169◇誰が為の転生
もぞもぞと動く、自分ではない者の存在を感じて、幸助は薄っすらと瞼を開いた。
見慣れたというには馴染みの足りない天井、優しく包み込むような窓越しの陽光。
自分から見て右側、ベッドに少女が腰掛けている。
起きたばかりなのか手櫛で髪を梳くと、眠たげに頭を揺らしながらも慣れた手つきで左の横髪を結っていく。
少しはだけた服と、背中に流れる白銀の髪はどこか芸術作品のようで、見惚れそうな程に美しい。
そうならなかったのは、先日の迎撃戦の件が尾を引いているからだろう。
死と離反によって仲間を失い、従者は攫われ、友の救いと引き換えに呪われた。
敵の任務を阻止したこと、妹を失わずに済んだこと自体はいいことの筈なのに、安堵や喜びは得られない。
とても大きなうねりの渦中に、自分達はいるのだ。
そんな中、僅かに手に入れた一時の平穏。浸ることは出来ずとも、尊ぶことくらいは許される筈だ。
言い聞かせるように念じて、それから口を開く。
「シロ」
声を掛けると、少女は少し驚いたように振り返った。
やや大きめに開かれた瞼の奥には、光を湛えた黒曜石の瞳が収まっている。
「ごめん、起こしちゃった?」
申し訳なさそうに、眉宇と薄い唇を歪めながら、少女が首を傾けた。
それに伴って、白夜の輝きを溶かし込んだような美髪が揺れ動く。
媚びるような色も無いのに、いや、無いからこそ彼女の仕草は一つ一つが魅力的だった。
「……いや、大丈夫。にしても、早起きだな」
上半身を起こしながら、視線を一瞬窓の外へ向ける。
空模様からするに、まだ早朝の時間帯だ。
幸助の言葉に、彼女は普段の通りの明るい笑顔を浮かべる。
「外せない日課があるからねー」
「あー、案内人だもんな」
アークレアには、異界の死者が転生する神殿が複数存在する。
ダルトラにおいて、国の管理下にある神殿には案内人と呼ばれる人員が割り当てられ、転生者がスムーズにアークレアへ適合出来るよう援助する。
かくいう幸助も、彼女には幾つも借りがあった。
「ちょっと寒くなってきたし、凍えてたら可哀想でしょ」
転生に際して得たステータス補正は外的内的問わず様々な要因によって引き起こされる体調の悪化に対しても掛かるようで、暑寒やアルコール、毒物や精神状態による悪影響を軽減してくれる。
感じないわけではない。
暑いとも寒いとも感じるし、酔いもすれば毒だって効くし、怒りや悲しみも鈍るわけではない。
それらが時に引き起こす悪影響を、常人と比べ受け難いというだけ。
布団から出た幸助は『寒くなってきたな』と思いながらも、かつてのように布団で丸くなったり身体をさすったりはしない。
必要がないと、頭も身体も既に理解しているらしい。
補正の程度は個々人によって違うので、シロの言うように転生したばかりの来訪者が寒さに震えていないとも限らない。
「ご苦労さん」
彼女は幸助の態度に、悪戯っぽく微笑みながら言う。
「誠意が感じられないなぁ。この早起きがなかったら、どこかの誰かさんの自殺は止められなかったんだけどなぁ」
その通りだった。
転生当初、幸助は死のうとしていたのだ。
シロが止めてくれたから、今生きている。
あれからそう長い時間は過ぎていないというのに、思えば遠くまできたものだ。
十三歳から始めた復讐と異なり、もはや目的地への到達を己の身一つで果たすことは出来ない。
終わらせる為の復讐とは違う。失うもののない復讐とは違う。
逆になるだけで、こうも難しくなるとは。
始める為の戦い。人を護り、未来を拓く為の戦争。
自分が復讐者で終わらず、心身共に英雄へと至ることが出来たのは、紛れもない彼女のおかげなのだった。
「……あはは」
苦笑しながら、幸助は考える。
彼女に救われたのは本当だ。死からも、心だって。
だが、それは本当に偶然か?
転生させるまで異界の死者がどんな補正を受けるか分からないという仮定が真実だとして、だとしてもそれは幸助には当て嵌まらない。
千年も前に、エルマーが転生していたのだから。
更にはクウィンを救おうとした時の神の言葉。
『英雄として生きよッ! 其れこそが黒野幸助、此度の貴様に与えられし役割なのだから!』
此度の貴様。今回の黒野幸助という意味だとしたら、神は意図的に二度、黒野幸助を転生させたことにはならないだろうか。
転生させなければ分からないことが、転生させれば分かるのは当たり前。
一度転生させ、優秀と判断した人間がいれば、極めて酷似した別の世界から同一の個体を転生させるというのは効率的ではある。
だが、そうはなっていない。少なくとも、人類の記録に違和感として残る形では行われていない。
それには理由がある筈だ。
しない、というのが大前提なら、神は『クロ』でその決まりを破ったことになる。
しても問題が無いのであれば、これまでの英雄規格の中で特に優秀な者と同一の個体を転生させ、悪神討滅にあたらせればいい話だ。
何か特殊な事情があって、『エルマー』と『クロ』として、二人の黒野幸助が用意された。
推論に推論を重ねることになるが、悪神が関連していると幸助は考えていた。
エルマーと自分に共通しているのは、悪神を倒すという目的。
自分の場合、クウィンを救った罰として課せられた【呪い】『神に背きし許されざる者』により強制されたに等しいが、それによってむしろ神の意思が明確になった。
神も悪神も、いまだ休息を必要とする身なのである。
一年以内という刻限は、そのあたりが関係しているのかもしれない。
だとすれば悪神の側もまた、何かしらの策を講じていると考えるべきで――。
一瞬、幸助の脳裏に一人の男の姿が過る。
幸助と同じく『黒』の持ち手であるアークスバオナの将、グレアだ。
勘の域を出ないが、あるいは彼もまた――。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
思考に集中している間に身支度を整えたシロが、ひらひらと手を揺らしながら言う。
「あぁ――っ、待て!」
放たれた声が切迫していたからだろう、シロがぴたりと動きを止めた。
ぎこちなく笑いながら、こちらを見る。
「な、なに? 行ってらっしゃいのチューならいらないよ」
「しねぇよ」
「したくないんだ」
「普通男女逆だろ」
「男女平等の精神が大事だよ」
「してほしいのか?」
「変なこと言うのやめてくれる?」
「お前が言い出したんだろっ……!」
室内に走った緊張をほぐすように、他愛のない話を挟んで一呼吸置く。
「それで、どうしたの?」
「……俺も一緒に行く」
「外でベタベタするの好きじゃないんだけどな~」
「そんなアホな理由じゃねぇよ」
片時も離れたくない、なんて可愛い理由でついていくわけではない。
近くにあった服を適当に纏い出かけようとすると、シロがジト目でこちらを見ていた。
「だらしない……」
「急ぎだからだ」
そのセリフでようやく、彼女の方も理由を察したらしい。
「……もしかして、来てるの?」
彼女の方は気づけていなかったようだ。
魔力の感知能力の感度や精度もまた個々人によって異なる。
魔力を感じ取るのは、目を凝らし耳を澄ます感覚と似ている。
当然、対象の規模やが距離によって捉えることの難易度は上下する。
クウィンが転生時点で幸助に気づき酒場へと足を運んだ中、店内にいた何人かは入店時点でようやく気付いたように。
感度だけでなく、意識もまた重要だ。
そして、幸助は感知していた。
その時、クウィンからグラスにメッセージが入る。
内容は、
『来てる、英雄規格』
と、簡潔。
だが、内容がもたらす現実は複雑な感情を掻き立てた。
方向と距離からして、幸助が転生したのと同じ神殿だろう。
「……この時期に」
可能性で言えば充分に有り得ることだ。むしろ想定しておくべきだった事態と言える。
特にダルトラとアークスバオナは広大な国土と神殿を有しているのだから、戦時中に新たな英雄を獲得することに不思議は無い。幸助とて、戦時中に来訪した者には違いないのだ。
喜ぶべきなのかもしれない。
戦力増強が叶うのだと。
けれど、素直に祝福は出来なかった。
転生したということは、一度死んだということで。不幸を経験しているということで。
その上で、英雄規格であれば戦うことからは逃げられない。それを許してやれるような環境こそが求めるものだが、現状では難しいだろう。
「行くぞ、飛んだ方が早い」
シロの手を掴んで窓際に近寄り、開く。
「え、え、え」
彼女を腕に抱えて、そのまま『風』魔法で飛行。
「そんな慌てる程、なの……?」
シロが不安げにこちらを見上げていた。
「いやぁ、英雄規格っぽいんだ」
なるべく明るい調子で言うが、シロは真顔になってしまう。
気付いた以上、早く落ち着かせてやりたいという思いもある。混乱してるだろう英雄規格にシロを一人で会わせるのが心配だったというのも。けれど、彼女の心配は違った。
「…………出来ることなら、その人にも幸せになってほしいんだけど」
幸助の例は特殊だとしても、この情勢では早い段階で英雄認定を受けてもおかしくない。
シロはそれを危惧しているのだろう。
まだ見ぬ来訪者にとって、それが今度こそ幸福を掴める道なのだろうかと。
「無理に戦わせはしないよ、ただ……」
「ただ……?」
「ちょっと寒くなってきたし、凍えてたら可哀想だろ?」
彼女は、その答えに目を丸くして。
望んだものではなかっただろうけれど、否定することも不満を露わにすることもなく。
「人のセリフ真似しないで」
と、小さく笑った。




