166◇黒を引き摺り出す一手
言葉を返さぬグレアに、悲しげに嘆息を漏らすジャンヌ。
エウラリアが急かすように言う。
「して、その返済とやらの目処はついているのか」
「グレアは任務を失敗したけれど、何一ついい報告を持ち帰れなかったかと言えば違う」
「『蒼』が偽英雄及び『神癒』の持ち手か。損害を補填するには心許なかろう」
「何を言っているのさエウラリア、君らしくもない。連合から三名の裏切り者が出たという事実が何よりも重要なんじゃあないか」
「……なるほど、元より寄せ集め。これを機に結束が緩むのはもちろん、今後の揺さぶり次第で連合加盟国を我が方に引き入れることが可能になるというわけか」
「そこまでおバカな国があるかは分からないけれど、でも追い詰められた人間のやることというのは、得てして愛おしくなるほど短絡的で愚かだったりするからね。有り得ない話ではないと思うよ」
そう、あり得ない話ではない。
例えば、殺し合いを繰り広げておきながら、こちらに殺意を向けておきながら、自分が死ぬ段になって命乞いをする者というのは、存外に多い。
どうあっても無駄と理解していてなお、言わずにはいられないのだろう。
後がない人間には、そもそも取れる択が無い。だからこそ安全地帯にいる人間からすれば愚かとしか思えない行動も、時として悲しいまでに実行してしまう。
「だが、『黒』はどうする。究極、あれが無ければ連合は今にも壊滅していた筈だ」
「一つの作戦、一つの局面ならまだしも、戦争の勝利自体を一人が左右することは出来ないよ。クロノの最も恐るべきは、一人で戦争出来ないことを知っていることだ。信じられるかい? 魔法の無い世界、実感として戦も知らない時代と地域から来たというには、彼の立ち回りは見事に過ぎる」
一度目の暗殺からして、空路からの襲撃を予測し対空防備を展開したことによって防いだ。
グレアは奴を天才だとは思わない。世界を動かす器でもない。色彩属性持ちであるが、それだけならばとっくに旅団が勝利を収めていただろう。
定めた目的の達成に必要な要素の選定能力がずば抜けているのだ。
加えて、それらの要素を引き寄せる豪運。
『暗の英雄』の発見や、諸々の魔法具製造を可能にする魔力、資材、技師の確保。
奴の作戦を支持し、許可し、実行し、支援する人材。
窮地の中において、許される限りの好条件を掻き集める能力。
短期間で連合の英雄を纏め上げ、本来ならば指揮系統の統合や作戦実行までに掛かるだろう多くの問題を処理。
自身もまた『暗の英雄』となり、二度目の暗殺すら防いでみせた。
本人の戦闘能力など、一要素に過ぎない。
「……だが、しかし、それは完璧というには程遠い」
苦々しい表情で呟くエウラリアに、ジャンヌは肩を竦めて応じる。
「そうだね。実際彼らが受けた被害も甚大だ。今頃連合の会議で責められているんじゃないかな。けど、クロノのことだ、上手く躱すだろう。それどころか、連合はより強力になるかもしれない」
「どういう――いや、まさか」
エウラリアが何かに気付いたように口元に手を当てる。
「連合諸国が許可する筈が……」
「しなかったら、この先の戦争が少しは楽になるのだけれどね。グレアはどう思う?」
「……おそらく、貴官の思い描いた通りに進むだろう。メレクトが加盟している上、優秀な魔術を多く揃えている」
最も危惧するところがそれだった。しかし、あの男ならば考えつき、実行するだろう。
「というわけで、目下のところ最優先事項はクロノの処理だね。仲間に出来るなら最良だけれど、まぁ難しいだろうから、殺す他ないのかな」
「方法はどうする?」
「今回の戦果は英雄二人だけじゃあないだろう?」
「……あぁ、亜人の捕虜がいたか。それがどうしたというのだ」
ジャンヌとエウラリアの会話は続く。
「その亜人はさ、クロノの愛猫なのさ」
「餌に使うと? 仮にも連合を率いる英雄だぞ。私的な理由で駆けつけるわけにもいくまい。ましてや要人ですらない亜人を救いになど。英雄譚の登場人物ではあるまいし」
「でも彼は国境警備隊を人質にとった際、単身救出に現れた」
「国境を侵されるのは国家の問題だからだ」
「そうだね、だから国家の問題まで拡大してあげればいいのさ」
「……っ。つまり、他の捕虜と合わせて捕虜交換を申し出ると?」
「加えて、講和の為に席を設けると言えば、出席しないわけにはいかないだろう?」
講和をちらつかせ、クロノの出席を求めれば、連合加盟国からの後押しもあるだろう。胡散臭くとも、劣勢の国家群に断るという選択肢は選びづらい。
仮に奴が想定の上限で動き、連合が優勢と考えられる状況を作ったとしても、講和会議に参加せよと呼びかける国家はある。少なくとも戦を望まぬ宗教国家がゲドゥンドラは確実に。そしてアークレア神教を国教とする国家群において、ゲドゥンドラの言葉を無視することは難しい。誰の目に見ても愚行なら別だが、表面上は捕虜を取り返すことが出来、その上で平和について話合う会議なのだから。
なるほど、連合相手だからこそ通じる手段ではある。
「場所は?」
「もちろん、中立国家ロエルビナフ領で行うさ」
「断ったら?」
「捕虜を処刑する」
「待て」
咄嗟に制止の声を上げてしまう。
「なんだい、愛しのグレア」
「セツナという女はクロノの従者に間違いないが、それは同時に――」
「あぁ、今回君が引き入れた……えぇと、ルキウスとエルフィが大事に思うクロノの従者ということだ。つまり、仲間の仲間の従者。君としては、軽んじるのに痛痒を感じる相手というわけだね。まったく君ってやつはお人好しが過ぎるなぁ。でも、うん、配慮しよう。だけどさ、そもそもの話として、クロノがこの条件で来ないなんて、有り得るのかい?」
「…………あの男なら、来るだろう」
「だから、問題は無い。そうだろう?」
「……あぁ」
実際に処刑するかどうかは問題ではない。この条件では来ざるを得ないのだ。
「それで、誰を使う。よもやその男の続投を許しはしまいな?」
「そうだね、それに関しては陛下より玉音を賜っているよ」
グレアに下された一月以内のダルトラ占領という勅は撤回。
旅団は維持されるが、英雄の多くは超難度迷宮攻略などに充てられる。
「な――」
「当然の措置だろう。元より保有英雄の全てを戦闘に投入出来ないのは、超難度迷宮を放置出来ぬからだ。旅団の英雄を使えば、その分他の者の手が空く」
魔物は悪領から外に出ることが出来る。そして、超難度迷宮は英雄にしか攻略が許されない、すなわち徘徊する魔物がそれほど強力なのだ。放置など決して出来はしない。
だからこそ、戦時中だろうと国内に残留させなければならない戦力というものがある。
それは、超難度迷宮を擁するあらゆる国に共通することだ。
国土内に散らし、残留させる戦力に、優先して旅団の人間を使う。
これが、言うなれば失態の罰となるのだろう。
「そしてグレア、君には別の勅が下った。陛下が御自らお伝えになるそうだよ」
その言葉に、エウラリアが一層不快げに眉を顰めた。
「貴様と陛下の間に何がある」
「陛下がお伝えにならないということは、貴官には知る必要が無いということだろう」
「……悪神関連ということは知れている」
グレアが『暗の英雄』、すなわち概念属性を用いる時点で予想は出来ることだろう。
現代に悪神と関わった者なのだと。無論、無数にある噂の一つだ。
グレアと皇帝が、悪神にまつわる何かを隠していると。
「七征が役儀は、陛下の胸の内を揣摩することではあるまい」
「――――つけあがるなよ、グレア」
エウラリアの眼光がこちらに向けられる。
「あなたこそ、だんちょに対してあまり生意気な口を利かない方が身のためデスよ……?」
またしても口を挟んだのはシリウスだ。
「……旅団を抜けた身で、かつての上官の犬をまだ続けるか」
シリウスは挑発をものともせず、「わんわん」などと冗談を返している。
「と、いうわけでひとまずの話はこんなところかな」
エウラリアは舌打ちを漏らし、視線をシリウスから外した。
「結局のところ、次の任務には誰があたる」
「――私さ」
その言葉に立ち上がったのは、微笑を湛えた――ジャンヌ=インヴァウスだった。




