157◇神の瞳に罪と映るのだとしても
クウィンの懇願は、願いですらない。
彼女自身は、望みだと認識しているだろう。
けれど、違う。
現実だけを見て、そこから選べる択しか見つめていないから、こんなことを願いだなんて誤認する。
なによりも見るべきは、現実ではなく、底意。心の奥底に潜んでいる、本心。
だから、幸助の返す言葉は決まっていた。
「お断りだね」
クウィンの表情が、絶望に彩られる。
「……ど、どう、して」
「どうして? どうしてだと? お前――ふざけんなよ? なんで俺が死にたがりに付き合わなきゃいけないんだ? そんなの、聞いてやる価値もないね」
「な、な、な……」
クウィンは動揺している。
ここで幸助に突き離されるとは思わなかったのだろう。
幸助は、怒っていた。
剣を捨て、彼女に近づく。
「耐えられないから殺してくれ? 莫迦言うな」
「莫迦じゃない!」
クウィンが、叫んだ。
引き裂けそうな程に、悲痛の滲んだ声だった。
「知らないくせに! ど、どれ、どれだけ、わたっ、わたしが! どれだけ苦、しくて! 悩んだか! 知らないくせに! 莫迦って言うな!」
「いいや、大莫迦だね。まさしく、救いようがない」
「救えるわけがない! そんなの、そんなこと! クロに、言われたくなって! 生まれた時から、ずっと知ってる! だから、だから、こうやって……クロに、頼んでるのに……どうして」
肩を震わせる彼女の目の前に立ち、胸ぐらを掴んで引き寄せる。
紅玉の瞳を正面から見据える。
「なら、本当の望みを言えよッ!」
「――――っ」
「俺を頼りにするなら、友達だって思ってるなら、助けてほしいなら! 死ぬ為じゃなくて、生きる為の願いを口にしろッ! それをしないなら、お前は莫迦だ! くっだらねぇ寝言を並べ立ててんじゃねぇぞ! 苦しいなら、言うべきは殺してくれじゃねぇだろうがッ!」
彼女の瞳が潤み出す。宝石から溶け出すように、涙が流れ出る。
「……出来るわけ、ない。出来るわけ、ないでしょう! クロに何が出来るの!? これは呪いなのに! 神からの罰なのに! 魂に刻まれた罪なのに! クロに言ってどうなるの! あなたに何が出来るって言うの! 全部全部無駄なのに、どうしてわたしに光を見せようとするの! それが一番苦しいって、わかって……! わかって! クロなら、わかる筈なのに! どうして! なんで!」
「知ったことか! お前がごちゃごちゃ考えてることなんてどうでもいいんだよ! ただそこに在るものを吐き出せ! クソみたいな諦めじゃない、ずっと抱えてる望みを!」
クウィンの表情が、くしゃくしゃに歪んだ。
今までずっと、生まれてからずっと堪えてものが、幸助の言葉で決壊する。
「じゃあ、救けてよ! 救けて! 救けて救けて救けて! 死にたくない! 英雄はもう嫌なの! 怖いのはもう嫌なの! 普通がいいの! 普通に生きたいの! 戦いたくなんてない! クロに嫌われたくない! クロに憎まれたくない! クロに恨まれたくない! クロに殺されたくなんかない! クロと……一緒にいたいの。それだけなの……」
心情の吐露。これこそが、彼女がずっと押し留めていた、見ないようにしていた、仕舞い込んでいた、諦めていた、本当の、唯一つの、願いなのだ。
返す言葉は、決まっている。
「あぁ、わかった」
「…………え?」
「お前を救けるよ」
静寂が訪れる。数秒して、彼女はどうにかそれを破る言葉を口にした。
「そんなこと、出来る筈、ない」
「出来なかったら、その時は責任持って殺してやる」
彼女には分かる筈だ。幸助の言葉が本心かどうかが。
「…………それでも、出来るわけ、ない」
「少し黙ってろ」
ずっと考えていた。
英雄をやめたがっている彼女を、英雄の座に縛りつけることを心苦しく思っていた。
この戦争が終われば自由になれる契約を王と結んだ。その対象にはクウィンも含まれる。
けれど、彼女が抱える問題の本質はそこには無かった。
非業の死、確定。魂に刻まれた罪。
なら、そう。いいだろう。やってやる。
――魂を救ってやる。
魔法式を練る。
幸助の元いた世界には、ハイヤーセルフという概念があった。
高次元の自己。自身を俯瞰する自身。地上における意思決定の事前登録。
幸助の理解が正しいかは分からない。だが、それはつまり――魂を指す。
三次元の観測から逃れる魂は、より高次元に存在する。同じ座標の、違う次元。
神ならば見え、干渉出来る。
ならば簡単なことだ。
幸助は既に概念属性を手に入れている。
使い方の分からなかった『次元』属性とは、こういうことなのではないか。
高次元への干渉権限。魂の視認と干渉を可能とするのではないか。
『止せ』『止めなさい』
頭の中に声が響いた。幾重にも重なった声。どこか懐かしい。
あぁ、そうだ。転生時に聞いた声に似ている。
なら、神の声か。
止めるということは、幸助の認識は間違っていないということ。
潜る。
「んっ」
クウィンが切なげに声を上げる。
幸助は既に視覚でものを見ていない。
――在った。
形状を説明しようとすると、あらゆる言葉が失われてしまいそうになる。
そんな、説明不能のナニカ。けれど、これが魂だと分かった。
『許されざる越権行為』『貴方に与えた権限を超えている』
継ぎ接ぎの魂だった。六人の英雄のものをつなぎ合わせた魂。
けれど、もうこれはクウィンのものだ。クウィンを形成する、大切なものだ。
『其れは人の罪』『其れは神の罰』
罪? 罰? 彼女が何をしたというのだろう。造られて、苦しんでいる女の子に。
非業の死を押し付けるのが、正しさであってたまるかッ!
魂の中心に、それは刻まれていた。
非業の死、確定。
『途絶』で魂の形を留め、罪を『併呑』する。
『取り除くこと能わぬ』『逃れようなどと考える勿れ』
『生命』で魂の修復を開始。『進行』でそれを加速。
『貴様は過ちを犯そうとしている』『与えられた役目を全うなさい』
魂の縫合痕を『否定』し、『無かったこと』にする。
『英雄として生きよッ! 其れこそが黒野幸助、此度の貴様に与えられし役割なのだから!』
『貴方の行いは、英雄の領分を大きく逸脱している!』
「ごちゃごちゃうるせぇよ。友達救けるのに、神如きの許可なんぞいるかッ!」
気づけば、クウィンが目の前にいた。
彼女は自分の体を見つめて、「う、そ……」と呟く。
彼女には視えるのだろう。
傷一つない、綺麗な魂が。
幸助は彼女の頭を撫でる。
「いいよ。普通に生きればいい。大丈夫、もう、お前を苦しめる呪いはないから」
「く、ろ……」
彼女が幸助を見上げ、笑顔を浮かべようとして、止まる。
「な、なんで……クロ、どう、して」
「……これは、気にしなくていいよ」
頬を掻きながら苦笑する。
幸助のステータスに、こんなものが追加されていた。
【呪い】『神に背きし許されざる者』――一年の時が巡る内に悪神の討滅が叶わなければ、魂が消滅する。
「アークスバオナに悪神がいるんだから、どうせ倒すことになっただろうし。だから、大丈夫だ。クウィン、もう戦わなくていいよ。後は全部、俺達に――」
「莫迦を、言わないで!」
クウィンが幸助の胸を叩いた。
「わ、わたっ、し、なんかを救ける為に、どうし、て、クロが、こんなことに、なるの」
腐っても神。忠告に逆らえば罰が下るのは想像出来たことだ。
「ライクと喧嘩した時、クウィンがあいつの腕を直して場を収めてくれたろ? あいつが壊した酒場を直してくれて、あいつに傷つけられた皆を治してくれた。プラスの修行にも付き合ってくれたな」
「そんなの、そんなの、理由に、なら、ない」
「力になるって、約束したから」
「――――」
「約束は守らないとな。それだけ」
「わたし、造り物、なのに」
「皆そうさ。母親の腹か機械の筒かの違いなんて、どうでもいいよ」
「他の、人の、魂を、使って、生きてるのに」
「お前の所為じゃないし、クウィンはクウィンだよ。俺の、友達」
「……あなたを使って、死のうと、したのに……!」
「いいさ。意見が合わないことも、喧嘩することも、友達ならよくあることだよ。これで仲直り」
「…………ぅぁ」
そうして、クウィンは子供のように泣き喚く。
これまでの人生で我慢した分を取り戻すように、泣きじゃくる。
幸助の胸で、どれだけ泣いただろうか。
掠れた声で、少女は言う。
「……クロ」
「……あぁ」
「好き」
短い言葉。
「……あぁ」
「わたしのものに、ならなくていい。ただ、好きなの」
「……あぁ」
「大好き、なの……」
「聞こえてるよ」
彼女はきっと、自分で思っているより言葉を持っていない。
境遇の所為で、それらを獲得する機会も得られなかった。
知識の問題ではない。言葉を選択する心の成長を、環境が止めていた。
だから、本当に大事な場面で伝える言葉も、シンプルなものになる。
「大好きだから、あなたを、死なせない」
「……クウィン?」
顔を上げた彼女の瞳には、決意の光が灯っている。
「普通に、なれても。あなたがいないなら、死ぬのと同じ」
それは、つまり。
「でも、お前は英雄をやめたかったんだろう」
「誰かの為を、強制されるのが嫌だった。非業の死が、怖かったの。けど、もう違う」
そうして彼女は、はっきりとそう口にした。
「戦う。自分で、決めたの」
「そう、か」
「あのね、クロ」
彼女が、名を呼ぶ。
「あぁ、どうした」
その時の表情を、幸助は今後一生忘れることはないだろう。
宝物を抱える童女のような、無垢で喜びに満ちた笑顔で、クウィンは言った。
「救けてくれて、ありがとう。大好きよ」
問題は、山積みだ。
クウィンが呪いから解放され、自ら英雄であることを望むようになったのは大きい。
だが、グレアを逃したことで待ち受ける問題は無視出来ない。
それでも、せめて今だけは。
「どういたしまして」
感謝を述べる友達の前で、友達として立とう。
神の瞳に、罪と映るのだとしても。
知ったことではない。




