17◇英雄へ至る者、破顔ス
エコナは、シロやヴィーネが着ているのと同じ、給仕服に身を包んでいた。
幼女が身に付けるにしては、露出の多さが気になるところであるが、何かを期待するように蒼氷の瞳を向けるエコナに、否定的な言葉は吐けない。
「あぁ、似合ってるよ。可愛い」
両手を腹の前で合わせ、もじもじとしていたエコナの表情が、パァっと華やぐ。
それだけで、慣れない褒め言葉を、口にした甲斐があると思うほど、健気な姿だった。
すすす、とこちらに近づいてくるので、おそるおそる頭を撫でると、くしゃっと顔を綻ばせるので、可愛すぎて幸助は息を呑んだ。
元いた世界で、例えば愛玩動物、筆頭は、猫だろうか。
愛玩動物の、可愛らしい動画を観て、それだけで癒されるという人間がいたが、気持ちを完全に理解する。
心が器だとしたら、可愛さはそれに中身を注いでくれるエネルギーだ。
他の例えを探すなら、息子よりも孫を溺愛してしまう老人の気持ち、だろうか。
直接の繋がりではなく、少し離れた繋がりであるからこそ、縁が結ばれた時に感じる想いは、強力になるのかもしれない。
「ちょっと、うちの未来の看板娘を、朝から独占しないでもらえますかねー、お客さん?」
と、目を細めて言ったのは、シロだ。
今朝確認したところ、来訪者はいなかったという。
頻度は本当に不定期で、三日連続で来たことも、幸助の時のように二ヶ月空いたこともあるそうで、更に言えば人数に関してもその時でバラバラらしい。
人数については理由が判明している。
例えば幸助は、一人で自殺しようとしたので、一人で飛ばされた。
しかし、災害や事故で、一度に多くの人間が死んだ時、その中の不幸な者がある程度まとめて転生することもあるのだという。
そういう人間は、流れでパーティを組んだまま、腐れ縁で一緒にいることも多いのだとか。
この酒場――生命の雫亭というらしい――にもそういった客はいる。
さて、何故エコナが生命の雫亭の制服を着用しているか。
彼女を此処で雇ってもらうことになったからだ。
エコナは魔法を各種使えると言っていたが、幸助としては子供を戦地へ連れて行きたくない。
エゴだと言われても、本心なのだから仕方がない。
それに、彼女のステータスは成長度を考慮に入れても、迷宮攻略に耐え得るものでは無いと判断。
青年貴族が連れて行ったのだから、戦えないということは、もちろん無い。
毛玉ことモルモルや、リザードマンことドラゴニク程度なら、どうにかなるだろう。
けれど、それ以上は厳しい。
幸助は彼女の命に責任を持つと決めた。
だから、普通の少女としての幸福を手に入れられるような環境を、保証してやりたい。
とはいえツテなど皆無に等しいので、必然的に唯一の頼れる人物、シロに相談することとなった。
シロからマスターへ話が行き、「うむ」と鶴の一声を頂く。
いいぜ、という意味合いらしい。
マスターは無口で、無表情で、身長が高く、身体も引き締まっていて、四十代くらいで、元来訪者らしい。
幸助は初めて声を聞いたが、震える程渋かった。
奴隷階級の童女を、サクっと雇う度量。
幸助は口には出さなかったが、感動した。
感謝は、しっかりと口にした。
それに対して、マスターは「気にするな」とばかりに、首を横に振った。
格好いい大人の体現者のような人物だ、と幸助はマスターに好印象を抱いた。
エコナは元々料理は出来るようだし、この店の客は来訪者ばかりで差別意識も無いことは確認済み。
マスターも好漢とあれば、労働環境としては悪く無いだろう。
エコナは、働いて稼いだ金で、衣服代などを返すと息巻いていたが、幸助はそれを固辞。
いつか旅立ちの時のため、貯めておけというと、何故かエコナは悲しそうな顔をした。
「っていうかクロ、おかしくない?」
シロがぴょこぴょこ立ちしながら、腰に手を当てている。
当然、胸に二つ付けた球体も運動エネルギーに翻弄されていた。
「なにが」
一瞬胸に視線を吸い寄せられながらも、すぐに上方修正し、首を傾げる。
「あたしと、エコナちゃん、同じ服」
「だから?」
「あたし、可愛い、言われて、ない」
なんで片言なのだろう。
「あぁ、そういや、そうかもな」
「さぁ、言うがいいさ!」
そう言って、シロは胸を張る。
ばいんっ、と効果音でも付きそうな勢いで、胸が揺れる。
彼女の魅力は、何も胸だけではない。
コロコロと表情の変わる顔は見ていて飽きないし、ワンピースから覗く太ももは程よく引き締まりながら、柔らかいであろうことが窺えるすべらかさを主張している。
腹回りはすっきりしており、二の腕には、必要な分の肉が付いている。
加えて、多大な恩義もあり、更に言えば個人的に好感も持っている。
だが、それを全て言うほど、幸助は素直ではなかった。
「あー、エロいなほんと」
ががーん、という効果音が聞こえそうというか、聞こえた。
「ががーん」
と、シロが言ったからだ。
「クロの元いた世界ってさ、女の子に向かって『性的な目で、見てるぜ』って直接アピールする奴がモテるの?」
「いや、少なくとも俺の知る日本はそんな国じゃなかった」
「なら、エロいとかじゃない、褒め言葉、ほしい……」
ぷぅ、とシロが片頬を膨らませる。
幸助は、一瞬、胸が高鳴ったのを感じ取った。
シロは、可愛い。
だが、それはただの客観的事実だった筈だ。
でも、今、自分の胸を打ったのは――。
「あー、あぁ、わかったよ。可愛い、可愛いよ。初めて逢った時からずっと思ってたよ」
誤魔化すように、幸助は言う。
それを聞いたシロは、満足気にふふん、と息を吐き、自慢気に唇を吊り上げた。
幸助の元いた世界では、『ドヤ顔』というものに該当する表情だ。
可愛いが、同時に腹が立つ顔だった。
しばらく顔を見合わていた二人だが、やがて、どちらともなく吹き出す。
「なんだよ、その表情」
「どうだ! って表情です~」
と、そこで「なに油売ってるのよ、シロ。お気に入りなのはわかるけど、そのまま仕事、全部アタシに押し付ける気?」と、言葉に反して柔らかい声音で、ヴィーネが注意した。
「わかってるよ~」
シロは拗ねたように言い返して、厨房へ向かっていく。
エコナと幸助が残された。
「エコナはいいのか?」
「あ、はい。お仕事、しなければなりません。でも、あの、一つ、いいでしょうか」
「あぁ、じゃあ、客の話に付き合ってるってことにして、少しサボれ」
くすりと、エコナは笑って、それから、小さな口を開く。
「ご主人様は、漂流者……いえ、来訪者、なのですよね?」
「あぁ」
「あの、お気分を害されたら申し訳ないのですが、来訪者の方々は、一人の例外もなく、以前いた世界で、不幸な目に遭われたのだと、そう聞き及んでいるのですが」
「そうだな。その通りだよ。それに大丈夫、気分悪くなんかなってないさ」
ハラハラした顔をしているエコナに、安心させるように微笑みかける。
「そ、それで、わたし、とても、気になっていることがあって……。来訪者は、前世が不幸であればあるほど、アークレアで強い力を得ると」
「そうみたいだな」
「ご、ご主人様は……! とても、とても、お強いです。わたしの命を救ってくださったばかりか、クレセンメメオスを、お一人で倒してしまわれて……。でも、それって、つまり、ご主人様は、とても辛い目に遭われてきた、ということですよね」
「……あぁ、そういう認識で、間違いないよ」
「それなのに、その対価に得た力を、誰かを助ける為に使われるなんて、わたしには、その、想像できなくて。わたしごときに、ご主人様の胸中を察することなど、出来よう筈がないことは、重々承知しているつもりですが……」
「えぇと、つまり?」
「……わ、わたしが……! わたしが、ご主人様と共にいるのは、以前までのように、行く宛が無いからでも、考えることを放棄したわけでも、命を救われたからでもなく、わ、わたし自身が、ご主人様の、隣に、いたいと…………思った、から、という、ことを、ですね……」
エコナの顔は耳から首まで真っ赤で、瞳は水気を帯びていた。
今にも、雫が零れ落ちてしまいそうだ。
幸助は、微笑む。
「そうか。なんとなく、わかったよ。俺に恩義を感じてるとかじゃなくて、俺のことを気に入ってくれたから一緒にいてくれるってことだろ?」
つまり、昨日の、仲間になってくれという頼みに対して、改めて返事をしたくなったのだろう。
形式上は、主人と奴隷だけれど。
ちゃんと幸助の言葉を聞いて、主従とは別のところで仲間になりたいと、彼女も思ってくれた、というわけだ。
「嬉しいよ、エコナ。お前が仲間になってくれて、本当に」
エコナは、結局泣いてしまった。
「わ、わた、わたし、も……」
「いい、いい。喋らなくていいよ」
幸助は、困ったように笑いながら、彼女の涙を拭った。