153◇隠色
「『黒』が『精神汚染』、『白』が『記憶落丁』、『紅』が『抑制弛緩』、『蒼』が『変容拒否』。色彩属性は出力を無理に上げると弊害が出る。人の脳に作用する弊害がね。これ、どう思う?」
モノクルを掛けた青年が立っている。
彼の周囲の地面からは木の根と思しき物体が生い茂っていた。
そのうちの一本に、『導き手』マギウスが貫かれている。
「カ、はッ……」
「マギウス殿!」
『剣戟の修道騎士』アリエルが彼を救けに向かおうとするが、それをサラが止めた。
「いけません、アリエル様」
「何を言うのです! 同胞の窮地なのですよ!?」
「いえ、アリエル様。窮地であれば救いようがありましょう。けれど、死者の命を救うなど主の御業を以ってしても容易には叶わぬものです。どうかご理解を」
サラの平坦な声が、冷たく脳に染み渡る。
改めて見れば、確かに到底間に合うものではなかった。
何故なら、貫かれたマギウスはその後すぐに――絶命していたから。
それどころか、ものの数秒でミイラのように骨に肉の張り付いた死体のようになる。
まるで、根に全てを吸われてしまったかのように。
「おや、冷静なんだね。愚かにも救出を試みたところに、二の舞を演じさせてあげるのもいいかな、なんて思っていたんだけれど、そう簡単にもいかないか。で、話の続きをいいかな?」
アーチ状になった根に腰掛けながら、青年は続ける。
「じゃあ『翠』の弊害、この場合は代償かな? 代償が何かというと、『感情剥奪』だ。面白いだろう? つまり色彩属性保持者が無理に力を使うと、それぞれこうなるんだ。壊れるか、失うか、緩むか、止まるか、奪われるかする。症状は違うけど、まともでなくなるのは共通しているよね。これって偶然かな? 僕は何か神の意図のようなものを感じるんだよね。どう思う?」
「……何が言いたいのです」
「君達ゲドゥンドラの修道騎士だろう? 盲目的なその信仰を見ていると、目を覚まさせたくなってしまってね。あ、ところで君達は人工知能って知ってるかな? さすがに通じないかい?」
アリエルには聞き覚えの無い単語だったが、横に立つサラは僅かに眉を歪めた。
「あぁ、通じる人もいるみたいだね。分からないエルフの君の為に噛み砕いて言うなら、知能を持った魔法具みたいなものかな」
「……魔法具に、知能?」
「そう。もし完全なら、人と同じように思考し、行動する。対話も出来れば、恋だってするかも。僕の過去生では、そういう存在をね、脅威に思う人間がいたんだ。なにしろ人工物なわけだから、人間に存在する筈の欠点というものが極端に少ない。言い換えるなら、知能の面で人間達にも優る。そうなった人工物が、人を愚かに思い牙を剥くのではないかという考え。どう思う?」
「……理解不能です」
「そうかい? 僕の説明が下手だったかも。ごめんね。でもさ、つまりそういうことだと思うんだよ。神は世界を作れる程の権能を有しているのに、どうして大陸は全土が肥沃の地ではないのだろう。神は奇跡の道具を無数に作れる権能を有しているのに、どうして最高傑作である筈の人間はこうも不完全なのだろう。ねぇ、さっきの話も踏まえて考えてみてよ。で、どう思う?」
「あなたはこう言いたいのですか。『人の反逆を恐れて、主は人を不完全に創った』と」
青年は「そうだね」と拍手した。
「人がどれだけ力をつけても、決して自分達に届かぬようにと考えたんだろう。神はさ、人を愛しているんだと思うよ。けど、その愛は僕らのそれとは定義が異なるんだと思う。歪な箱庭に、不完全な人形を配置して、絶えぬ脅威を配置する。これさ、控えめに言って異常だよね。まるで、実験場だ」
それでも、と青年は続ける。
「僕は気に入ってる。アークスバオナを緑化する為に感情のほとんどを失ってしまった僕だけれど、それでもまだ、旅団を好きだという気持ちは残っているんだ。団長の命令で死ぬなら、まぁいいかなと思える自分が、好きなんだ。クイーンも、ネウローゼも、トラも、好きだったんだ。だから、僕は今、少し機嫌が悪い」
つまり、そういうことが言いたかったらしい。
「随分と迂遠ね。前置きが長過ぎるのよ」
サラの言葉に、青年は微笑を返す。
「ごめんね。ただ、ここから先はそう時間が掛からないだろうから、退屈にさせることも無いんじゃないかな。退屈を感じるだけの猶予を、与えるつもりもないしね」
ハッタリで無いのなら、彼は色彩属性保持者ということになる。
クロと同じ。同じだけの力を持っていると仮定し戦わねば。
「まぁでも、感謝するよ。こんな時どんな顔をすればいいのか、もう思い出せないけれど、怒りだけは思い出せた。残ってたらしいそれを引き出してくれて、どうもありがとう――さようなら」
蠢く根の群れが、一斉に二人に襲いかかった。
◇
「最悪です最悪です……っ! ほんっっとうに! やってくれましたねあの男!」
苛立ちをぶつけるように何度も地面を踏みつける蒼髪の少女。
その度に靴底が地面にめり込むが、気にした様子は無い。
『編纂の英雄』プラナは警戒を解かず、少女の力を予想する。
少女も『魔弾』を被弾していた筈だが、どういうわけか無傷。超速再生、だろうか。
「クイーンも、あの根暗女もフィーティの眷属サンも、皆死にました。死んじゃったじゃないですか。ボクの魔法が間に合えば、どうにか出来た筈なのに。奇襲の後は隔離! ほんと性格悪いですねクロノとかいう男! 不愉快極まりないです!」
「であれば、彼の策はこの上なく機能したということになる。わたし達に有利に働き、あなた達に不利に働いたのだから」
「何を莫迦なことを言っているんですか? ボク達が、不利? アークスバオナの天使ことこのサファイアちゃんが作戦に参加している中で、不利になんて陥るわけがないでしょう。ボクは最初から、そんなどうでもいいことを心配しているんじゃないんですよ。どうでもいいんです、そんなことは」
蒼い瞳に灯るのは、苛立ち。
「団長と、ボクと、レイドと、クウィンがいて、その上で仲間を失ったという事実が苛立たしくてしょうがないだけです。えぇ、クロノは優秀なのでしょう。けど、彼一人優秀で何になります? 一人で戦うなら、それは戦争と呼べはしないでしょう。喧嘩や決闘が精々です。戦争と呼べる規模の戦いを、一人で勝ち抜くことは出来ない。たとえ彼が団長に勝ったところで、他の連合英雄が全員死ねば、それは敗けなんですよ。そして、それは現実になる」
彼女の周囲を、蒼い粒子が舞う。
「『英雄旅団』隠色――『蒼の英雄』サファイアホロー=アビサルダウン。あなたがたの命を、止めてあげましょう」
言うと同時、サファイアの体が吹き飛ぶ。
神速の何かが彼女の腹に激突したのだ。
「フィオはねー、フィオだよ?」
『神速の英雄』フィオレンツァーリ=ランナーズ。彼女の全身に刻まれた墨状人工魔法式紋身が淡い光を放っていた。
英雄規格のみが集まった英雄連合では感覚が狂うが、通常、魔法の発動に掛かる時間というのは魔法式の複雑さに比例する。大きな効果を発揮する魔法の構築と発動には、長い時間が掛かるということだ。
咄嗟の発動で言えば、クロやオーレリアが連合でも最速に近いだろう。
それも素の状態であればの話。
フィオレンツァーリの入れ墨は、それを更に短縮する為のもの。
魔法式の構築すら飛ばして、意識と同時に発動が済んでいるというレベルに到達している。
その上で、身体強化や『風』魔法を重ねがけし、実現している。
彼女を指す『神速』とは、魔法発動だけでなく、目に負えぬ攻撃速度まで含めたもの。
それは確かに、サファイアに直撃した。サファイアは地面を何度も跳ねて、転がった。
しかし、何喰わぬ顔で立ち上がり、服の埃を払い始める。
「……最悪です。美しく可愛いボクに不似合いな無様でした。仲間に見られていなかったのが不幸中の幸いです。あとはあなた達を始末すれば、えぇ、無かったも同然でしょう。簡単なことです」
「あ、れ……?」
フィオレンツァーリが倒れた。
どうにか体を起こそうとするも、様子がおかしい。
足に、蒼い痣が出来ている。
「あなたの脚部と脳の接続を『途絶』しました。いくら動かそうとしても、その意思、その命令は、届きませんよ。だって、繋がっていないんですから」
「……途絶。まさか、『蒼』だとでも?」
プラナの言葉を、サファイアは嘲るように笑う。
「驚くようなことでもないでしょう。ほとんどの人間は人生最高の瞬間に出逢った時、こう願う。『時よ、どうか止まってくれ』と。ボクも同じです。ボクが人生最大に美しく可愛い瞬間を、永遠に留めておきたかったんです。故に『蒼』、故に『途絶』! ボクは老いを超越し、負傷と縁切りし、手に入れたのですよ。固定された一瞬を! あぁ、時よ止まってくれてありがとう、ボクは美しい!」
自分の体の状態変化を『途絶』しているから、怪我すらしないとでも言うのか。
そんなもの、どう倒せば。
こちらに近づいてくるサファイア。
彼女とフィオの距離が縮まっていく。
その時。
二人の中間に亀裂が奔った。
まるで、不可視の刃が振り下ろされたかのように。
「おーほっほっほ! お待ちなさいな、主役が此処に居ましてよ? あまり美しくも可愛くもないおチビさん?」
「…………はぁ? 今なんて言いました?」
現れたのは、ダルトラ軍服に、上位軍人を示すコートを羽織った銀灰色の少女。
「腹に据えかねるのはこちらも同じということですわ、美しくも可愛くもないおチビさん。おにいさまを傷つけ、おねえさまを拐かした罪、旅団メンバーとして償いなさい。粉微塵に斬り刻めば、わたくしの気も少しは晴れるでしょうから」
「……『斫断の英雄』ですか。ふぅん、未発育ババアに美醜の判断が出来るとは驚きですね。いえ、出来ていないからボクの魅力に気付けないのでしょう。その哀れなまでの愚かさに免じて、苦しまずに殺してあげますよ。ボクってば、すごく優しいですね」
二者の間に火花が散る。
ロエルビナフ戦役に投入されていたパルフェンディは、多くの擬似英雄と交代する形で王都へと向かっていると聞いていた。
それが今、到着したということだろう。
「ダルトラ国軍名誉将軍――『斫断の英雄』パルフェンディ・フィラティカプラティカ=メラガウェイン。死ぬのはあなた――ですわッ!」
「宣言してあげましょう。この戦いで、あなたの未来は『途絶』する」




