158◇顛末銘々、吸血鬼
吸血鬼。あらゆる異界から不幸な死者が転生するこのアークレアにおいて、一つの種族で括って説明することは出来ない。
吸血鬼を名乗っていようと、世界ごとに定義や能力が異なるなどよくあることだからだ。
だからこれは、シオンの世界における吸血鬼の定義と能力。
吸血鬼は長寿だ。優に百年以上生きる。長いものでは千年を超える者も。美醜の価値観が人間とは異なるが、人間から見た時優れた容姿を持っている。夜目がきく。鋭い牙を持つ。他生物へ変化することが可能。再生能力を持つ。体内に取り込んだ血液を自身のものとし、操ることが出来る。
弱点は一つ。
長期間人間の血を断つと、死ぬ。
ある意味で、人間がいなければ生きられぬ種族と言える。
日中の活動に支障は無いが、血を操る戦闘法――血装を維持する因子が太陽光によって非活性化してしまう為、戦術が狭まる。
そして吸血だが、これは生命維持以外にもう一つの恩恵を齎す。
その血が完全に身体に馴染むまでの短い時間ではあるが、被吸血者の特質を再現可能となる。
つまり今、フィーティは『撃摧の英雄』の力を。
シオンは『黒の英雄』の力を。
一時的に、使用可能となっているわけだ。
血が宙を泳ぐ。
遊魚のように、滑らかに。まるでそれが当たり前のことであるかのように、自然に。
フィーティのそれは紅玉を溶かしたように紅く。
シオンのそれは黒く濁っていた。
血装は血そのものである為、基本的に身に纏って戦う。干渉圏外へ飛ばしたものは回収出来ない為、総量の限られた血液を失うことになるからだ。
形状や硬度などを自在に変化させられる血は、鎧としても武器としても一級。
「砕き穿ちなさい」
だというのに、フィーティが選んだのは――遠距離攻撃だった。
針状に形を変えた血液の高速射出。
「チッ――」
虚を突かれたものの、どうにか反応。
薄い膜状の血液を盾のように展開。接触――爆発。
驚愕に目を見開くも、シオンはすぐに気付く。
針弾に『撃摧』を付与していたのだと。
「纏い砕きなさい」
その声は、真横から聞こえた。
同時、衝撃。
血が飛び散り、身体が宙に流れる。
なんとか体勢を整え着地するも、左腕が拉げていた。
消耗はするが、再生をしないわけにもいかない。
「ねぇ、シオン。無理よ。無理だわ。無理なのよ。同じ世界の吸血鬼。けれどそう、フィーティさまとあなたじゃ、悲しいことに格が違う。あなたは優しいわ。あなたは清いわ。あなたは気高く、素晴らしい吸血鬼だわ。けれど、そのどれも、力にならないのが現実よ」
「力が無くちゃ、生きていけねぇってのは確かだろうよ。優しさが仇になることも、清さで損をすることも、気高さが足枷になることも、あぁ、あるんだろうな。だが、そのどれも、力の為に捨て去っていいものだとは、到底思えない」
フィーティはシオンを下に見ている。
同じ吸血鬼として敬意を払いつつも、戦闘において自身が敗北するなど微塵も考えていない。
それは余裕で、隙だ。
彼女の足元にはシオンの血液が散っている。
そして、距離の離れた血は通常回収出来ない。
しかしそれは、通常の話。
シオンは転生し、既に変わっている――英雄規格に。
「貫け」
血液が槍状に変化し、フィーティを串刺しにした。
「な――」
だが、こんなものではフィーティを倒せない。
「面白いわ、シオン。あなたは本当に、優秀。けれど、これでは……っ!?」
「呑み込め」
吸血鬼の力を以ってしても、『黒』を完全再現することは叶わなかった。
あれの本質はおそらく、肉体ではなく魂にこそ宿っているものなのだろう。
故に、掬えたのは表層の部分のみ。
魔力吸収、その一点。
だが、それでも。
全身を串刺しにされ、そこから魔力を吸われれば。
英雄とて、問題無しとは言えぬ。
「ちょ、こ、ざい……ッ!」
破壊。
血の槍、その群れは砕け散り、フィーティは自由を取り戻す。
全身から血を流しているものの、すぐにそれらは彼女の支配下に入り、自在に動き出す。
「最後通告よ、フィーティさまの下につきなさい」
「断る」
「そう。残念だわ。残念よ。本当に、残念に思うわ」
消えた。
そして、背後より異物感。
視界に何かが映る。
槍の先端だ。
一瞬で背後に回られたばかりか、そのまま心臓を貫かれた。
彼女の中にあった余裕が無くなってしまえば、結果はこうも残酷に現実を告げる。
「く、そ……」
あと少し。あと少しの時間があれば――。
「え――?」
奇跡、という他ない。
その時、遠くに僅かに感じていた旅団団長の魔力反応が消えた。
そして、それにフィーティが反応、硬直する。
どういうわけかそれはすぐに元に戻ったが、戦場における数瞬は時として何物にも優る価値を持つ。
「呑み、尽くせ」
「――――」
槍が消える。
それだけではない。
彼女の体内から魔力が消えた。
「あ、あな、た……」
串刺しにした際、シオンは彼女の体内に血を忍ばせていた。
そして今、ようやくそれは到達したのだ。
フィーティの魔力器官に。
いかな大英雄だろうと、魔力を作り出す器官を破壊されれば――魔法が使えなくなる。
維持も当然、不可能になるわけだ。
そう。この世界において、血装もまた魔法に分類される技術となっていた。
とはいえ、重要器官の再生にかかる魔力や集中から言って、シオンも戦闘続行は極めて困難。
どうにか振り向き、フィーティと目が合う。
「…………あぁ、本当、本当に情けないわ。フィーティさまともあろう者が、ただの吸血鬼に遅れをとるなんて」
「……まだ、勝負はわかんねぇぞ」
「いいえ、分かるわ」
フィーティが懐から注射器を取り出す。
薬液を注入。中身は――魔力補給薬。
「これでフィーティさまの勝ち。そうでしょう?」
次の一瞬で、シオンを殺して終わり。
その通りだった。
魔力補給液ならシオンも持っている。
だが、魔力を得ても心臓の修復に集中が必要なシオンと、魔力を得れば即座に戦闘可能なフィーティではその価値が違う。
「でも、残念。団長から撤退命令が下ったわ」
「………………な、にを」
「クロノと、『魔弾』の眼鏡に言っておきなさい。トラを殺した報いは受けさせると。それじゃあね、シオン。次の機会までに、もう少しマシになっておきなさいな。今回は酷いものだったわ、まともな食事を摂っていない所為でしょう。過去生のあなたの方が、余程刺激的だったわ」
『黒』がなければ即殺されていたのは確かな為、言い返すことも出来ない。
いや、そもそも何故彼女は自分を殺さないのだ。
去り際、フィーティが言う。
「そうだ、シオン。一度だけ、一度だけしか言わないからよく聞きなさい。あの時、フィーティさまこそが人間軍を打倒せねばならなかったのに、なのに、それが出来なかった所為であなた達兄妹を死なせてしまって……ごめんなさいね」
真祖と呼ばれる吸血鬼は、そのまま吸血鬼の国の王だった。
フィーティは、シオンの国の王。
だから彼女は今、亡国の王として、その民に詫びている。
守れず済まなかったと、自身の無力を詫びている。
「……下のもんを守るのは兄貴分の役目だ。それが出来なかったってんなら、責任はオレにある。王だろうが、真祖だろうが関係ねぇよ。オレの無力を、勝手に持っていくな」
シオンの言葉に、フィーティは少し驚いたような顔をして、それからくすりと微笑んだ。
「次また敵としてフィーティさまの前に立ったら、その時は殺すわ、シオン」
「こっちのセリフだ」
「でも、あなたを殺した後で、弟妹の面倒は見てあげる」
「さっさと失せろ」
フィーティは蝙蝠へと変化し、闇に溶けるようにして消えた。
「くそ……オレの方こそ、ナノランスロットに詫びねぇとな」
折角血を分け与えてくれたというのに、勝利一つもぎ取れなかった。
彼はきっとシオンを責めないだろう。生き延びたことを喜んでさえくれる筈だ。
だからこそ、胸が痛んだ。
フィーティの言う次までに、強くならねばならない。




