171◇世界を盤に、死者を駒に
「貴様は、何を…………ッ」
少し遅れて、グレアは彼女の言っていることを理解する。
同じ人間を二度転生させると、二度目の方は死の危機を死ぬまで押し付けられる。
だが、クロノは既に解放されたという。
何故か。
単純だ。
クロノはどのようにして概念属性を手に入れた?
悪神のこれまでの言葉を踏まえれば、こういうことにならないだろうか。
生きたままこの世に繋がれていた、一度目の黒野幸助を殺して『併呑』した。
間者からの報告とも一致する。
民族国家ギボルネ領に置かれた悪領には、神話英雄が囚われていたわけだ。
それが、僅かな可能性から分かたれた分岐運命のクロノ。いや、黒野幸助と言うべきか。
世界は黒野幸助を殺そうと動き、そして確かに、黒野幸助は死んだのだ。
世界による個体認識がどのような形で行われているかは定かではないが、同一の個体と判じられたが故に理に反したのであれば、どちらかの死をその個体の死と判じることもまた不自然ではない。
一度目の黒野幸助が、二度目の黒野幸助が転生した時代まで生き永らえるという、極めて例外的な事例であるからこそ起きた奇跡的な解放。
神が黒野幸助を二度転生させたのは、一度目の件があったから。
この世界で唯一人、黒野幸助だけは二度目の転生に耐えられる可能性を持っていたのだ。
他のどの英雄も、長期的な死の運命の連続からは逃れられない。
自分を死なせることで運命を断ち切るという荒業を成し遂げることが出来るのは、彼だけということ。
そして、奴はそれを掴み取った。
同じ人間を二度転生させてはならない。
転生させた場合、二度目の人間には死の苦難が降り注ぐ。死が追いつくまで急速に、延々と。
しかし正確には、『二度目の人間には』ではなく『その人間には』であり、『その人間』とはすなわち『黒野幸助』であり、そこに一度目二度目の区別は無い。
クロノがそこまで考えていたわけではないだろう。
結果として、そういう辻褄合わせが行われた。
神に見初められた者。神託授受者。
まさしく奴こそが、神の声を聞きし英雄なのだ。
世界が押し付ける死から、運命を以って逃れる規格外。
悪神は、自分がその可能性に気付けなかったことを悔しがっているのだ。
気付いていさえすれば、『黒』の二枚持ちも実現し得た。
神話英雄の再利用。善神への挑発としてこれ以上のものはない。
また、奴程の人間がこちらの陣営にいれば、まず間違いなく戦争の趨勢も変わっていたろう。
個人が戦争の勝敗を左右することは出来ないが、優れた個人が指揮してこそ集団は十全に力を発揮するのだから。
「『黒』一枚。たった『黒』一枚よ。穢れた『白』に大駒が一枚加わっただけ。えぇ、その程度。無駄なあがきと切って捨て、高笑いしたっていい筈でしょう。なのに! どうしてここまで悔しいの!?」
悪神自身、心を持て余しているようだ。
二度は負けぬようにと、神殿を奪い、国相手に取り引きを持ちかけ、多くの英雄を集めていたのに。
千年前の人類の選択を利用して、逆転の一手を放った神が憎くてならないのだろう。
「『黒』も『紅』も『蒼』も『翠』も獲った! 『銀灰』や『紺藍』まで探し当てた! わたしはこの時代で、あれを討ち滅ぼせる! その筈だった! そうでしょう!? なのに、だというのに! またあの男を使うなんて、そんなの! そんなのって!」
怨嗟の声は、室内を埋め尽くす勢いで続いた。
世界の起こりより続く敵対とは、一体どのようなものなのか。グレアですら想像することも出来ない。
人と在り様を異にするとはいえ、神もまた何かを感じる機能は持ち合わせているようだ。
であれば、敗北の苦しみも、勝利への渇望も、攻防の応酬による感情の揺らぎも知っているのだろう。
千年続く戦いとなれば、そこに込められる情念は人の理解の埒外に在ろう。
また、一度目の黒野幸助こそが『黒の英雄』にして『暗の英雄』だとするなら。
彼の者は、悪神の腕を喰い千切り、呑み込んだ者なのだ。
一度目の戦いで悪神を、悪性とはいえ神そのものを敗者とした者。
精神が永遠に耐えられるなら。
太古の昔さえ鮮明に思い起こせるなら。
悪神の記憶には、今なお残っていることだろう。
千年経てなお薄れぬ、屈辱と怒りが。
そして同時に、焦りの理由もまた判明する。
悪神は恐れているのだ。
自分が負けて終わるという、終演の再来を。
此度こそは筋書きを書き換えようと躍起になっているからこそ、不安要素に苛立っている。
やがて。
ようやく落ち着いたのか、彼女は小さな、それでいて明瞭な声で言う。
「……ねぇ、グレア。力が欲しい? エルマー……黒野幸助に勝てるような力が」
悪魔どころではない、悪神の囁き。
望みの成就と引き換えに要求される代償は如何程か、わかったものではない。
だが、何を求められるのだとしても、迷う理由はなかった。
「……あぁ」
決然と頷く。
「でも、これ以上は人の分を超えているわ。あなた、呪われるわよ?」
人工的に英雄を創ることが罪とされ、呪われるように。
人を超えた力の要求は、罪に分類されるということか。
「構わぬ」
即断。
主の命を果たせず、自身の判断で同胞を失い、更には一対一の戦いで敗北した。落とした命もクウィンティに拾われ、無様に帰還し生きているのが自分だ。
ジャンヌに言われた言葉が脳裏を掠める。
自分は愚将だ。認めよう。
自分は敗者だ。受け止めよう。
だが、終わっていない。
であれば、挽回に臨むことにどんな問題があろう。
愚かさ故に敗北したのだとしても、愚かさを捨てられない。
ならば、愚かさを補って余りある程の強さを手に入れる他無いではないか。
「次こそは、勝利を持ち帰る為に」
その言葉に、悪神は目を丸くしたのち、醜穢で美麗な笑顔を浮かべる。
「困った時だけ神頼みなんて、あなたは本当にダメな人間ねぇ。可哀想だから、戯れに救いをあげるわ。噎び泣きながら、穢れた秘跡を嚥下なさい」
取り繕っているのか、切り替えが終わったのか、彼女の表情に先程までの揺らぎは無い。
悪なる神が、祈りに応える神のように囁く。
「あぁ、哀れなあなたに――祝福在れ」




