141◇黒に控える色は
「なんだぁエリ、新人を虐めてんのかぁ? いけねぇなぁ、いけねぇよ」
肌に纏わりつくような、粘性を帯びた声。
「エーリです。一体何度目ですか、ローグ」
エーリがすかさず訂正する。
「だってよぉ、言いにくいだろ、エーリって」
目つきの悪い男だった。刃物のように鋭利な目の形、吊り上がった唇、そこから覗くギザギザの歯。
紅蓮の毛髪と相俟って、威圧的に映る。
「……わたしは名前を間違えられるのが嫌いです」
「愛称とでも思ってくれや。仲間なんだからよぉ」
「……はぁ、後ろ向きに検討しましょう」
「つれないねぇ――っと、挨拶が遅れたなぁ新人。俺様は『紅の英雄』――シヴァローグ=グラファイレングスだ。仲間なんだから、気安くローグって呼んでくれや。――ところで」
ローグがぐいっと顔を近づけて来る。
「ダルトラに『紅』の偽英雄いんだろう。トワイライツとか言ったかぁ?」
「……それが、どうしたの」
「そいつがクロノとかいう『黒の英雄』の妹ってのは、本当なのかぃ?」
「…………」
「沈黙という答えをありがとう! あはは、リュウセイの野郎が言ってたのは本当のことだったのかよ! なぁおい、悲劇じゃあねぇか。陵辱の限りを尽くされて死んだかと思えば、転生した先で冤罪被せられて死刑になり掛けるなんてよぉ。可哀想でならねぇ。でもそれを愛しのお兄ちゃんが救ってあげたわけだ。美談だねぇ。大嫌いだぜぇ、そういうの」
熱に浮かされたように、ローグが饒舌になる。
「どうせならもっと酷い目に遭ってもらわなきゃ楽しくねぇ。だろう? そうだなぁ、今度はクロノの目の前で、トワイライツをぶち犯――」
ローグが黙ったのは、その口許を凍らされたからだ。
「……ローグ。貴方のそういうところ、正直わたしは嫌いですよ」
しかしそれも、即座に煙を上げて溶けてしまう。
「エリ、お前は本当に優しいねぇ」
「エーリです。それと、団長からのメッセージを読んでいないのですか? クロノは仲間に引き入れます。必然的に、彼が大切に思う者の亡命も認めることになるでしょう」
「あぁ? ……あー、おい、マジじゃねぇか」ローグはつまらなそうに頭を掻いていたが、すぐにどうでもよくなったのかヘラヘラ嗤い出す。
「まぁ、それなら仕方ねぇな。俺様も、仲間を虐める趣味はねぇからよ。そんなのは、最低の人間のやることだからなぁ」
「そうですね。敵であるからと言って不必要に傷つけることも同じくらい最低だと思いますけど」
「堅いこと言うなよ。ダルトラの連中はお前の親父さんを問答無用で殺して、お袋さんを奴隷にして毎日犯してるようなクズの集まりだぞ。罰ってもんが必要だぁ。お前だってそう思ってるから、人造英雄になったんじゃねぇか」
戦争らしいな、とクウィンは思う。
どちらも間違ったことをしている。どちらが先かなんてどうでもよくなっている。
自分達の行いに目を瞑って、相手の悪い部分を過剰に目に留める。
戦いに臨む者にとって何よりも必要な、戦意を確保する為に。
「……えぇ、そうですね。あなたに言われると、釈然としませんが」
「ちょっとちょっと、このボクを差し置いて、何を盛り上がっているんですか! 許されませんよ!」
人垣を割って、変なものが近づいてくる。
まず、長方形の板。長い辺を延長させるように、計四ヶ所棒状に伸びている。その上に絨毯が敷かれ、更にその上に豪奢な作りの椅子が乗っている。その椅子に少女が座り、それを四人の男が担ぎ上げているのだ。
「うっわ。相変わらずすげぇ趣味だなぁ、サファイア」
「そこ! ボクのことはサファイアちゃんと呼びなさいと何度も言っているでしょう! 学習能力の無いギザ歯ですね」
「お前こそ仲間をクソみてぇなあだ名で呼ぶんじゃねぇよ自意識過剰女」
「はい? 過剰? 正当ですけど? ボクがアークレアに舞い降りた天使であることは疑いようのない真実なんですけど? あぁ、ギザ歯さんは教養がないから、天使という比喩が通じない可能性がありますね」
「通じるわ。通じまくるわ。意味を理解した上で気持ち悪すぎて戦慄してるっつぅの」
「あら、よく戦慄なんて言葉を知っていますね。辞書でも引きました?」
「……降りて来いよぉ、そのまな板と見紛う程の平坦な胸を、仲間のよしみで『進行』させて巨乳にしてやっからよぉ」
「ふふ、ならボクはあなたの脳の老化を『途絶』して、これ以上愚かしくならないようにしてあげますよ」
「……お二人とも、周囲の迷惑になってしまいますよ」
「ほら、ギザ歯がうるさい所為でエリに怒られたじゃないですか」
「エーリです。それと、サファイア。わたしは貴女のことも窘めたつもりですよ?」
「…………今降りましょう」
エーリの静かな怒りに、サファイアと呼ばれた少女はやや顔を青くして屈する。
『途絶』ということは、『蒼』の持ち主ということで。
『氷雪』の言葉に怯える必要など無い筈だが、力関係がよくわからない。
あるいはそれもまた、仲間だから、か。
エーリはエコナを連想させたが、サファイアはルキウスを思わせた。
髪と目の色が似ていたからだ。天使を自称するだけあって、確かに可愛らしい顔をしている。体格も小柄で、甘え上手の小動物めいた魅力がある。
「さぁ新人サン、ボクの名を心に刻む許可をあげちゃいますよ。よく聞いてくださいね。ボクこそは、このボクこそは、『蒼の英雄』サファイアホロー=アビサルダウンです。もちろん、ダルトラのルキウスとかいう胡散臭い偽物とは違って、正真正銘、『蒼』の持ち主ですよ!」
クウィンの表情が、僅かに歪む。
団長であるグレアを含めて、既に色彩属性保持者が三人。
それが一つの旅団に集中しているのは、異常だ。
それこそ旅団一つで国を相手取れる戦力である。それを個人に預けるとは、グレアという男、一体どれだけ皇帝に信用されているというのか。
「無愛想な新人サンですねぇ。でも『白』っていうのはいいですよ。それにアナタ自身も美しい。えぇ、ボクの側にいることを許可します」
「こうなってくるとアレだなぁ、他の『隠色』も集めたくなんな」
「……メタはエルソドシャラルの要人暗殺任務へ向かっていますよ」
「ダメじゃないですか。んー、あぁ、でもレイドはいるでしょう。呼びましょうよ」
「僕なら此処だけど?」
サラダをフォークで優雅に口に運びながら、青年が現れる。翠を帯びた黒髪で、モノクルを掛けている旅団の英雄だ。
「おっ、これで今いる色彩属性保持者勢揃いじゃあねぇか。新人も『隠色』に入んだろ?」
「……ゔぉいど?」
色彩属性保持者がメタとレイドで更に二人増えた。
そこにクウィンを加えると、旅団の色彩属性保持者は――六人にもなってしまう。
「旅団のボスはグレア団長だけれど、あの人は自分からガンガン戦場に出るタイプだから、統率という面でサポートする人間が必要ってことで用意されてる旅団内の階級かな。正確には団長代理だね、皆色彩属性保持者だから『黒』に隠れる色で『隠色』。それぞれ部隊も任せられるんだけど、クウィンティの場合は少し先になるんじゃないかな。実力的には申し分ないけどね」
もしゃもしゃとサラダを食べながら、レイドが説明する。
「挨拶は済ませたか?」
グレアがやってくる。後ろにフリッカーをおんぶしているので、威厳は感じられない。
右拳を左手で包むアークスバオナ式の礼をしたのは、エーリだけだった。
「団長っ! もう、失敗なんて情けないですよ。だからボクを連れて行ってくださいってお願いしたじゃないですか」
「そうだぜ。全員で攻める。敵は全滅。シンプルでいいじゃねぇか」
「……放置出来ぬ超難度迷宮があったろう。無理を言うな」
「じゃあどうしてレイドは連れて行ったんですか! 不公平ですよ! ブーブー!」
「奴は既に与えられた任務をこなしていた。貴様らはどうだ?」
「……おっとぉ、それを言われちゃあ反論の余地がねぇなぁ」
「……ぐぬぬ」
「……団長に万が一のことがあった時、旅団を率いる者が必要でしょう。何のための『隠色』か、今一度考えては?」
エーリの一撃で、二人とも黙ってしまう。
「馴染めそうか」
グレアの言葉に、クウィンは「有り得ない」とだけ答える。
「此処に居ない者もいるが、此れが己の仲間だ」
「そう」
「己の判断一つで、小奴らの生死が分かれる」
「……そうね」
「尽くすべき主君と、幸福にするべき同胞がいる。己はな、クウィン、過去生で味わった屈辱を、二度も味わうなど御免被る」
「……だから?」
「愛する者の為に、それ以外を地獄に落とすことを躊躇わない。それがアークスバオナの在り方だ」
「…………」
「貴様のことも、幸福にしてやる」
「…………あなたには、無理」
「クロノなら出来ると?」
その後、クウィンは正式に仲間と認められ、旅団員の構成を聞くことになる。
『暗の英雄』グレアグリッフェン・ダウンヘルハイト=シュヴァルツィーラ
『紅の英雄』シヴァローグ=グラファイレングス
『蒼の英雄』サファイアホロー=アビサルダウン
『翠の英雄』レイドレッド=レインズ
『透徹の英雄』メタ
『血戦の英雄』フィーティ=シードサイド
『撃摧の英雄』トラッシュ=ビーベイジ
『恭敬の英雄』フェイス=ベルホリック
『荊棘の英雄』クイーン=クリティコ
『双生の英雄』シンラキュメイル=クラウンミーティア
『双生の英雄』メトレキュメイル=クラウンミーティア
『豪腕の英雄』ホーンデッド=フィーネティカブラウ
『傷嘆の英雄』ネウローゼ=メランフルール
『惨毒の英雄』アリルデンド=ファシーガロン
『千変の英雄』リーベラバクス=フォンザグレース
『氷雪の英雄』エーリ・フーソルド=ヴァージル
そして、
『白の英雄』クウィンティ・セレスティス=クリアベディヴィア
英雄旅団一つに、十七人もの英雄が集まっている。
内、色彩属性保持者は脅威の六名。
アークスバオナにおいて、英雄を擁する部隊はこの旅団一つではない。
ダルトラの勝ち目など、探すのがバカバカしくなる程に、無い。
けれど。
彼の歩む道はいつでもそうだった。
来訪してすぐの人間が、魔法具持ちを打倒することも。
十年英雄として過ごしてきた『暁の英雄』ライクを打倒することも。
一度下された死刑を覆すことも。
『霹靂の英雄』を貴族の腐敗によって失い、失意のどん底にいた臣民から、ただ一度の宣誓によって期待を向けられることも。
信用の落ちた国家の英雄でありながら、他国の英雄を纏め上げ信を集めることも。
グレア率いる英雄旅団の王都侵攻を阻止することも。
本来ならば、全て不可能事に類されるもの。
だから、今回もきっと。
絶対に勝てないという、この状況でさえも。
彼は、クロは、覆してみせるのだと。
クウィンは、確信していた。




