165◇長卓に座す
英雄旅団に課せられた王族暗殺任務の顛末。
動員数十三名。内、戦死者五名。
また、英雄連合より三名の亡命者受け入れを予定していたが、一名が死亡。
加えて、一度は旅団へ引き入れた『白の英雄』が連合へ戻る事態へと発展。
『蒼』及び『翠』保持者の存在が露見。
王族暗殺任務は失敗。
「わーお」
なんて、戯けるように諸手を小さく掲げて見せたのは、盲目の女性『教導の英雄』ジャンヌだ。
広い空間だった。
蒼白い光を放つ照明は絞られ、室内を淡く照らすに留まっている。
部屋の中心には、白い石材を用いて造られた長卓が一つ。
そして、背もたれの高い座席が七つ。
三つずつが向かい合わせに、そして一つは議長か何かのように全員を見渡せる位置に。
椅子の背には数字が刻まれている。
グレアが腰掛けるのは七の席。
後ろに『翠の英雄』レイドが控えている。
七征とその副官のみが出席を許される会議室だ。
今埋まっているのは一、三、五、七の四名。
拝数七――『暗の英雄』グレアグリッフェン・ダウンヘルハイト=シュヴァルツィーラ。
拝数五――『燿の英雄』アヴィディアシリウス=アヴソドスランヴァー。
拝数三――『万象の英雄』エウラリア=ウォーフォール。
拝数一『教導の英雄』ジャンヌ=インヴァウス。
残り三名は欠席。
議題は今後の活動についてだが、今問題に上がっているのは暗殺任務に関して。
「あぁ、そうだ。ホルス、私の頬をつねってくれるかい? だってこんなの悪夢に決まっているからね。まさかあのグレアともあろう人間が、彼の率いる旅団ともあろうものが、ふふ、烏合の衆もいいところの連合などにその進撃を阻まれることなどあろう筈もないのだから」
言葉に反して、滲んでいるのは楽しげな色。
彼女の後ろに控える褐色の美青年が「それでは、失礼します」と言って彼女の頬をつまむ。
「最近の夢は凄いなぁ。痛覚までこんなに鮮明だなんて、ねぇホルス」
「ジャンヌ様。非常に申し上げにくいのですが、残念ながら夢にはございません」
随分と遠大な皮肉だ。あるいは純粋に諧謔のつもりなのか。
どちらにせよ、彼女は蠱惑的に微笑んだ。
「まったくだ。残念でならないとも。でも大丈夫。失望なんてしないよ、君の能力は疑うまでもない。君に出来なかったのなら、あぁ、今回の王族暗殺任務それ自体は、誰が担当したところで失敗しただろうさ。つまりそう、誰かが、結成間もない連合を纏め上げ、裏切り者を抱えた上で防衛を成功させた。ただそれだけのこと。そうだよね、グレア?」
ただそれだけのこと。それがどれだけ困難を極めるか、ジャンヌが知らぬわけもない。
今度こそ、明確に皮肉だった。それも、とびきり悪質だ。いや、言い返すことが出来ない分上質ととるべきか。抗弁を許さず相手に突き刺さるというのは、皮肉の性質からして最高の成果だろうから。
「だんちょ、どんまいデス」
グレアを励ましたのは、斜め前に座る少年だ。月光のような毛髪、満月を二つ並べたような瞳、三日月のように吊り上げる唇。
彼こそは、十四にして七征に名を連ねる俊英にして、元旅団員。
あどけない顔でいつも無邪気に笑っているが、本当の感情が何処にあるかだけは悟らせない不思議な少年。右目の下に三日月を二つ並べたタトゥーを入れている。
『燿の英雄』シリウス。
「団長はよせ、シリウス。席次で言えば、貴官は己より上位の人間だろう」
「だんちょはだんちょデス。ずっと、ぼく達のリーダー」
その声は親愛に満ちている。けれど、彼はかつて旅団を去った。
グレアは「そうか」とだけ返す。
「いやぁ、泣けるじゃあないか。上下が入れ替わってなお壊れることのない人間関係。美しすぎて泣けてくるよ。涙腺が機能していれば、声が枯れるまで涙を流したのに」
ジャンヌもまた笑顔のまま、にこやかに手を合わせた。
「いい加減にしてもらおうか、ご両名。時間を削って集まったのだ。無駄話に費やす余裕など無いのだから、グレアの処遇について話し合うべきだ」
唯一苛立った声を挙げたのは、浅黒い肌をした二十代半ばの麗人だ。
瞳は鮮血のように紅く、僅かに波打つ毛髪は金色。
『万象の英雄』エウラリア。
「あぁ、ごめんよエウラリア。まったく私ってやつは手短に、というのがとかく苦手でね。元々話すのが好きということもあって、少しでも長くと無意識に引き伸ばしてしまう癖があるようなんだ。いや、でも君の言うことももっともさ。私達だって暇じゃあない。早速本題に入ろうじゃないか」
「既に長い」
「まぁまぁそう焦らずに。グレアの今回の件だけれど、表立った罰則は無しだ」
「当然だろう。七征に認められたとはいえ、その男の主だった任務は失敗を公表されない。存在しない作戦失敗の責を、どうして負わせられようか。だがなジャンヌ殿、そのようなことはどうでもいい。問題は陛下の所有物であるところの英雄を、五名も欠いたことにある」
「まったくもってその通りだねエウラリア。無傷で済む筈が、五人もの同胞を失った。大問題だとも。それでグレア、何か申し開きはあるかい?」
「無い。全ては己の無能が招いた事態だ」
グレアの答えが気に入ったのか、ジャンヌはニィッと唇を歪める。反対に、エウラリアはふんっと鼻を鳴らした。シリウスはニコニコしている。
「君らしいね、グレア。もちろん、君の力が及ばなかったのは一面の事実だ。実際一度は死んでいたわけだしね。『白』のお嬢さんが君の命を救ったわけも、まぁ納得出来なくはない。交戦無しの暗殺成功という最善を失い、一戦交えて損害無しの暗殺成功という次善すら失った中で、自身を死に至らしめる程の司令官を前にして撤退出来たことは、最悪の一歩手前程度にはマシな結果と言えなくもない。だけれどねグレア、今回の件、失態の原因はどの時点にあるのだと思う?」
明白だ。
「一々問答をするな。これは尋問でも裁判でもなかろうが。この男の失態など、初遭遇時にクロノを殺さなかったことに尽きよう」
グレアが応えるよりも前にエウラリアが口を出し、ジャンヌが落胆するように天上を仰ぐ。
「あぁ、もう。エウラリア、君は少し雰囲気ってものを大事にした方がいいのではないかな。いや、話を長引かせたわけではないのだけれど、やはり相応の演出というものが――」
「旅団の馴れ合いは今に始まったことではないが、今回のそれは致命的だ。そも、『白』を欲するのであれば仲間に引き入れるのではなく、クロノを殺した上で捕虜とすればよかった話だ」
「それだと、ぼくも旅団の多くの英雄も、アークスバオナにはついてなかったと思うデスケド」
口を挟んだのはシリウスだ。
エウラリアが彼を睨み、それを受けたシリウスは微笑んだまま。
「……確かに貴殿を含む多くの英雄が、転生当初は非協力的であったのは事実だが」
「だが、とか無いデス。それだけデスよね。英雄が陛下の持ち物なら、だんちょこそが一番それを増やしてきた人デス。だんちょのやり方だから此処まで増えたんデス。一度の失敗でそれを否定するなら、今まで英雄を仲間に出来た功績も否定してみてください。陛下のお役に立つ持ち物の入手を、否定してみてください」
エウラリアが苦い顔で押し黙る。
全ての英雄が最初から協力的だったわけではない。
グレアの仲間への接し方は、理解出来ぬ者にとっては酷く薄気味悪く感じられるだろうが、それを心地よく思う者もまたいるのだ。でなければ、旅団など築ける筈も無い。
そのやり方で十年国家へ貢献してきた。
確かに今回のは紛れもない失態であり、グレア自身それを否定するつもりなど毛頭無いが、シリウスはそうは思わないようだ。
二人の視線の絡み合いを止めるように、ジャンヌが手を叩く。
「はいはいそこまでにしておこうか二人共。私を置いて熱い視線を交わすなんてけしからんよまったく。ねぇホルス」
「わたくしの方では、なんとも……」
無表情で応える副官に肩を竦めてから、ジャンヌの顔がこちらに向く。
薄い唇が開かれる。
「グレア。私の愛しいグレア。君は本当に優しいね。仲間を尊ぶその姿、正直一人の女として愛おしくてならないよ。本当さ、わたしは嘘が嫌いだからね。けれど、だからこそ本当のことを言わせてもらうよ、グレア。きみは本当に、将としては未熟だなぁ」
憐れむようなその言葉に、後ろのレイドが殺気立つ。
「…………何を言って」
「いい、レイド。事実だ」
それを手で押し留め、グレアはジャンヌを見据えた。
「そう、うん。君のそういうところも好きだよグレア。自分の至らなさを認めることが出来る。けれど改善するべきだと思えないのだよね? それは過去生の経験に起因するもので、故に現世で再び思想に手を入れることが出来ない。でもね、グレア、だめなんだよ」
その瞳は何も映さないというのに、彼女には誰よりも世界が見えているようだった。
「仲間に優しい。まさしく理想の上司じゃあないか。でも、実際問題優しいだけの上司なんてものがいたら、そいつは無能さ。厳しさを持たず、故に結果を出せない者の下につく人間が、わたしは不憫でならないよ」
シリウスの視線がエウラリアからジャンヌへと映るも、彼女は動じない。
「グレア、将帥に求められるのはさ、優しさじゃあないんだ。気持ちを汲んでやることじゃあないんだ。救ってやることじゃあないんだ。愛してやることじゃあ、ないんだよ。それらが豊かにするのは心。けれど将に求められるのは――勝利、その一つだろう?」
任務の成功が戦果となるならば、失敗が求められることは有り得ない。
だから、彼女の言っていることは間違っていない。
「わたしはね、グレア。優しい将軍と勝たせてくれる将軍なら、後者がいい。自分を護ってくれる将軍と自軍を勝てせてくれる将軍なら、後者がいい。旅団の仲良しこよしを否定はしないよ。それは強固な繋がりだ。事実、君程に英雄の心を掴む術に長けた者もいない。他の七征の誰も、君程に英雄の部下を持ってはいないからね。けれどさ、その上で負けるなら、皆君に無能の烙印を押さざるを得ないよ」
否定する言葉を、グレアは持たなかった。
「あぁグレア。我が愛しき未来の夫にして、勝利を持ち帰れぬ愚将よ。後はわたしに任せなさい。きみの愛すべき愚昧が産んだ負債は、わたしが責任を持って返済しよう。まったくわたしって女は良妻にして賢妻間違い無しの超優良物件ではないかな?」




