175◇尖る唇は紅色
家に帰ると、扉を開けてすぐのキッチンに二人はいた。
というより、朝食の用意をしているエコナに、トワが後ろから抱きついていたのだ。
拗ねた童女が大きなぬいぐるみにするように、ぎゅっと抱きしめている。
「あっ、こうすけさん、シロさん、おかえりなさい。……お客さま、ですか?」
幸助を見てパァッと輝いたエコナの顔が、ライムを見て不思議そうにこてんと傾げられる。
「いいえ、隠し子です。衝撃の事実ですね」
「か、かくしごっ……!」
ガーン、という擬音が聞こえそうな程にエコナが衝撃を受けたような顔をする。
「エコナちゃん、その子の冗談だよ」
トワの言葉で、「そ、そうですよね」と持ち直したエコナだが、トワの方は何故か幸助を睨んでいる。
「なんだよ……。あー、朝声掛けなかったの拗ねてんのか?」
片頬を膨らませてトワは、ふんっと視線を逸らす。
「起こしてくれてもいいじゃん」
英雄規格の人間が、友好的とは限らない。
自分を頼ってもよかったのではないかと、トワは拗ねている。
「いや、急いでてそこまで考えが回らなかった」
「うそ。コウちゃんのことだから、わざとでしょ。子供扱いはやめてくれないかな。ってゆーか、トワの方がアークレアでは五年先輩なんだけど」
「あっはっは」
「笑って誤魔化すなっ!」
「まぁまぁトワちゃん、幸助は度の超えたシスコンなだけなんだよ」
「フォローになってないな……」
「シロさんはコウちゃんに甘すぎるんです。コウちゃんはビシッと言ってやらないと気にも留めない図太いやつなんで、トワは断固抗議します」
「あ、エコナ。朝飯は何かな」
「無視すんなっ!」
げしげし、とエコナ越しに足を踏まれる。
「悪いけど、この子の分も頼めるか?」
「はい、多めに作ってあるので大丈夫かと思います」
「お父さん、この胸の膨らみ的に大変好感を覚える黒髪の方は、どうやらもっとお父さんの力になりたいようです。頼ってあげてはいかがでしょう?」
トワが「なっ」と声を上げて顔を赤くする。
「そうかそうか。お兄ちゃんの力になりたかったか。それは悪いことをしたなぁ」
「う、うるさいな! お兄ちゃんとかキモイこと言わないで! トワはただ蚊帳の外に置かれるのがヤなだけだしっ! 最近ずっとラルークヨルドの人と会議したり、忙しい忙しい言いながら何してるのかは教えてくれなかったり、トワのこと仲間はずれにしてるでしょ!」
「頼る時がきたら、ちゃんと頼るさ」
「ふぅん、それいつ?」
「じきに」
「ふぅぅぅん?」
疑うような目で幸助をじぃっと見てくるトワに、ライムが言う。
「お父さんは嘘を言っていませんよ。あなたの力に頼る時が、じきに来ます」
「……なにきみ、心でも読めるの?」
ライムが両手で眼鏡を作って目にあてる。
「心が視えます。此処にいる方々が、互いを慈しんでいるのも、あなたの怒りが愛情を根源としているのも、ばっちり視えてしまっていますよ。見え見えです」
うっ、とトワは声を詰まらせる。
英雄規格であることはトワも魔力反応で理解している。ライムの言葉が嘘でないとすれば、これ以上は失言になりかねない。
幸助とシロが否定しないことから、本当のことと判断したようだ。
「……そういえばきみ、さっきトワのおっぱいちっちゃいって言った? 自分と同じくらいだから好感を覚えるって? ってゆーかお父さんって何?」
「まったくもってその通りです。お父さんは、そう呼んでいるだけです」
「…………きみさ、幾つ?」
「十三です」
「……………………」
何故か頬を膨らませたトワは、幸助の足を踏んだ。
十八歳なのに、十五歳のシロに負けるどころか十三歳のライムと競っている現状が大変お気に召さないらしい。
「あー、とりあえず座らないか」
とは言ったものの、椅子は四つしかない。
「コウちゃん、立って食べれば? 女の子に優しいコウちゃんなら余裕だよね?」
「棘があるなぁ」
「お父さんが先に座り、わたしがその上に座れば解決すると思われますが? 問題なしですね」
「あ、あのっ、それなら、わたしの方が、その、小さいですし、その……」
エコナがもじもじしながら、立候補。
その間に、幸助は魔法で椅子を一つ作っていた。
「これで解決だろ」
「ほうほう、それが魔法ですか。便利ですね。お肉は作れますか?」
「お肉は作れないなぁ」
「残念です」
ライムは気にした様子もなく魔法に興味を移したが、エコナは少しがっかりしていた。
配膳が済み、食事を開始。
食事中も主にシロが説明を続けたが、ライムは食事に夢中でまともに聞いていたかどうかは怪しい。
それよりも気になったのは、彼女の食器の使い方。
やはりというべきか、スプーンもまるで幼子がするような持ち方で覚束ない。
これもまた、過去生では誰も教えてくれなかったのか。
「うぅん、これ、どう使えばよいのですか? 困難を極めます……困りましたね。ご飯は美味しいというのに……」
「こうやるんだよ。あたしの真似をしてみて」
なんて、シロの実演がありながら、それでも四苦八苦。
「コウちゃん……いくら英雄規格でも、この子は」
トワの言葉に込められているのは、純粋な気遣い。
幸助自身例外的な速度で英雄認定を受けているが、それは戦うことまで含めて選んだからだ。
戦うことを選ぶのと、戦うことしか知らないのは、違う。
過去生で戦士であったからといって、アークレアでもそうでなければならない理由などない。
むしろ、過去の楔より解き放たれたからこそ選択の自由が与えられるべき。
まず知り、その上で選択を迫るのが正しい。
けれど、今の情勢では――。
「戦います」
明瞭な声だった。
戦えます、ではなく。戦いますと、ライムは確かに言った。
可不可でなく、意思をこそ口にした。
選択したのだと、示すように。
「他にやりたいことが、出来ることが、見つかるかもしれない」
「今必要なことをすべきです。やりたいことは、必要なことを済ませてから探せば済む話ではないでしょうか。単純ですね」
「……そう、だな。ライムの言う通りだ」
力ある者に、自由を許す余裕が今は無い。
それでも強制すれば問題だが、ライムの場合は率先して戦いに臨む意思を見せている。
それを無視してまで、健全な少女らしさなどを保証しようと動くのはお節介もいいところ。
「ただ、何の為に戦うのかは、知っておいた方がいいと思う」
ライムは幸助とシロに好感を持ってくれているようだ。それを理由に味方をしてくれるのだとしても、知らせるべきは知らせなければならない。
「聞きましょう。……ご飯を食べながらでいいでしょうか?」
「……食い終わってからにしようか」
 




