154◇穢れ在り聖女
オーレリアの相手は、仮面を付けた女だった。
「あら? もしかして貴方様は――大聖女様、でいらっしゃいますか?」
ピク、とオーレリアの頬が引き攣る。
「……アンタ、あの世界の人間?」
それを肯定と受け取った女性が、手を合わせ歓喜に打ち震えるように唇を吊り上げた。
「あぁ……! あぁ……! 大聖女様! 貴方様もアークレアに転生していらっしゃったのですね!再び貴方様のご尊顔を拝することが出来ようとは思ってもおりませんでした!」
仮面の下からぽろぽろと涙が溢れる。
演技で無いのなら、彼女は過去生でオーレリアの信者だったのだろう。
オーレリアの元いた世界は、もうほとんど滅びかけていた。
人類は瑕疵虫と呼ばれる怪物を前に絶滅の危機に瀕し、生き残りが足掻いているという無様な状況に陥っていた。
何故人類が滅びなかったか。
怪物達が使う魔法と形容する他無い異能を、後天的に獲得する術を見つけ出したから。
女性にしか施せぬ秘術を用い、人類は抗戦を可能とした。
聖女と呼ばれる女性らの中でも、オーレリアは格別優秀で大聖女と呼ばれ讃えられていた。
嬉しかった。人々を守れるのが。瑕疵虫を倒せるのが。自分の正しさを形に出来るのが。
嬉しくて、堪らなかった。
だから気付かなかった。
怪物達が使う異能を、どのようにして人間が使えるようになったのか、深く考えていなかった。
ある時だ。強力な瑕疵虫の討伐を済ませ、帰投することになった。
聖女にはいつも護衛の男達が何人もついていた。
だが彼らの目的は、聖女を守ることなどではなかったのだ。
体に異変を感じた。上手く歩けず転倒してしまう。
見ると、片足が化物のようになっていた。片足だけではない。次々と体が変容し、瑕疵虫に近づいていった。
混乱するオーレリアが護衛を見ると、誰一人取り乱していない。
それどころか武器を取り出し、オーレリアに襲いかかった。
瑕疵虫になる前に聖女を殺せ、と隊長らしき男が命令する。
そこで気付く。
瑕疵虫を、女性の体に埋め込むのが、この世界で言うところの秘術なのだ。
献身的な英雄を使い捨てにすることでしか、人類は存続できないのだ。
オーレリアは嘆いた。
何も知らなかったこと、ではない。
何も知らされなかったことこそを嘆いた。
だって、そうだろう。説明するべきだ。何故黙っていた。
それはつまり、信頼していなかったということだろう。
いつか化物に成り果てるまで、世界を救ってくれ。
そう言われたって、それしか方法が無ければ、きっと受け入れた。
なのに、黙ってた。そして、こうも簡単に殺そうとしている。
オーレリアは、自分の愚かしさを憎みさえした。
自分はなんて莫迦だったのだろう。
不気味な力に縋り、無関係な他人を救い、化物として処理される。
これが、大聖女の末路。
転生して、オーレリアは決めた。
今度は自分の力だけで、自分の為だけに生きる。自分の幸福こそを、優先してやると。
だが。
「アタシの末路は、どう伝わったのかしら?」
「瑕疵虫の群れに遭遇し、護衛を逃がす為に殿を務め命を落としたと」
「あはは」
さすがだ。なんとも素敵な美談を拵えてくれたものだ。
ただ殺したくせに。
「わたくし、大聖女様に憧れて聖女に志願したのです! ですから今日、こうして尊崇する大聖女様にお逢い出来て本当に光栄です!」
「…………え」
今の話は、どこかおかしくないだろうか。
オーレリアに憧れて聖女になった? 最悪だ。自分一人不幸になるならまだしも、オーレリアに憧れたばかりに罪のない女性達を非業の死へと導いてしまった。
けれど、そう。彼女が聖女になったというのなら、その末路は――。
「アンタ、気付かなかったの?」
「気付く? ……あぁ、瑕疵虫化のことでしょうか? オーレリア様は五年もの間務めを果たしたというのに、わたくしの耐用限界は半年程で訪れてしまいまして……お恥ずかしい限りです」
「そうじゃなくて! アタシ達は、利用されていたのよ! ムカつかないわけ!?」
少女は不思議そうに首を傾げる。
「使い途の無いゴミに聖女という大役を任せてくださったのですから、恨みなどあろう筈もなく」
その言葉は、不気味なくらいに澄んでいて。
オーレリアは一つの可能性に至る。
「…………アンタ、仮面取りなさい」
「とてもお見せ出来るようなものでは。お気分を害してしまいます」
「取りなさいよ」
「……大聖女様がお望みになられるのなら、そのように」
少女が仮面を取る。
その両目は、悲惨なものだった。大した道具も無い中で眼球を抉り出そうとしたのだろう、ズタズタにされていた。
オーレリアのいた世界で、緑の目は瑕疵虫と同じ色。
不吉とされ、生まれれば殺されることもあった。
少女は両目を抉り取られた。そんな顔では身体を売ったところで買い手もつかない。故に少女は自身を無価値と感じており、聖女になれると聞いて志願したのだろう。
こんな少女すらも、利用して人類存続に役立てる世界。
「……あんな世界、滅びればいいのに」
「そのようなことを仰られるものではないですよ、大聖女様。貴方様のご活躍によって救われた命が、未来を築くのです。わたくし達の命が幾つ散ろうと、それが復興に繋がるのであれば、それは素晴らしいことではありませんか」
英雄は誰しも、どこか狂っている。
少女の場合は、奉仕願望とでも言うべきものに狂っているのだろう。存在価値を認められたい、その為に何かに尽くす。他者の役に立つことでしか、自身の生を肯定出来ないのだ。
「……アンタ、なんでアークスバオナに協力してるわけ?」
「旅団の方々は、わたくしのような無能を必要としてくださいますから。それどころか、大切な仲間だと言ってくれたのです」
眼球を持たない目は、何も映さない。彼女は目で何かを見ているのではなく、魔力で感じているのだろう。
「……でもアンタらのやってることは、人類の救済とは正反対だけど?」
「否、統一によって訪れる恒久的な平和こそが、全人類の救済に他ならないとわたくしは考えます」
「あ、っそ」
所属は少女自身が決めることだ。
出身世界が同じだろうと、自分に憧れていようと、これ以上の干渉は無意味。
「ところで、大聖女様こそ、何故そのような場所に立っておられるのですか?」
「は? ……あぁ、アンタからすればそっちが正しいんだから、大聖女様が悪いことしてるように見えるわけね? 悪いけど、アタシそういうのやめたのよ。くだらないから」
少女は悲しげに表情を歪める。
「おいたわしや、大聖女様のお心は酷く傷ついておられるのですね。ですがどうかご安心ください。かつて大聖女様に心を救われた身、今度はわたくしが貴方様をお救い致します」
「余計なお世話よ」
初めてクロに逢った時、酷く苛立ったのをよく覚えている。
まるで、過去の自分だったから。
瑕疵虫化に気づかず、正義に邁進していた自分。
精神汚染のリスクを抱えながら、国を救おうとするクロ。
あれはつまるところ、八つ当たりだったのだ。
自己嫌悪が、歪んだ形で発露してしまった。
過去の自分を見ているようで正視に堪えなかった。
だというのに、そんな奴に見抜かれてしまった。
自分の為だけに、自分の幸福だけを追い求めるなら。
アークスバオナ側についてしまえばいい。
それをしなかったのは、どれだけ嘆いても、呪っても、後悔しても。
正しいことを正しいと感じる心を、捨てることが出来なかったから。
「もう、誰かの為はやめたの。正義を言い訳にもしない。ただ、アタシ自身がそうするべきだと思ったことを、アタシ自身の為にやるだけ。邪魔するなら、信者でも排除するわ」
うふ、と少女は笑う。嬉しそうに。
それから仮面を付ける。
「大丈夫ですよ、大聖女様。わたくしが、以前の大聖女様に戻して差し上げますからね」
「『英雄連合』――『統御の英雄』オーレリア。アタシはアタシよ、今も昔もね」
「『英雄旅団』――『恭敬の英雄』フェイス=ベルホリック。貴方様のお心を救済します」




