155◇継ぎ接ぎだらけの魂は願う
グレアが倒れていく。
だが、寸前で踏みとどまった。
「――【白】」
クウィンが、心臓の負傷を『無かったこと』にしたから。
幸助はそれに、驚かない。
ただ、悲しいと感じる。
グレアは何が起きたか悟ると、幸助には見向きもせずにクウィンを怒鳴りつけた。
「貴様、何故このような真似をッ!」
「…………いいから、消えて」
「己は敗けたのだぞ!? 死すべき敗者を生かすだと!? 貴様、戦士をなんと心得るッ!」
グレアは怒っている。
彼は自分を特別扱いしていないのだ。一人の軍人として扱っている。
戦って死ぬことまで含めて己。そう考えているが故に、敗北によって迎えるべき死の撤回が許せない。
助かる怪我ならば、まだ許せるだろう。
けれど、絶命を回避すること叶わぬそれを、超常の力で修復されるのは戦場の決まりに反する。
己の力であればいい。それまで含めて己だ。集団戦であればいい。仲間の救けまで含めて戦闘だ。
けれど、一対一の戦いに水を差されることは、侮辱に等しい。
正々堂々戦って敗け、死ぬのなら、受け入れねばならない。
それを、『無かったこと』にするなど。
そんなものは認められない。
今まで正常に死んでいった仲間達への冒涜にもなってしまうから。
「……消えてって、言ったの」
クウィンの瞳に光は無い。
彼女はグレアを、仲間だから救ったのではない。
つまり、それは――。
「……それが貴様の選択か、クウィン。それが望みか」
「……そう、これだけが望み」
彼はなおも怒りの形相でクウィンを睨みつけていたが、やがて深く深く呼気を漏らし、表情を消した。
「……いいだろう。これが、貴様を仲間と扱う最後の瞬間と知れ」
そしてグレアはその場を去ろうとする。
「待て」
だめだ。
グレアを此処で逃がすことは出来ない。
「王族暗殺任務は中止とする。我ら旅団は撤退を開始。仲間を失いたくないのであれば、追わぬが賢明だぞ、クロノ」
「ふざけんな――ッ!」
アークスバオナの英雄総数はいまだ明らかになっていない。
ここで旅団メンバーを減らすことは、のちの戦況に大きく影響を及ぼす。
特にグレアはダメだ。
幸助と同じく、彼も短期間で飛躍的に強くなる可能性がある。
幸助が剣を拾い上げると、そこに白い鞭が絡みついた。
「クウィン……お前が何を考えているんだとしても、これはだめだ。やめろ」
「これをしたら、わたしを許せなく、なる? いいよ? 許さないで?」
そして、グレアが『空間』移動で消える。
「……クソッ、最悪だ……! あいつは、此処で殺さなきゃいけなかったんだ! この先死ぬ兵の数をどれだけ減らせたと思う! お前は、自分が何をしたのか分かってるのか!」
クウィンを睨んでしまう。
彼女は本当に嬉しそうに、微笑んでいる。
「うん、クロの邪魔した。怒ってる、よね? だから、したの」
歯を軋らせる。心を落ち着ける。
「…………お前の目的は、分かっているよ」
幸助の言葉に、クウィンは微かに首を傾けてみせた。
「そう、なの? 当てて、みて?」
人造英雄計画について、幸助は調べをつけていた。
だから、彼女の望んでいることにも察しがつく。
それはあまりにも、あまりにも悲しい、少女の幸福の形。
いや、不幸の中で藻掻いた少女の、苦闘と諦念の果て。
表情が歪むのを、堪えられない。
口にするのが、苦して堪らない。
それでも、言う。
「お前は、俺に殺されたいんだ」
クウィンが笑う。
空虚に笑う。
◇
初めて迷宮攻略をさせられた時。
クウィンは身体が震えて仕方なかった。
緊張と、恐怖の所為だ。何人かの軍人や貴族が同行していたが、戦うのはクウィンだ。
初の、いきなりの実戦。
どれだけ力が有ると言われたところで、クウィンは生まれて間もない少女なのだ。
なのに、誰もが期待の眼差しでこちらを見る。クウィンだけに戦えと言う。
大型犬程度の黒い魔物が現れ、クウィンを襲った。
長く鋭い牙も、滴る唾液も、鳴き声も、俊敏な動きも怖くて仕方なかった。
何度も何度も攻撃を外し、噛み殺される寸前でようやく当たった。
魔物が消し飛ぶ。
泣き出してしまいそうな程に、怖かった。
なのに。
「素晴らしい!」
「さすがは白の遣い手!」
「これでダルトラも安泰ですな!」
全部、聞こえた。聞こえているのに、彼らはそれに気付いていない。
嫌だ、と思った。
怖くて、辛くて、心臓が絞られるように苦しいのに。
クウィン以外は、皆笑顔だった。
嫌だと言うと、一様に煩わしそうな顔をした。
「あなたは人類の希望だ」
「民の命はあなたに掛かっています」
「その苦労お察しします」
リガルや他の英雄達は比較的優しかったが、それでもクウィンを本当の意味で助けてはくれなかった。彼らには、英雄をやめさせる権限が無かったのだ。
だから、たまの外出やサボりを融通してもらう程度だった。それでも、クウィンにとっては得難い存在。得難い存在だけれど、心は救われなかった。
その内、クウィンは悟る。
意味無いんだ。
泣いても、震えても、自分が何を訴えかけても無駄。
クウィンは毎晩毎晩震えながら泣き、泣き疲れてから気絶するように眠るというのを繰り返した。
悪夢に魘されない日はなかった。
魔物に殺される夢ばかりを見た。
非業の死、確定。
それはどんなものだろう。
どれだけ怖いんだろう。辛いんだろう。痛いんだろう。苦しいんだろう。悲しいんだろう。
いやだな。
全部、いやだな。
何もかも投げ出してしまいたかったが、クウィンには何もなかった。
自由は制限され、縋る血縁者はおらず、故郷は研究所の培養槽だ。
何も無いから、何処へも行けない。
寄す処が無いから、孤独でいるしかない。
次第に世界から色が剥がれ落ちていった。
全てが非業の死で台無しになるのに、何かを得ようなんて微塵も考えられなかった。
だって、辛くなるだけだ。
失いたくないなんて、死ぬ間際に惜しくなるものを集めたって。
自分がゴミみたいに死ぬんだから。
なるべく安らかな死が欲しくて、クウィンは無感動に、無欲に生きるようになった。
何も持たなければ、生に執着しなければ、死の恐怖が軽減されると思った。
そうやって、色彩の欠けた世界を生きていた。
そんな時だ。
クロに出逢ったのは。




