138◇同じ黒だとしても
黙ったままのクウィンが気になったのか、グレアが声を掛けてくる。
「奴の言うことは気に留めるな。全てを知っている風でいて、その実適当なことを並べ立ているだけの女だ。実力が伴っているばかりに、厄介なのだがな」
ジャンヌのことを言っているのだろう。
団員込みだとしても、自分とクロ二人をして敗北を確定させる力を持つグレアが、あぁも簡単に翻弄される姿は意外でこそあったが、だからといって関心は長続きしない。保って一瞬、それが精々。
「別に、気にしてない。彼女にも、あなたにも、興味ないもの」
もしかすると旅団全員の共通点なのかもしれないが、明確な拒絶に怯みもしないのは厄介と言えば厄介であった。ダルトラの人間は、大抵これで引き下がるのだが。
「ふむ、貴様の無関心はどうにかせねばならないな」
「放っておいて」
「そうはいかん。仲間を正しく仲間として遇するには、相互理解が不可欠であろう。とはいえ、語れと言って出てくるような話でもないだろう――求めるならばまずは与えねばな」
そう言ってグレアが語り出すまでには、やや間があった。
「……過去生においても己は軍人であった。己の国では年齢ではなく儀式の成功によって人を認める。十三で、儀式を突破した己は軍属となり、同胞と共に敵を討った。これでも有能でな、十六にもなる頃には一軍の長となり、妻子も出来ていた。幸福だったよ、それまではな」
つまり、そこからが彼の不幸の始まりなのどろう。
「周辺国家により、停戦の申し入れがあった。和平を結びつけたいと。忠誠を誓った王は既になく、王位は愚息が継いでいたのだが、必然のように愚王でな、応じたのだ。敵国はふざけたことに、武装解除を求めてきた。応じられるわけがない。だが王は受け入れた。軍部は割れたよ。王を殺めてでも国を護るべきだと訴える者と、王に従うべきだと言う者とでな」
「……あなたは」
「従った。愚かであっても前王の御子息。尽くすことこそが前王に対する真の忠節であると信じて。それが、全てを失う選択だと気付きもせず」
愚かだなと思った。けれど、嘲りの感情は湧いてこない。同様に、同情も湧かないのだが。
「襲撃されたよ。当然だ。敵は内部にも外部にもいたのだから。妻は目の前で犯され、まだ幼い娘は暖炉に焚べられた。妻の叫喚と娘の燃える音を聞きながら死んだ己は、一人のうのうと転生したわけだ」
グレアの表情が昏く歪む。そういえば、転生したばかりの頃のクロも、今と比べるとかなり病んだような目つきをしていたな、などと別のことを考える。
「二君に仕えるつもりなど無かったが、陛下は違った。愚王は当然のこと、おれの誤りをも示した。順番を付けるべきだったのだと。優先順位をつけねばならなかったのだと。
そして陛下は仰った。自らの願望が第一、第二が、それについてくるものの幸福。以上だと。分かるかクウィン。あの方は迷わない。異界を手中に収め、我等に幸福を齎す。対してダルトラ王はどうだ。あの、現状維持にのみ注力する、枯れかけた大樹の醜さよ」
枯れかけた大樹。そうかもしれない、とクウィンは思った。少なくとも擁護の言葉は浮かばない。
「別に、どうも思わない」
滅びようと、栄えようと。他人事だ。
ただ、クロが救おうとしているから。
だから、手伝おうと思っただけ。
「貴様の境遇はある程度知っている。実感の伴わぬ知識に過ぎんがな。それでもなお、英雄から脱したいという貴様の願いを、己は理解出来るつもりだ」
「そう。別に嬉しくない」
「聞け。貴様が旅団に協力すれば、その願いを叶えよう」
何かが変だな、とクウィンは思った。
「……協力?」
「クロノ、次は奴を引き入れる。奴の知己と愛する者の助命も約束しよう。その条件と貴様の説得に応じないようなら――」
「応じないと思う」
クウィンは思い出す。彼の言葉を。
救い出すと言った。この人造英雄を友と呼んだ少年。彼はそんなこと知らないのだろうけど、それでもクウィンは嬉しかったのだ。
「四肢を斬り落として連れ帰る。その後は貴様がどうにかしろ」
「殺さないんだ」
「殺してほしいのか?」
「まさか。そんなことしたら、あなたも、その仲間も、みんな消す」
「全てなかったことにか。覚えておこう――此処だ」
気付けば、地下牢らしき場所にいた。歩いてきた覚えはあるのに、景色の切り替わりはやけに唐突に感じられた。魔法、だろうか。
「結界の問題でな、直接は飛べない。道順を意識させぬようにと、少しばかり魔法を使わせてもらった」
仲間に迎え入れたとはいえ、今日逢ったばかりの人間に自身の過去生を語ったのも。
「悲しい過去も、その手段」
「全て真実だがな」
「どうでもいい、何もかも」
「そうか」
グレアが扉を開ける。
やはり牢だ。
そう広くない室内。入って正面の壁に、女性が縛り付けられている。鎖はだが、飾りに等しい。実際の拘束力は部屋本体が持つものだろう。
「あらグレア。あなた、随分と偉くなったものね」
「見ての通り、拝数七となった」
拘束衣を着せられた女性に、クウィンは違和感を抱く。美姫と呼ぶに値する美しさを持ってはいるが、浮かべる笑顔が酷く不釣り合いなのだ。まるで、他人の顔で笑おうとしているような。
「愚かなグレア。いいえ、あなたは単に諧謔に貧しているだけなのだものね。いいわ、グレア。わたしはあなたを赦しましょう」
声が、重なって聞こえる。淑やかなそれに、悍ましいうめき声を被せるような異音だ。
「貴様の赦しなど求めてはいない」
グレアの吐き捨てるような言葉と、高い身分を思わせる女の口調も、何処かおかしい。
「貴様だなんて、あなた、何様なのかしら? わたしの夫の、部下に過ぎないあなたが、どうして皇后にそのような口を利けるのでしょうね」
皇后……?
つまり、アークスバオナ皇帝の――正妃?
地下牢と結界に閉じ込められた――この女が?
「クウィン……この結界の作用で貴様の眼も機能が麻痺している。故に気付けぬのだろう。この女が放つ、人外の瘴気に」
「酷い……あぁ……酷いことを言うのね、瘴気……? 瘴気ですってッ!? ねぇグレア、言葉選びというものがあるでしょう。わたしは魔物の類ではないのだから、瘴気だなんて言葉を当て嵌めるのは失礼ではなくて!? もっと考えなさいな。そう、例えば――神威というのはどう? まさしくわたしに相応しい言葉ではないかしら。神の威光。なにせわたしは――神なのだから」
あぁ、これがそうかとクウィンは理解した。
グレアが『暗の英雄』となる為に、おそらく意図して体の一部を与えた筈の――悪神。
いつ目覚めるとも知れぬとはいえ、人の身を仮宿にしなければならないのであれば、完全復活には程遠い。
どうやらアークスバオナは、ダルトラも知らぬ闇を抱えているらしい。
「クウィン……貴様にこの方をお救い出来るか?」
グレアがクロを見逃したのは。敵国の最高戦力である『黒の英雄』を生きて帰したのは。
自分が忠義を誓う皇帝の妻を、悪神に憑かれた女を、『白』で救えるか試す為?
その為だけに……?
主の愛する者を救えるかもしれないという理由で……?
その時初めて、クウィンは旅団の考え方を理解した。
仲間が全て。仲間を幸福にする。仲間を大事にする。
それを保証する為に、苦しみの全ては――敵に負ってもらう。
徹底した愛と贔屓によるツケを、どこまでも他人に支払わせる。
正しいか間違っているかはどうでもいいが、潔いとは思った。
大なり小なり人間誰しもが無意識に行っていることを、極端にして意識的に行っているというだけ。
そこでクウィンは気づく。
さっきグレアは願いを叶えると言った。
それはつまり、英雄をやめていいということで。
だというのに、おかしいのだ。
以前、クロにそれを言ってもらった時は本当に、凄く、とても――嬉しかったのに。
さっきのグレアの言葉には何も感じなかった。何も感じな過ぎて、違和感を覚えた。
目の前の、この男と。
自分を取り戻すと言ってくれた少年の。
違いは、一体なんだろう?




