、彼は考えていた。
エルフィがどこまで知っているかは分からないが、彼女が断った以上、セツナから情報が漏れることはない。
自分が主を裏切ることなど、有り得ないのだから。
だが、そんなセツナの胸の内を哂笑するように、彼女の唇が弧を描く。
「安心したね。うん、確かにエルフィより他に、クロノの仕掛けたロックを解除出来る遣い手はいない。そして、きみは自分の忠誠心に余程自信がお有りのようだ。あぁ、一安心なんだろうとも。けど大丈夫かい? きみは、口を利ける状態なんだよ? その可憐な唇から、鳥が囀るように主の情報が漏れないとも限らない」
「そんなことは、有り得ない」
「有り得ないなんてことは、無いのさ。神が実在し、異界より死者を召喚するような世界で、起こり得ないことなんて、無いんだよ。だからさ、猫のお嬢さん。謡っておくれ、きみの主はどんな人物で、何を重んじ、どこまで出来るのか。緘黙は自由だけれど、遅いか早いかの違いしかないよ」
「ならば、限界まで遅らせよう。それが主の扶けになるのであれば、迷いは無い」
「主の起こす遅延に手を貸すかい? 従者の鑑だね。それで、彼はきみにどう報いてくれるのかな。妹を救う為にきみを使い捨てた男に」
「ふっ」
堪え切れず、吹き出してしまう。
ジャンヌは初めて、怪訝そうな顔をした。
なるほど確かに、ジャンヌは観察眼に優れているのかもしれない。
だが、記憶までは覗けない。反応や発言からの予測は、あくまで予測でしか無いのだ。
「逆だ、盲目の将よ。とうの昔に、報いるべきはわたしになっている」
ジャンヌは致命的に勘違いしている。
セツナは『こうすけさん』と『クロ』を同一視こそしていないが、完全にわけて考えているわけでもない。彼らは別人で、けれど同じ人物なのだ。
千年経ても返し切れない恩を受けているのは、自分の方だ。
クロとトワへの助力に、見返りなど求めようとさえ思わない。
「なるほど、よくわかった」
ジャンヌの顔から、先程までの表情が消える。
皮を剥ぐような、唐突な変化だ。
そして、セツナは自身の失敗に気付く。
ジャンヌは観察眼に優れている。
だからこそ、必要なのは情報。
どんな時に、どんな反応と言葉を返すかの記録。その蓄積によって、彼女は真価を発揮する。
「ありがとう、きみの言葉で一つの疑問が氷解した。ルキウスエルフィ両名及び間者からの報告で、きみがクロノの従者となった時期はギボルネ訪問時と判明している。彼がきみに何をしてあげたのだとしても、『とうの昔に』なんて表現はそぐわない」
「…………っ」
「彼が概念属性を使用したのは、旅団の暗殺阻止の件が初だ。グレアとの初遭遇時に使用出来ればそうしただろう。ダルトラ国内に彼に概念属性使用を可能とする『併呑』材料があったとしても同様だ。再戦時までの時間で彼が王都ギルティアスを出たのは、ギボルネ訪問のみ。訪問理由は『黒き獣』の確認。帰還した彼は、概念属性に留まらない成長を遂げ、きみを連れていた。さて、これはどういうことだろう」
セツナは何も言えない。もはや、発言それ自体が彼女の扶けとなると理解したからだ。
あるいは、沈黙すらも。
「エルマーとクロノは同一人物なんだね? いや、同じ個体というべきかな。そういった例が確認されたなんて情報は無いけど、その辺は今後調査するとして。面白いなぁ、なら、異界の何処かに別のわたしもいるんだろうか? 例えば、目が見えるわたしとか? ……なぁんてね」
背筋に悪寒が走る。
目の前の敵将は、常識という鎖に縛られていない。
だからこそ、その想像力はどこまでも自由で、その思考は減速を知らない。
その性質は、セツナの主のものと同種のものだ。
起こり得ないことなど無いと彼女は言った。
だからこそ、どんな荒唐無稽な予測も可能で、即座に受け入れてしまう。
ジャンヌは新しい人形を手に入れた少女のように、胸を掻き抱き、くるりとターンする。
だというのに、感じるのは愛らしさなどではなく、悍ましさ。
「なら、神話に残るエルマーの活躍も考慮に入れないとね。彼の最期が記されていなかったのは、記せなかったからか。その辺も是非聞きたいけれど、今回は我慢しよう。大事なのは過去ではなく今後のことだからね。いやぁ、捕まえられたのがきみで良かったなぁ。トワイライツでは精々為人くらいだろうが、きみならより多くの情報を持っている。だろう?」
「……………………」
「あぁ、安心して欲しい。きみを殺すことだけはないよ。きみと捕虜達の引き渡しを条件に、彼を誘き寄せるつもりだから」
「――――っ」
「怒らないでおくれよ。きみの主が、その程度の取り引きに応じる心優しい人間であると分かってしまったじゃないか。強くて優しい。素晴らしいね。真正面から挑むのは得策じゃあない。なら搦め手だ。きみの言う可愛らしい戦略で、きみの主の首を刎ねてみせよう。楽しみだね?」
発言も黙秘も、表情どころか微細な変化さえも、彼女にとっては有用な情報となってしまう。
「さぁ、子猫ちゃん。きみのご主人様が丸裸になるまで後どれくらいかな。頑張って遅らせないとねぇ。わたしとしては、出来る限り可愛く鳴いてほしいものなのだけれど」
セツナに出来るのは、情報の流出を最小限に留めること。
表情の変化を消し、言葉を口にしないこと。
実際、ジャンヌはつまらなそうに唇を歪めた。
「ほんと、賢い子だねぇ。それじゃあ勝手に喋らせてもらおうかな。あ、そういえばさっきの言葉を一つ訂正させておくれ。お腹が空いているのだとしても、どうか我慢してほしい。だって――」
瞬間、鋭い痛みが腹部を駆け抜ける。
「か――ッ!!」
彼女の腰に吊るされていた両刃の短剣で腹を裂かれたのだと気付いたのは、真っ赤に染まった刀身が抜き放たれてから。
「今ご飯を食べても、消化は上手くいかないだろうから。でも安心するといい。ほら、亜人というのは人間より自然治癒力も優れているんだろう? 治癒魔法や魔力再生が無くてもどうにか治るよ、きっと。あぁけどあれだね、きみの鳴き声如何では、腸を幾つに切り分けるかも変わってくる」
呼吸が荒くなる。脂汗が浮かぶ。
亜人の自然治癒力は確かに人よりも高い。だが、臓物を垂れ流すところまで来てはそんなもの誤差の範囲だ。致命傷を引っ繰り返せる程のそれは、亜人とて持ち得ない。
「殺せないと思っているかい? 大正解だとも! わたしはきみを殺せない! だから治すよ。死の直前まで弱ったらね。そーしーてー、全快状態まで戻ったら、また最初からだ」
「――――」
「取り引きの時まで、きみの命が続いていればそれでいい。だってわたしは、心の健康に関しては何も条件を設けてはいないからね。と、いうわけで! 何かご主人様のことで話したいことはあるかな? 今なら、早期治療の約束付きで大変お得だよ?」
ジャンヌは本気だ。
それでも、セツナは口を堅く結ぶ。
「…………美しい忠義だ。本当、クロノが羨ましくてならないよ。どうかその尊さが損なわれないでほしいと、敵ながら願わずにはいられない。けど悲しいかな、わたしはきみを傷つけなければならない。正気や良心じゃあ、きみのご主人様には勝てそうにないのだから」
そして、再び短剣が、今度は見せつけるようにゆっくりを持ち上がり――。
「そこまでです、インヴァウス将軍」
ゆっくりと、下ろされる。
「おや、ルキウスくんじゃあないか。いや、グラムリュネート元名誉将軍とお呼びするべきかな? 裏切りの貴公子様が、このような場所にどのような用向きでいらしたのか、お聞きしても?」
最後に見た時と、服装以外は何も変わっていない。
ダルトラから、アークスバオナの軍服姿になっただけ。
深海のような色合いの毛髪と双眼、整った目鼻立ち。長身で細身だが、弱々しい印象は受けない。
『蒼の英雄』ルキウスの姿が、そこには在った。




