163◇顛末銘々、穢れ聖女
オーレリアの生まれた世界の話。
枯れた大地の中、僅かに残った緑地と水源を頼りに人々は生存領域を確保。
その維持に使われたのが、聖女という人身御供達だ。
人類を滅びへと追い詰めるのは、生体部分と機械部分がいびつに組み合わさった瑕疵虫という怪物。
奴らはただでさえ人より巨大で、おまけに魔法としか表現出来ない攻撃手段を用いる。
唯一の弱点は核と呼ばれる心臓部分。
分厚い外皮をぶちぬきそれを破壊出来るのは、聖女の魔法のみとされていた。
今なら分かる。
人間は瑕疵虫に対抗する為に、核を人間に移植することを考えたのだ。
オーレリアは死の淵までその事実に気付くことが出来なかったから、そこに至るまでの詳細は想像することしか出来ないが、おそらく成功するまでかなりの試行錯誤があっただろう。
適合に失敗した人々がどうなったか、想像に難くない。
死後アークレアに転生してから、オーレリアは折に触れて考えていた。
なんで聖女は女性しかいなかったのか。
正確には、女性しか聖女になれなかったのではないか。
聖女には多くの行動制限が課せられていたが、その中でも念入りに、監視をつけてまで禁止されていたものがあった。
性交渉だ。
聖性が失われるとか、聖女が淫行に耽るなど噂単位でも広がっては困るとか、並べ立てられる理由は無数にあったが、どうしてそこまで厳しく封じたのか。
そして、定期的に行われた調整という儀式。始まる時に意識を落とされて、目覚めた時には終わっている。
身体の表面に変化はない。
周期は、三十日手前か、遅くても四十日手前。
そして、自分の瑕疵虫化が下半身から起きたという事実。
それだけ条件が揃えば、想像することは容易かった。
核が収められていたのは――子宮だ。
他の臓器であれば男も持っている。脳などなら性交を過剰に制限する理由に乏しい。
生命を宿す場所を、核を機能させる部品とするのが、あの世界の秘術の正体。
オーレリアが生まれたのは、ポルートという都市だった。
父はまだ使える資材などを探す回収員という仕事をしていたが、ある日帰ってこなかった。後日、家族の写真が入ったロケットが回収されただけ。
弟は重い病だったわけでもないのに、薬の不足が原因で命を落とした。
母はオーレリアの目の前で瑕疵虫に引き裂かれた。
瑕疵虫の群れが警備網を突破したのだ。
自分も殺されてしまう、そう思った時、当時の聖女が助けてくれた。
鮮烈な救済を前に、熱にあてられたオーレリアは自身も人々を護れるようにと聖女を目指した。
父や母のように瑕疵虫に殺されること人が減るように、弟のように瑕疵虫に追い詰められた世界に殺される人が減るように。
その末路が、あのざまだ。
自身こそが、忌み嫌う瑕疵虫へと堕す地獄の顕現が如き責め苦。
護っていた人間に殺される最期の、なんと滑稽なことか。
あの世界は、聖女の善良さを利用することで存続している。
多くの人間はそれを知りもせず有難がり、一部の真相を知る者は無心に耐用期間の過ぎた聖女を処理し続けるのだ。
果たして、その醜い時間稼ぎがどこまで続くか。
そんなことに、興味は微塵もなかった。
問題は今、過去生の己を知る盲目的な女性が、オーレリアを偶像へ引き戻そうとしていること。
その手段として、なんとも最低の趣向を凝らしていること。
「さぁ、大聖女様、今一度ご自身の役儀を思い起こすのです。貴方様は、世界を救う大聖女であらせられるのですから」
言うと、仮面を付けた女の輪郭がぼやけた。
否、変貌したのだ。変質と言っていい。
既視感のある、肉体の変化。
「……アンタ、正気じゃないわね」
両足は機械的な光沢を放ち、先端の尖った脚へ。体中が膨れ上がり、ところどころ管が見え隠れする不気味なフォルム。やがて出来上がったのは、馬車程のサイズになった――蟻を思わせる瑕疵虫。
「英雄の狂気こそが民を救うのであれば、我らは率先して狂うべきではありませんか?」
くぐもり、歪んでいる声が発せられる。
「……限度があるでしょう」
言葉自体を、オーレリアは否定しない。
例えば、正しいというのは?
人に優しく出来て、慈しみを持ち、争わず、働き者で、周囲を幸せに出来る人間だろうか。
じゃあ、そんな正しくて素敵な人間が戦場に出て、何の役に立つのだろう。
優しさ故に他者を傷つけられぬ者は、足手まとい以外の何物でもない。
国の為に、家族の為に、友人の為に、仲間の為に、死なない為に、正しさを歪めて敵を殺せる者こそが有用だ。
そういった観点から見れば、正常から外れることこそが、つまり狂気の受容こそが英雄の資質であるとも言える。
とはいえ、正気を失えばいいというわけではもちろんない。
オーレリアに言わせれば、狂気こそ最も用法用量を守らねばならぬ妙薬なのである。そして当然、薬も過ぎれば毒となる。そもそもの問題として、狂気には正常から外れるという薬毒が含まれているのだ。
狂気を得てなお、最後の一線を踏み外さずにいられる人間というのは少ない。
それこそを、英雄と呼ぶのではないか。
人から外れてなお、人で在ろうともがく者こそを。
故に、狂気の加速こそを正道と考える者には、その称号、不適格である。
とても、自分が語れることではないが。
自嘲の笑みを口元に浮かべながら、オーレリアは魔法式を練る。
「【透徹糸連・包囲地縛】」
不可視の糸が張り巡らされ、変わり果てた仮面の女・フェイスに絡みつく。
それは彼女を縛り上げ、行動不能にするものだった。
しかし、虚しく空を切る。
「肉体の縮小……!?」
魔力による肉体変化は法則に反しない。
増大する質量を魔力によって代替しているに過ぎないからだ。
だが、逆となると途端に話は難しくなってくる。
先に説明した理屈で言うと、小さくなるには減少する質量を魔力に変換しなければならない。
つまり、自分の肉体を、一時的とは言え魔力に変えてしまうということなのだ。
再変換の術式は組まれているのだろうが、例えば『黒』などによって該当魔力を喪失してしまえば、完全な意味で元に戻ることは出来なくなってしまう。
そうでなくても、魔法操作を僅かでも誤れば同じこと。
敵に縛られた程度で間断なく行うには、命がけに過ぎる脱し方。
「……確かに、いかれてるわ」
再び蟻型瑕疵虫となったフェイスは、眼前に現れた。
糸の再展開が遅れ、組み敷かれてしまう。
ぎりぎりのところで展開した糸が蟻の肉歯を阻む。かちかちと不気味な音を立てるのは、人間で言うところの歯に相当する部分。ぎざぎざしたそれが、開閉を繰り返し音を鳴らす。
「震えてらっしゃいますね、大聖女様」
「……アンタが、とても女とは思えない恰好してるからじゃないかしら」
「戦いの最中に化粧を気にするような輩に、人類の守護が叶うとは思えませんが?」
「化粧崩れとかいう次元じゃないんだケド……」
とはいえ、オーレリアの強がりは見抜かれているだろう。
フェイスが蟻の貌のまま、感嘆の溜息を漏らす。
「あぁ、あぁ大聖女様……! 震えながら敵に立ち向かい、恐れながら抗うことをやめない貴方様の勇姿こそ、大聖女を大聖女たらしめる恩威に他ならないのです!」
その声に宿っているのは、狂的でこそあれ、紛れもなく恭敬の念。
ここに至ってオーレリアは気付く。
自身に偶像への回帰を強いる目の前の女性は、過去の自分だ。
聖女に憧れた頃の自分だ。
フェイスにとって、現実を知った後も聖女は変わらず素晴らしい存在なのだ。
そして、彼女にとって正しいことはアークスバオナにつくこと。
誰よりも素晴らしいオーレリアには、何よりも正しいアークスバオナについてほしい。
それが彼女の主張。自分勝手ではあるものの、理解出来なくはない。少なくとも支離滅裂ではないし、言葉として通らないことは言っていない。
だからこそ、分かり合うことは難しい。
「そうやって、無関係で、顔も知らない、人々とやらを救えって言うの? この世界でも、また?」
「えぇ、えぇそうです、そうですとも! 大聖女様、それこそが我らの存在意義ではないですか!」
世界に尽くすことでしか存在意義を獲得出来なかった少女は、それを他者に強いることに違和感を持つことが出来ない。彼女にとって、それは正しいことなのだから。
「救って、救って、救った先で、ボロボロになって死ぬことになっても?」
「素晴らしいことです。本懐を遂げ、朽ちることが出来るというのであれば、それは最上の終わりと言えるでしょう」
フェイスにとっては、そうなのだろう。
彼女にとっての幸福はそれなのだ。だから矛盾しないし、閉じている。
「……ばっかじゃない?」
「――は? ……今、なんと」
そう。オーレリアだって戦うのは怖い。震えてしまうのだって本当だ。人間的にだって未熟であるし、それをクロに指摘された時などは逆上さえした。
オーレリアは正義に憧れた俗人なのだ。
なによりも自分自身がそれを理解している。
俗人の癖に、正義に憧れて。一度は打ち捨てられてなお、二度目の人生で英雄などという格に押し上げられ、怒りを抱えながらも戦場に赴いてしまう。
けれど、凡人だから。望むものもまた、平凡なそれなのだ。
「悪いけど、アタシは、使い潰されることに幸せを感じる程狂ってないの」
「一体、なにを、大聖女様、なにを――」
フェイスの言葉が止まる。
「ここまで再現しなくてもよかったのに、いえ、再現せざるを得なかったのかしら」
オーレリアは糸を限りなく細く、痛覚が機能していたとして感じられぬ程の極細にし、体内に侵入させた。そして核を発見。縛り上げ、今、砕いたのだ。
「見捨てるの、ですか。救いを求める、民を」
「アタシが救うのはアタシ。その過程で誰かが幸せになる分には構わないけど、不幸になってまで他人に尽くそうとは思えないわ」
クロが言っていた。『お前が自分の為に動くなら、それは誰かの為になる』と。
その分には一向に構わない。自分が為すべきと判じた行動の末に誰かが幸福を享受することは、いいことだとさえ思う。
「聖女、あるま、じき」
「ごめんなさいね、どうにもアタシ、穢れているみたいだから」
魔力反応が途絶え、フェイスの肉体が女性のそれを取り戻す。
自分に覆い被さるように倒れる、事切れた彼女の肉体を、優しくどかす。
「……ふ、あはは、なにこれ」
自分の手を見る。
馬鹿みたいに震えている。
自明だ。
オーレリアは瑕疵虫を駆除する聖女だった。
だからこそ戦闘にはなれている。迷宮攻略における魔物討伐だって難しくなかった。
けれど、今のは対人戦だ。
今自分が奪ったのは、人の命なのだ。
単に敵ではなく、過去の自分に憧れていた女性。
歯を食いしばり、自分の身体を掻き抱く。
自分は、自分がするべきだと思ったことをして、自分の幸福こそを求めているだけなのに。
「幸福って、こんなに苦しまなくちゃ、手に入らないものなの……」
アークレアに転生する人間が不幸な者ばかりなのは何故か。
簡単だ。満ち足りている者に、戦う理由は無いから。
救いを求めていない人間が、救世主に恭敬を抱かないように。
不幸に身を落とし、幸福を求める者でなければ、神の望むように動かないのだ。
必要に迫られて仕方なく嫌々戦う者と、自らの意思で戦地へ飛び込む精神性の持ち主であれば、後者を選ぶ方が効率的であることは言うまでもない。
まったく、よく出来たシステムだ。
異界の死者を利用して、世界の平和と均衡を保とうとするなど。
しかし、その両方が今、崩れてきている。
その修正もまた、英雄らがこなさなければならないのだろう。
「…………ホント、性格悪」
吐き捨てるように溢してから、オーレリアは立ち上がった。
自分はまだ戦えるのだから、ぼうっとしているわけにはいかないと。
『英雄連合』――『統御の英雄』オーレリア。
『英雄旅団』――『恭敬の英雄』フェイス=ベルホリック。
勝者――オーレリア。




