149◇糾はる黒と黒
『黒』による『併呑』で生物を呑み込んだ時、手に入れられぬものが一つ。
記憶だ。
これが出来るのであれば、『霹靂の英雄』リガルを呑み込んだ時に彼の生前の記憶から犯人を見つけられただろう。幸助がわざわざ生きたリュウセイの記憶を覗いたのもその為。
記憶は精神もしくは魂に属するものとして、死者を呑み込む『併呑』の対象から外れているのかもしれない。死した時、肉体の軛より解き放たれるその二つに付随するものは、手の内に収められぬという理屈。
なら、幸助がエルマーの得意とする曲刀・ゴーストシミターを十全に扱える理由は何か。
単純に、肉体を『併呑』したから。それを扱うスキルを手に入れたから。それもある。
だが例えばリガルやライクといった英雄の近接戦闘を、幸助は再現したことがない。
体格が異なる為に、同様のスキル群を利用した時、彼らとまったく同じ結果にはならないから。
近接戦闘と言っても、小さい者と大きい者で、力のある者と無いもので、頭のいい者と悪い者で、その他様々なものを理由に、千差万別。
幸助はそれらを応用することは出来ても、当人とまったく同じようには出来ない場合が多い。これは何も弱点などではないが、再現性、その力を利用するとした場合の完全性には欠ける。
しかし、エルマーと幸助は、同じ。成長期を終えた肉体から五年分の訓練を積んではいるものの、同様の個体故に、ズレがほぼゼロなのだ。
そして幸助は、その僅かなズレを、【黒纏】内部装甲に人工筋肉の役割を果たさせることで埋めた。
そうして今此処に、千年の時を越え、神話に名を刻んだ『暗の英雄』、その極技が振るわれたのだ。
振り上げた腕も剣も既に無く。胴体を晒すグレアへ二度剣閃を振るわんとするも――止まる。
幸助の全身に『蒼』き粒子が纏わり付いていた。
グレアの『途絶』だ。
以前の戦闘で彼が『空間』による移動を除けば『黒』以外を使わなかったのは。
それをすることで幸助にその力を奪われてしまうから。
この状況でその禁を破るということはつまり。
そうでもしなければ脱することの出来ない窮地であるということ。
そして、おそらく――。
彼の『蒼』を呑み込み行動可能になるのと、彼の姿が掻き消えたのは同時。
グレアはクウィン――正確にはその横に倒れる死体――の側に現れた。
そして遺体を『黒』で呑み込む。そう言えば、もう一つの死体も無い。先に『併呑』を済ませていたのだろう。
魔力再生スキルを持っているのか、腕の再生もとっくに済んでいた。
そう。彼を倒すことの難度は、もう一人の自分を殺すことに等しい。死を望まず、精神汚染に侵されていない自分。
魔力は膨大、損傷は高速再生。求められるものは死。方法は――。
「……『暗の英雄』はどんな面をしていた?」
裏切り者がいるならば、幸助がエルマーを『併呑』した件も当然知っていよう。
そして『黒』の保有者であれば、幸助やグレアがしたように、仲間の魔術属性を入手することは容易に想像がつく。
つまり、エルマーを『併呑』した幸助は、エルマーと関わりのあった神話英雄の力を入手していると想像がつくわけだ。
その中には当然、色彩属性も含まれる。
以前までと状況が変わり、幸助相手に概念属性他を温存する理由が無くなった。
後は、どちらがそれらを上手く用い、敵を討てるか。
「……冴えない顔をしていたよ」
「そうか」
何か意味のある質問では無かったのだろう。単に途切れた戦闘の間を埋める為のもの。
グレアがクウィンを見る。彼女は何かに耐えるように俯いていた。
「済まんな、クウィン。クロノを連れ帰ると言ったが、果たせそうもない。奴は、帝国の繁栄を前に屠らねばならぬ。その上で、貴様も選べ」
「………………とっくに、選んでる」
「……そうか」
グレアはそれだけ言って、『黒』で創った剣を構える。
「あの時の貴様が何故退かずに戦いを続けたか、理解したぞ」
グレアは分かっている。仲間は散り散り、そして幸助はエルマーの力を継いでいる。
それでも。
「詫びねばならんな。なるほど確かに、退けるわけもなし」
絶対に勝てないのだとしても、負けられぬ理由があるから、自身に折れることを許せない。
それでも、戦場は非情だ。勝者と敗者を、明確に振り分ける。
幸助は一度、耳のピアスに触れた。
グレアの魔力が膨れ上がる。
地面を割って、荊棘の群れが噴出。先端が鋭利で、紫色の液体――おそらく毒――が滴っている。
それらが幸助に向かって急速に伸びた。
不壊の剣を抜き、奔る。
闇を裂くようにして荊棘の群れの中を駆け抜ける。
幸助の背後でぽろぽろと荊棘が断たれては落ちていく。
魔力反応。
横に跳ねる。
腹部の一部が消し飛んだ。
『無』属性による消去だ。即座に再生。余程幸助を近づけたくないらしい。
『空間』における移動にはラグが、『無』における消去には座標指定という操作性の悪さが、それぞれ存在する。『時間』を止めれば自身の肉体の動きを止め、『次元』に至ってはエルマーの保有魔法の中にも利用法らしきものが存在しなかった。
グレアももう安易に『空間』移動は出来ないだろう。魔力反応を追って幸助が『空間』移動すれば無意味に終わる。ラグの数秒で勝負が決まってしまうと、彼も理解しているだろうから。
剣の間合いに入る。
「――――ッ!!」
驚愕はグレアから。
幸助が剣を横に放ったからだ。
眼前の敵の武器に気を取られるのは当たり前のこと。神の子の力が宿った宝具ともなれば、戦闘中に捨てるなど想像の埒外。それが突如宙を舞えば、一瞬とはいえ意識を奪われてしまうのも無理はない。
その一瞬が、命取りになるのだとしても。
刹那を更に数百に刻む程の、極短い時間を、刃が奔る。
煌めきの残光さえ無く、術者に結果のみを授ける一刀。
グレアの上半身と下半身が二つに訣れる。
「――終われぬ……ッ!!」
超速再生。断たれた体が繋がる。彼は剣を上段に構えていた。
しかしまたしても、それは機能しない。
幸助の『無』によって、肘より先が消滅していたから。
再び再生が始まるが、もう遅い。
二度の再生を待つ程、両者の距離は絶望的ではない。
刀すら捨て、懐に潜り込む。
――力を借りるぞ、エルマー。
グレアの胸、心臓の位置に手のひらを当てた。
全ての力を一点に集約。
「【黒迯夜】」
無限を連想させる『黒』き奔流が少年の掌より放たれ、グレアの心臓を貫いて天まで駆け上る。
魔力再生を持つ者を殺すのは簡単だ。魔力が尽きるまで殺し続ければいい。
だが、その魔力があまりに膨大だったら?
魔力再生も、意識があって初めて機能する。
つまり、脳を破壊するか、脳の機能が停止するまで追い込むかせねばならない。
幸助が選んだのは後者。『黒』を放ち続けることによって心臓の再生を阻害。
そうなれば、人である以上やがて――死ぬ。
「負ける、わけには――ッ!」
グレアの足元から『黒』き円錐が無数に伸び、幸助を串刺しにせんと迫った。
だが、幸助の『黒』を貫くには、あと一歩、届かない。
どれほど続いただろうか。
精神汚染の加速による弊害を、エルマーの『抗穢の耳飾り』が低減してくれなければ到底選択できなかった戦法。
やがて、彼から魔力の放出が止まる。
いつの間に再生していたのか、右腕だけが生身の状態で生えていた。
「……己は、こ……感じ……る」
それが幸助の顔に伸び、直前で落ちる。
「……『見事』だ、と」
そうして、『黒』と『黒』の闘争は終わった。
「…………勝っ、た」
遠くで、戦闘音がまだ続いていた。




