176◇囚われの従者
セツナが目を覚ますと、其処は牢の中だった。
身動ぎもままならないと思い視線を下げると、拘束衣を着せられているのが見える。
手は腕を組むように、足は伸ばした状態で、それ以上動かせないようにしてあるようだ。
そこから更に、柱に固定されている。
目隠しは無いが、猿轡を嵌められていて口を利くことも出来ない。
そこまで認識すると、セツナの脳裏に捕らわれた際の記憶がフラッシュバックする。
自分はルキウスとエルフィに捕まったのだ。
状況を見るに、そのまま連れ去られたらしい。
視線を上げると、格子の外に看守が二人。
片方がセツナの起床に気付き、駆け足で何処かへ行ってしまう。
通常、報告であればグラスの通信機能を使うだろうから、この空間には魔力伝達を阻害する魔法具が設置されているのかもしれない。
捕虜や囚人を閉じ込める施設であれば、納得出来る措置だ。
やはり報告だったようで、看守はすぐに何者かを連れて戻って来た。
「ご苦労様、ダラ、ミルド。少し外してもらえるかい?」
看守二人は右拳を左手で包み込むような仕草をして、それから足早に去って行く。
鍵を開け、入って来たのは一人の女性。
純銀に灰を被せたような色合いの毛髪を肩口まで伸ばし、横髪の一部を染めた上で編んでいる。数は右に一、左に三。色は順に黒、紅、蒼、翠。
体格に恵まれているとは言えないが、健康的な印象を受ける。肌には陶器のような艶が、胸部には豊満な膨らみが、美しい顔貌には生気が、それぞれある。
軍服と言うのか――肩に掛けられた衣装には肩章が付けられており、アークレアの文字で『1』と記されている。
主・クロから聞いた筈だ。
グレアグリッフェンという男は、七征の末席だと。
奴の掲げていた数字は、確か『7』。
『1』ということは、つまり――。
「やぁやぁお嬢さん。お加減は如何かな。頭が痛かったり吐き気がしたりなんかしていないかい? お腹が空いていたり喉が乾いているなら何か用意しよう。寒いなら毛布を、暑い場合はそうだな……氷の柱でも設置しようか。望みは可能な限り叶えると約束するよ。可能な範囲は多分、きみが思っているより広いんじゃないかな。でもまずは、うん、自己紹介から始めないとね」
にっこりと微笑むも、先程から一貫して、女性は目を開かない。
「わたしはジャンヌ。ジャンヌ=インヴァウス。きみの命の使い方を決める者だ」
あるいは、開けないのか。
「……ん? あぁ、済まない。口を塞がれていては挨拶どころの話ではなかったね。見ての通り、わたしは両の目でものを見ているわけではないから、ついつい見落としてしまうことも多くてね。この場合、見落としという表現は適切ではないのかな? どう思う?」
猿轡を外してから、女性は柔らかい表情で首を傾げる。
まるで日常の中、隣人に話し掛けるように。
「さぁ、これで話せるね。きみの声を聞かせておくれ」
口を開くかどうか迷ったが、黙っている意味もないと考えてセツナは言う。
「この牢、どうなっている」
魔法が使えない。
だが、もし対魔法結界が貼られているならば、セツナは獣化している筈だ。
魔力が排されているわけでもなさそうだ。
ただ一点、セツナの意思とは別に、セツナの魔力が吸い出されている。
「綺麗な声だね。銀嶺のような声音だ。美しく、それでありながら険しさを含んでいる。芯が強く、あまり他人を信用しない。その分、認めた相手へは慈愛の限りを尽くす。戦闘能力には自信があるけれど、戦いそのものを求めるような性格ではない。使うより、使われることで力を発揮するタイプ」
ただの一声で、人を暴けるとでも言いたげに女は語った。
「何を気取りたいのか知らないが、裏切り者から聞けば分かるような情報を語り聞かせる為に来たのだとしたら、アークスバオナの連中は余程暇なのだろうな」
「ただの確認だよ。きみがどういう人間かは、離反者からの情報か、わたしの観察眼か、どちらによるものだろうと、確かに判明しているというね」
「何が言いたい」
「ところで、この牢のことだけれど、対魔法結界に一つの例外を設定したんだ。きみという人間の体格、体重に留める為の『人化』のみを許可するという。そしてその拘束衣に魔法式を組み込んである。後はきみの体内から魔力を頂いて、普段通りのきみを再現しているというわけ。どうだい? 一応我が国にも魔法具の研究開発機関は存在するんだが、中々の技術だろう?」
「…………」
「上手く利用できれば、戦場で味方だけが魔法を使える、なんて状態も作り出せる。まぁ、現状の機能では難しいけれど。そのあたり、きみたちにとっても幸いだったね。メレクト領がダルトラより西にあれば、アークスバオナが落としていたのに。あぁ、無駄話が過ぎたようだ。さて、猫のお嬢さん。きみは賢そうだから、ここまで言えば分かるよね?」
アークスバオナで枢要な地位に就く者が、わざわざセツナに逢いに来る理由は。
考えるまでもない、セツナがクロの従者だからだ。主に関しての情報を得ようとしている。
尋問官でも拷問官でもなく、七征本人が来るということはすなわち。
今目の前にいる彼女こそが、クロの次の敵ということだろう。
そして、彼女はこう言っている。
自分とグレアグリッフェンは違うと。
圧倒的力を持ち、それを行使することで作戦行動を進めるのがグレアグリッフェンの方針。
だが、今ジャンヌ自身が語っていたのは、効率的な勝ち方に関してだ。
武力ではなく、策謀によって戦う人間であると、言外に示したのだ。
「武力で及ばぬと知るや、知略で挑むと? 帝国というのも、随分と可愛らしい戦略を執るものだ」
セツナが鼻で笑うと、ジャンヌは何故か――微笑んだ。
とても、嬉しそうに。
「あぁそうさ。きみの主のおかげで、連合諸国の寿命は延びた。それは認めるとも。グレアは負けた。これもまた事実だ。けどね、きみ達はあそこで負けておくべきだった」
「負けて、貴様らの奴隷になっていれば良かったと?」
「一つの大陸で、複数の国家が独自性を主張することで何が生まれた? 多様性という名の歪みだ。国家の繁栄という大義の許、きみ達は何をした? 我が国を、国民を見捨てたじゃないか」
全てではないが、セツナも現代の情報は幾らか得ている。
クロに協力するにあたってもっとも重要な、戦争関連のことは一通り。
「だから奪うか? それは歪みによるものではないと?」
「解釈の違いさ。歪みを正すんだ。大陸全てを指し、アークスバオナとする。全人類が一つの思想を持てばいい。きみの主はそれを遅延させた。ツケを払うことになるのは、きみ達全員だ」
「正気じゃない」
「正気とやらに見放された者の味方は、狂気くらいだからね」
ジャンヌは肩を竦めるだけで、気にした様子もない。
「と、いうわけでだ。わたしの戦いの為に、きみには色々教えて欲しい」




