172◇その少女、才在れど
思えば、転生以来その場を訪れたことはなかった。
周囲を木々に覆われた森の中。丘の麓に合わせて、石造りの階段が上へ上へと連なっている。それを上がり切ると、今度は下りの段差。
後はもう、神殿内だ。
懐かしい、という感慨を抱く程の期間は経ていない筈だが、既に遠い昔の出来事のようだ。
階段を利用することなく、シロを抱えたままの状態で降り立つ。
割れた石材には木の根が張り巡らされ、柱には蔦が巻きついている。一部崩落した天井から陽の光が差し込み、神殿内を仄かに照らしていた。
中央よりやや奥の位置に石積壇が設置されており、探し人はそれに背を預け地面に体育座りをしていた。
最初、幸助は外套を纏っているのかと見間違えた。
だがよく見れば、それは長すぎる毛髪が体勢もあって全身に掛かっていただけなのだった。
白いノートに黒い鉛筆で文字を走らせ、それを消しゴムで乱暴に消したような色合いの髪。掠れた黒の滲んだ白、だろうか。ところどころ灰色に見えなくもない。独特の髪色だった。
体格は小柄で、輪郭から察するに少女。
茫洋とした視線は何を考えているのか悟らせない。分かるのは、瞳の色合いが毛髪と同じだということのみ。
「こんにちわ」
幸助とシロに気付くと、空を飛んできたことにも、突然の出現にも驚かず、気の抜けた声で挨拶をしてくる。ちょこっと、手を掲げたりしながら。
「あ、あぁ、こんにちわ」
呆気に取られつつも、幸助は挨拶を返した。
シロがぽんぽんと胸板を叩きながら「下ろして」と囁き声で言うので、言われた通りにする。
彼女は服のシワを伸ばすように自身の恰好を整えてから、こほんと咳払い。
緊張した面持ちで、一言。
「や、やっほー」
「…………」
幸助はシロの尻を軽く叩いた。
「ひゃっ……なにすんの」
臀部を押さえながら、恨みがましい視線を寄越すシロ。
「やっほーってなんだよ。俺ん時んなこと言ってなかっただろ」
「いや、自殺しようとしてる人に『やっほー』とか、あたし完全に空気読めてない人じゃん」
「お前がいつ空気読めてたの? 人が憂鬱な時に豪快に胸揺らしてスキップしてたろ」
「は、はい~~? ムードも分からない幸助に言われたくないんだけど?」
出逢った当初のことを言うと、シロはシロで不満を口にする。
「案内人何年もやってんだろ。基本やっほーで始めんのか?」
「そこはほら、相手次第で臨機応変にあれこれするよ……するんだよ……」
どうやら英雄規格という事前情報の所為で緊張していたらしい。
シロは気を取り直すようにして深呼吸。そして再び少女に向き合う。
すると、少女が言った。
「あの、お二人は恋人同士なのですか?」
「は?」
「え?」
「互いに、相手に対して深い愛情を向けていたので、そうなのかなと。お二人の間には、はぁとがあるのかな、と」
はぁと、と口にしながら両手でハートマークを作る。可愛らしい仕草だが、表情も変わっていなければ、声も平坦だった。
内容にしても、随分とまた恥ずかしいことを言うものだ。
幸助は苦笑で済んだが、シロは顔を紅く染めていた。
「ただ、不思議なのですが、容姿が釣り合っていないように感じられます」
シロがぶふっと吹き出し、幸助の唇が笑みと逆方向に歪む。
それからシロは胸に手を当てながら、語りだした。
「それはね、あたしが人を見た目で判断しないからだよ。女の子の胸ばかり気にするような男もい、る、け、ど、ね」
じろりとこちらを睨めつけながら、シロが強調するように言う。
「あーはいはい、巨乳大好きー」
適当に手を振りながら投げやりに言うと、またしても少女が口を挟む。
「……いえ、お兄さんがお姉さんに向ける愛情は、身体面に起因するものではないようです。金銭が直接的な愛情の発生源となることは少ないので、つまりお兄さんは、お姉さんの心に恋をしたのですね」
シロがぼふっと顔を真っ赤にして俯き、幸助の口が半開きになる。
言動から察するに、この少女のそれは観察力に優れているというよりも、もっと別の……。
「………………あー、お前、じゃなくて君、心が見えるのか?」
正解ではないが的外れでもないと示す為か、少女の指は三角形を作っていた。
「思考が読めるわけではありません、その瞬間の感情が見える程度、と言って伝わるでしょうか」
そして少女は人差し指と親指で輪を作り、それを目に持っていく。
「心の見えるめがねを掛けていると考えてもらえればと」
考えていることが分かるのではなく、抱いている感情が分かる。
クウィンと似た力を持っているようだ。
「ところで、君」
「ライムです」
「そうか。俺がクロで、こっちの巨乳はシロだ」
「む、胸の情報から入らないで……」
先程のライムの発言が効いているのか、ツッコミの声も弱い。
「黒も白も好きです。お二人はまぁ、普通です。お名前はとてもすてきだと思います」
「それはどうも……」
「年はですね、えぇと、一、二、三、四……」
名乗る際に自身を指差し、それから年齢のくだりで指折り始める。
両拳を作ったところで、幸助を見上げた。
「お兄さん、右手の親指から一本ずつ曲げてもらえますか?」
「…………あぁ」
止めるのも面倒なので、従ってみる。
中指を曲げたところでストップが掛かった。
「十一、十二、十三歳です。人間が八十前後で死ぬことを考えれば、若いと言っていい年齢でしょう。ぴちぴちです。鮮魚のごとしですね」
身体を見る限りは稚魚ではないだろうかと考えた幸助だが、口には出さない。
だが心が見える彼女を前にすれば沈黙は無意味だった。
「口に出さずとも分かりますよ。えぇ、貧相な身体であることは否定しません。巨乳のお姉さんと比して、まな板と言われれば抗する言葉を持ちません。ですが、それに関してはまったくこれっぽちも露程だって気にしていないので、その点ご理解お願いしますね。気にしていないので。全然です」
言いながら、少女はじぃいっとシロの胸を見つめ、自身の胸部に両手を当てては、「すとん、と落ちていく。ひっかかる贅肉を持ち合わせていないから……」と腹部まで手を動かしていく。
悲しいことに、その動きはスムーズだ。シロが同じことをしてもそうはならないだろう。
「それで、ライム」
遅すぎるくらいだが、ようやく本題に入れそうだと考えていると、またしても失敗。
きゅるる、と誰かの腹が鳴った。
「シロ」
「あ、あたしじゃないよ! っていうか分かるでしょ!」
「犯人はわたしです。お腹が空きました」
挙手しながらライムが言う。
「出逢ったばかりで図々しいお願いなのですが、ご飯を恵んでください」




