142◇刹那が永遠に触れて
「ところでマスター」
ギボルネからの帰路。ワイバーンの上に二人でまたがりながら空を駆けている時のことだ。
幸助の前に座っているセツナが、首だけ振り返って言う。
「トワ様を一人にしていて良かったのか?」
セツナは村で貰った民族衣装風の衣服に身を包んでいる。
「お前、その質問何度目だよ……」
ずっとこの調子なのだ。
やれワイバーンを急がせろだの、お一人にして何か起きたらどうするだの、逢ったこともないトワに対して、既にかなり過保護と言えた。
「何度でも言うさ。マスターこそ落ち着き過ぎではないか? 今この瞬間も、トワ様が危険な目に遭っているやも知れぬのだぞ!」
「……そりゃ、俺だって心配だよ。でもな、これすでに全速力なんだよ。それも何度も言ってるよな?」
のんきに会話などしているが、ワイバーンは凄まじい速度で飛行している。周囲に『風』魔法を展開することで地上とそう変わらぬ状態を維持しているのだ。
「足りない。トワ様の為なら光より速く駆けんか」
「出来たらやってるよ……」
それにしても、エルマーは妹のことをセツナにどう語っていたというのだろう。主の妹ということで、過剰に神聖視しているように思えてならなかった。
「……マスター」
「今度はなんだ?」
「……トワ様に、こうすけさんのことを、お伝えしてもよいだろうか?」
今いるトワは、エルマーの探したトワではないけれど。
一人の『黒野幸助』が妹を探し回り、そして逢えなかったという結末を。
ただそのままにしておきたくないのだろう。
「……言ったらあいつ、多分泣くんだよな」
妹の泣き顔は、出来ることなら見たくない。
セツナも同じことを思ったらしく、「そうか。そう、だな……」と項垂れてしまう。
しゅんと落ち込む彼女に合わせるように、猫耳がぺたりと垂れた。
自然と、そこに手が伸びる。
エルフの耳は異性がそう簡単に触れていいものではないと『剣戟の修道騎士』アリエルに教わったが、狐耳をした『天恵の修道騎士』イヴは触らせてくれた。猫の場合は……どうなのだろう。
「ふにゃあ」
およそセツナから発せられるとは思えない程、可愛い声が出た。
そして、耳はとても柔らかかった。
「にゃ――なにをする!?」
ピンと耳を立て、顔を真っ赤にするセツナに、幸助は慌てて謝罪。
「いや、悪い。ぺたんって倒れて、気になって」
「気になったら触ってもいいのか!」
「だ、だめですね……すみません」
今度は幸助が項垂れる番だった。
「くっ……勘違いするなよ。わたしは特別耳が弱いだけであってだな……それに、不意打ちだったから……くそう、こんな辱めは千年ぶりだ!」
「……悪かったって。もうしないよ」
反省している幸助を見て何を思ったか、セツナがぼそりと問う。
「……マスターは、耳が好きなのか?」
「え、まぁ、つい手を伸ばしてしまうくらいには?」
そうか……と呟いた後、セツナはなにやら考え込むように顎先に手を這わせる。
「……まぁ、今度からは許可をとるように」
「下りるのか、許可」
言うと、セツナはどこか擽るような、大人びた笑みを浮かべた。
「あなた次第かな……?」
落ち着いた雰囲気に、変化に乏しい表情。それだって彼女の美しさを何ら損なうものではないが、たまに見せる笑顔の破壊力は凄まじかった。
「今回は、そうだな――これで勘弁しよう」
そう言って彼女はそのまま幸助の頬に顔を近づけ、ぺろりと舌で舐めた。
「な――」
「あぁ、やはり経路伝いより、直に舌で味わう魔力の方が美味だな」
ホクホクと満足げに頷くセツナを見るに、どうやらスキンシップ以外の理由があるようだ。
彼女の言うように、やや魔力を持っていかれた。契約印の刻まれた舌によるものか。
「それと、マスター」
「……なんだよ」
「わたしはあなたのモノだが、あなたの女にはなれないぞ。くれぐれも――惚れてくれるな?」
悪戯っぽいその微笑みは、意外にも彼女によく似合っていて。
「はいはい、気をつけるよ。あの世でエルマーに殴られたくないしな」
幸助はどうにか苦笑を返す。従者にペースを握られる自分を、やや情けなく思いながら。
そんな会話があったりしながら。
二人はダルトラに到着。
グラスの通信可能域に入ってすぐに連絡を入れていたからか、北門には今回も迎えがいた。
トワだ。
ワイバーンを着陸させ、セツナと共に降りてから消す。
「コウちゃ――」
「あぁ……! と、とと、トワ様ッ!!」
「ふにゅっ」
俊敏な動きでトワに迫ったセツナが、感極まったとばかりに彼女を抱き締める。
体格の問題で、トワの顔はセツナの胸に埋まっていた。
「あぁ、艶ややかな濡れ羽色の毛髪! 意思の強さを感じさせる眼! 無駄なくそれでいて護って差し上げたくなるお体! あぁ! あぁ! トワ様! お逢いできて嬉しゅうございます!」
「うわぁ……」
目を覆う幸助だった。
「くぷ、うっぷ、あの、苦し……」
「も、申し訳ございません! わたしとしたことが、とんだご無礼を! マスター、あなたも主として謝罪するべきだ」
飼い犬が他人の手を噛んだら、それは飼い主が謝罪すべきだろう。彼女の言っていることはおかしくない気もしたが、トワの混乱を加速させた。
「とわさま? ますたー? ……コウちゃん、これどういうこと? この美人さん誰?」
「…………ちょっとその辺で、拾ったんだよ」
妹の責めるような視線が怖くて目を合わせられない幸助だった。
「犬猫じゃないんだから……」
「いえ、わたしはマスターの犬です!」
それから彼女はおもむろに自身の耳へ手を伸ばし「猫な――」
「そのネタはやめておけ」
幸助同様、混乱させるだけだ。
妹を泣かせたいわけではないが、やはりエルマーの件は説明しておくべきかもしれない。
「ぺろり」
「ひゃあ」
セツナがトワの頬を舐めた。
「……ふむ。ご兄妹とは言ってもやはり味に差が出るようですね。トワ様のは魔力は、ほのかに甘いです」
「…………ご兄妹? 色々聞きたいことあるんですけど、あの、そこであからさまに青い顔しながら目を泳がせてる男のほっぺも舐めたってことですか?」
「? はい、トワ様。つい先程」
「……へぇ。トワとかシロさんとかエコナちゃんとか皆が心配してる中……へぇそうなんだへぇ。なるほどねぇ。ふぅん……ねぇ、コウちゃん」
「…………ど、どうした?」
ダラダラ汗を流しながら引きつった笑みを浮かべる幸助に、トワは満面の笑みで言う。
「どういうことか、ちゃんと説明してね?」
回避する手段は、無さそうだ。




