146◇戦の前に美酒
休戦最終日の夕方、幸助は生命の雫亭のマスターに無理を言って酒場を貸し切りにしてもらった。
「ちょっとナノランスロット!」
酒場に集められたのは、各国の英雄陣にセツナを加えた十七人。
「あぁ、オーレリア」
こいついつも機嫌悪そうだなぁ、と思いながら幸助は応じる。
ツーサイドアップに結われた赤みを帯びた茶髪が、彼女の動きに合わせるようにふわりと揺れた。
「あぁ、オーレリア、じゃないわよ! 緊急招集だって言うから来て見れば、なんで宴会みたいになってるわけ!?」
「はい、お前の分の酒」
幸助が木樽ジョッキを渡すと、彼女は一度それを受け取り「ありがと……」と呟いてから「いや、だからなんでこんなことになってるわけ!?」と叫び直した。結構ノリがいいよな、と幸助は苦笑。
「そもそも裏切り者の話はどこいったのよ!」
「それはなぁ……見つけられなかったんだ」
「は、はぁ? じゃあなに? アタシは記憶見せ損じゃない!」
「だから、詫びも込めてここは俺の奢りだよ」
「あぁなるほど――って、休戦は今日までなのよ! 明日には敵が攻めてくるかもしれないって時に、呑気に呑めるわけないでしょ?」
「明日っていうか、日付が変わり次第来てもおかしくないな。一度失敗してるわけだし、『黒の英雄』に時間を与えたくないだろうし」
「ならなおさら!」
「もう、やれることはやったよ。だから、後はこれだけ」
幸助の落ち着いた声に、オーレリアも何か理由があるのだと思ったようだ。
「これって、なによ」
「もうすぐ殺し合いが始まる。だから、最後になるかもしれない食事くらいは、仲間と美味いものを喰わないと」
このメンバーで食事を摂ることは、もう叶わないかもしれないのだから。
「……アンタって、平然とそういうこと言うわよね」
言ってから、オーレリアは何か吹っ切れたようにジョッキを呷った。
一息に飲み干し、卓上にジョッキを叩きつけるように置く。
「最後にするつもりなんてないけど、奢りなら呑んであげる」
「そうこなくちゃ」
「……中々雰囲気悪くない店ね。ここが前言ってた酒場?」
彼女もまた、本国と英雄をやめる契約を結んでいる。
戦争が終わった後に身を寄せる場所が無いという彼女に、以前この酒場の給仕はどうかと勧めたのだ。
「そうだよ。オーレリアなら、すぐに看板娘だな」
「それ、口説いてるつもり?」
「まさか」
肩を揺らして笑い、幸助は周囲に視線を遣る。
『干戈の英雄』キースは高い酒を頼んでは美味そうに呑んでいるし、『神速の英雄』フィオは色々食べては「おいしー!」と頬を押さえて喜んでいる。
「シンセンテンスドアーサー殿、この料理が中々美味でして、よろしかったら……」
と『魔弾の英雄』ストックが勇気を出してトワに近づくも――。
「……貴様、愚かしくもトワ様に色目など使いおって。トワ様、刻みますか?」
「刻んじゃだめだよ、セツナさん……」
「あぁ……なんてお優しい……。天井知らずの優艶さに、わたしはただ感服するのみでございます……」
「や、やめてよセツナさん、恥ずかしいから」
「トワ様、わたしのことはどうか、セツナと」
「え、でも」
「あぁ、申し訳ありません。わたしのような者とは、精神的距離を置きたいということですね、失礼しました……」
「せ、セツナちゃん! これならどうかな?」
「あぁ……トワ様!」
なんだかなぁ、と思う幸助だった。
これでは幸助の従者ではなくトワの従者だ。関係が良好なのは喜ばしいことだが。
そしてストックがやや不憫だった。
「あの、おにいさん」
『天恵の修道騎士』イヴが幸助の目の前までやってきて、ガラスのコップを差し出す。黒くてドロドロした液体で満ちているが、この店にこんな飲み物があっただろうか。
「あの、これ、イヴ特製のジュースです。元気に、とっても、元気になれます。……飲んで、くださいますか?」
……………………。
「えぇと、じゃあアタシはこれで」
オーレリアが逃げるようにその場を去っていく。なんて薄情なのだろう。
「……イヴなんかが作ったものなんて、飲めない、ですか?」
「いや、嬉しいよ。ありがとう……」
受け取ると、彼女の表情がぱぁっと輝く。その笑顔は可愛らしかったが、受け取った飲み物は凶悪だった。沸騰しているわけではないだろうに、こぽこぽと音がするのは何故だろう。炭酸だな、きっとそうだと信じ、一息に飲んだ。
泥を呑み込むようだったが、「美味かったよ」とどうにか返す。英雄規格の胃よ、どうか耐えてくれと念じておいた。
「イヴ、貴方、随分とこの方を気に入ったようですね」
『剣戟の修道騎士』アリエルがゴブレットを片手に近づいてきた。その後ろに『祓魔の修道騎士』サラがついている。
「はい、アリエルさまも、ですか?」
「……わたくしは、連合を率いる資格があると認めただけですよ」
返答するまでにやや間が空いた。後ろに控えるサラが舌打ちしたように聞こえたが錯覚だろう。幸助を睨んでいるように見えたが、錯覚だと思うことにした。
「なになになに、ゲドゥンドラ勢揃いじゃなーい。俺ちゃんが来ることで~、フルコンプリート~」
『神罰の修道騎士』アルの介入で微妙になりかけていた空気が一新された。
「ナノランスロット」
『血盟の英雄』シオンが、スキットルを掲げて言う。
「礼を言っていたなかったな、感謝する」
吸血鬼である彼用に、幸助は血を用意していたのだ。英雄規格の仲間には全力を出してもらわなければならない。もちろん気遣いの面もあったが、改めて感謝されるとどこか気恥ずかしい。
「いいよ。そればっかりは、あんまりおかわりが無いから気をつけろ」
シオンは「気をつけよう」と小さく笑う。
『導き手』マギウスはキースの絡み酒の餌食になっているし、『神癒の英雄』エルフィは『蒼の英雄』ルキウスに度数の高い酒を勧めまくっている。
『識別の英雄』チドリは料理を食すごとに「なるほど」と頷きながらメモを走らせているし、『編纂の英雄』プラナは菓子類ばかりつまんでは「甘い、これはやや甘い、こちらはそれよりも更に甘い」と雑な食レポをしている。
皆、自然体だ。あるいはそう在ろうとしている。
あと半日もすれば、殺し合いが始まるかもしれない。
英雄と呼ばれる人間達は分かっているのだ。
自分達が戦場で散るかもしれないということを。
だから、各々好きなように振る舞う。
次の戦場で最期の時を迎えるとしても、そこに後悔が残らないように。
「おい『黒』の旦那。腕相撲でもしようや! 模擬戦じゃあ負けたが、小細工抜きの純粋な力でどっちが上か決めようじゃねぇの!」
赤ら顔のキースが叫ぶ。
「……あはは、いいね。なんなら誰が一番強いか決めよう」
そうして腕相撲大会が始まる。中学の昼休みみたいな、気安い空気の中で。
英雄達は最後になるかもしれない安らぎの時を過ごした。




