140◇空白を嘆く心さえ無く
男との、生活とも呼べぬ日々は一人の英雄によって幕を閉じる。
「……おんし、己が何をしたか、理解しておるのか……!?」
『霹靂の英雄』リガルと軍部が研究所を制圧したのだ。
「か、勝手に入って来ておいてなんだ! 国土を荒らす溝鼠の死体を新たな英雄へと作り変えたんだぞ! 偉業と褒め称えられこそすれ、責められる筋合いなど――ぐぎゃッ!」
リガルの拳一つで、男は沈む。
彼はクウィンに近づくなり、自分のコートを全裸の少女に掛けた。
服を着せられたのは分かったが、クウィンはそれに何かを感じることは無かった。
「済まぬ……」と、彼が悔しそうに涙を流す姿を見ても、何も思わなかった。
救出後、リガルはクウィンに普通の少女としての生活を送らせようとしたようだが、彼の努力は実らなかった。
六人の英雄を欠いたダルトラに、『白の英雄』というのは、あまりに魅力的なものだったから。
辛うじて存続していた『白の継承者』クリアベディヴィア家の養子として迎えられる。
名の持つ力というのは大きい。神話英雄と同じ『白』ということを印象づける為の策だ。
アークレア由来の英雄という触れ込みで、クウィンは祭り上げられた。
当然、嘘だ。
クウィンを構成するのは、セラ、レイ、ストーン、テレサ、イクサ、ステラという、六人の英雄のものだと聞いた。
クウィンティ=クリアベディヴィアを名乗ることになった時、どうして自分がそう頼んだのか、今でも分からない。
きっと、空っぽの自分に、少しでも中身らしい何かを演出したかったのだろう。
だから彼らのファーストネームの頭文字を貰い、自身の名に付け加えた。
十番目の泥人形は、六人の犠牲と、『白の英雄』の看板を背負い、こう名乗っている。
クウィンティ・セレスティス=クリアベディヴィアと。
全てを無かったことに出来る、『白の英雄』は。
なによりも自分自身が空っぽで。なるほど空白だからこそ、誰よりも白く在れるのかもしれないと。
他人事のように思った。
英雄という役目に嫌気が差すのは、もう少し後のこと。
◇
倉庫めいた空間は、パーティ会場の様相を呈していた。
幾つも円卓と料理が並び、大勢の人間が食事や歓談を楽しんでいる。
「おー! ぱーちー!」
はしゃぐフリッカーに手を引かれて、グレアが料理の並べられた卓へ連れて行かれた。
英雄だけでなく、旅団のメンバーという括りで呼ばれているのだろう。和やかな雰囲気だ。
「……クウィンティ・セレスティス=クリアベディヴィア殿とお見受けします」
平坦な声で名を呼ばれる。
軍服に軍帽姿の少女がいた。
クウィンは少しだけ、ほんの少しだけではあるが、驚く。
少女の髪と瞳が、氷を溶かし込んだような蒼色をしていたから。
クロと共に暮らす、エコナという童女を思い出してしまったのだ。
「……なに」
「……お尋ねしたいことがありまして。あぁ、申し遅れました。わたし、エーリ・フーソルド=ヴァージルです。以後お見知りおきを。エリではなく、エーリです。お間違えのないように」
「……それで、なに」
「……失礼。先程団長からの一斉メッセージにて連絡がありました。貴女は既に同胞であると。であれば、礼を欠いてはいけないと思った次第で。例え貴女が、元は祖国を荒らしたダルトラの尖兵であったのだとしても」
その瞳には、深い恨みが燃えている。
やはり、ギボルネの民らしい。
『暁の英雄』ライクが死んでも、彼のやったことは無くならない。
死、あるいは奴隷化を免れたギボルネの民がアークスバオナに亡命することも考えられなくはない。
ただ、おかしいのは。
「……あなた、それ」
クウィンの指摘に、エーリは酷薄な笑みを浮かべる。
「さすが先輩。お気づきになられましたか。はい、わたし――人造英雄です。とは言っても、あなたのように培養槽で生まれたのではなく、後から魂の融合を行ったのですが」
人造英雄の製造方法に関する情報は破棄された筈だ。
事実、ダルトラではあれ以降行われていない。
けれど、それが何処かから流出し、アークスバオナが技術を進歩させた?
「勘違い無きようお伝えしておくと、我らはダルトラのように死者を冒涜するような手段は用いません。生前に了承を得た英雄の魂のみを施術に使用します」
有り得る話だ。特に、この旅団なら。
死後も仲間の役に立つのならと、魂さえ捧げる。それが仲間の扶けになるのなら、迷わない。
「わたしは『氷雪の英雄』、ダルトラからギボルネを奪還する為に戦う者」
「…………それで、なに?」
なるほど初耳だ。だからなんだ?
自分から進んで英雄になる人間に向ける言葉なんて、何も無い。
クロがリガルの意思を継ぐと宣言した時ですら、どんな言葉を吐けばいいか分からなかったのだから。
「……ダルトラの『黒の英雄』について。こちらに届いている情報が正確かお尋ねしたく」
「……クロがどうしたの」
「……いえ、転生して間もない彼が、ギボルネの同胞を救ったばかりか、魔法具奉上の褒美をと聞かれて、その童女の、奴隷解放を望んだとか」
「それが?」
「……事実なのですか?」
「だから、それが、どうかしたの」
「『蒼の英雄』及び亡き『霹靂の英雄』も和平に協力的だったと」
「……そうだけど」
ふむ、と頷くと、以降彼女は考え込むように黙ってしまう。
「……団長はこう仰っていました。『クロノは仲間に引き込む』と。あの方は少々懐が深すぎるきらいがありますから、時には部下であるわたし達が強くお止めすることもあるのですが……」
クロを仲間にするのはよした方がいいと、場合によっては言うつもりであったということか。
「……貴女の言っていることが事実ならば、『黒の英雄』は受け入れてもいいでしょう。来訪時期から考えても、彼を咎人と扱うのは難しいですから」
「……そう」
仲間にしてやってもいいと、そう考えたらしい。随分お優しいことだ。
仲間になることが前提の、傲慢な優しさではあるが。
「ところで、彼の救った同胞の名をご存知でしたら、お教えいただければと思うのですが」
「……えこな? とか」
「……エコナ? エコナ・ノイズィ=ウィルエレインですか……!?」
「……多分」
その時、彼女の表情が緩む。無表情から、喜びのそれへと。
「…………良かった。生きていたのですね、エコナ」
「……知り合い?」
「……えぇ。姉の子なんです……もう死んでしまったものとばかり」
目の端に涙を浮かべ、彼女は柔らかく微笑む。
「彼を仲間に引き入れれば、エコナとの再会も叶いますね。ただ、ダルトラの姿勢は褒められたものではありません。正式に謝罪するでもなく、復興協力という名目でお茶を濁すその態度、やはり許してはおけない。一刻もはやく、奴らの偽善よりギボルネを解放しなければ」
彼女の瞳が、義憤に燃え上がる。
その、生きることに前向きな姿を見て、クウィンは気になってしまう。
全てではないにしろ、自分と同じ人造英雄であるのに、どうして。
「……あなた、【呪い】、持ってる?」
「……あぁ。『非業の死、確定』ですか? えぇ、どうやら神は愛を無かったことにしないか、出来ないらしいですね。だから、魂に刻まれたそれはそのままに、本来愛を注ぐべきではない存在が資格を引き継いだという事実に怒り、罪であると宣告するのでしょう」
「……嫌じゃ、ないの?」
「……まさか。嫌なわけがない。貴女に分かりますか? 父親の、脳の灼ける匂いを嗅ぎながら、どうか自分はバレぬようにと息を殺し、『囲繞』属性を展開する人間の気持ちが。殴られ、髪を引っ張られて攫われる母親を、無力故に救えない人間の気持ちが。復讐を果たす力を得る為なら、こんな命、惜しくなど無い。……とはいえ、望まずしてそう生まれた貴女は被害者だ、わたしと同じ考えを持つというのも難しいでしょう」
それから彼女は、ふっと小さく笑みを溢す。
「ありがとうございました。貴女のおかげで久しぶりに喜びの涙が流れました。憎しみが消えるわけではありませんが、少なくとも貴女個人の入団は認めましょう。そもそもこの催しは、貴女の為に開かれたものなのですしね」
クウィンの耳に、エーリの言葉は入っていない。
『非業の死、確定』。
これを、クウィンはずっと考えていた。考えられる程の感情が出来てからは、ずっと。
運に恵まれず惨めに死ぬ。思いがけず災難などで死ぬ。寿命を待たずして死ぬ。
その最期は、幸福とも、充足とも、天寿とも無縁。
望んだものを何一つ手に入れられず、望んでもいない死が決定付けられている。
クウィンにとって、この世は地獄だった。
全てが灰色で、分かりもしないのに、非業の死までの残り時間ばかり気にして精神を擦り減らしていた。
けれど、クロに出逢ってからそれが変わったのだ。
クウィンにはビジョンがある。
この運命のまま、自分は――。
 




