137◇盲目にして慧眼
「よし、よしよしよしよし……!」
白衣の男が嬉しそうに拳を握る。
「『エヘクルエスの思索』『ヨルドロゼアの恩寵』『エアヒルロウの神愛』『メレクヒウスの心眼』。本来ならば持って一側面からの加護だというのに、それが四つも! かつてここまでの加護を得た英雄は一人としていなかった……! あぁクウィンティ、君はそう、最も優れた英雄になれる……!」
培養槽、と男が呼んでいた筒から放出されたクウィンを見つめながら、男は興奮した様子で語る。
「あぁ、長かった。本当にここまで長かった……! 固有神託権の移植、色彩属性及び加護の継承、これらを実現させるのは僕をして極めて困難だったと言わざるを得ない――しかし! 僕は天才だった。わかるかクウィンティ。異界から来ておいて、我が物顔でアークレアを闊歩するあのゴミ共とは違う。僕は、純粋に僕だけの力で以って天才なのだ!」
アークレアに住む多くの人間は、来訪者差別なるものを持たない。
畏れを抱いている者はいるが、それを敵意に変換することも少ない。
彼らが危険をおして悪領を攻略するからこそ、平和な生活が保たれていると知っているから。
そして余程無知な人間でない限り、彼らの過去生が不幸であったと知っているから。
けれど目の前の男は、彼らが転生によって得るステータス補正が、自身が持つ優位性を上回っていることが気に入らないらしい。
くだらない、と思ったが口には出さない。何か喋るのも、酷く億劫だった。
そう言えば、どういうことなのだろう。
先程初めて自意識なるものに目覚めた自分が、知識を持ち、感情を持ち、言葉を持つなんて……。
「……ふ、ふふ。さすがは僕の最高傑作。その点を疑問に思わないよう制御することも出来たが、それでは人形だ。僕はね、きみを人間として扱う。だからそう、説明もちゃんとしよう」
目の前でずぶぬれの子供が蹲っているのに、偉そうに知識をひけらかすのが人間扱いだとは思えなかったが、またしてもクウィンは言葉を返さなかった。
「知識は簡単だ。材料から複製したものを、君の脳に落とし込んだ。知識はというより、全てだな。君の中に芽生えた自我だけは既製品ではないが、それも出来合いの料理を組み合わせてフルコースを作ったようなもの。あぁそうそう、材料とは何か、についても説明しないと不親切だね」
広く、暗く、寒い実験室には、生きた人間は男とクウィンしかいない。
正確には、彼女と同じ姿の人形が立ち並ぶ培養槽に収まっていたが、彼の言う通り意識が覚醒したのは今のところクウィンだけなのだろう。
男は聴者が現れたことで、演説の喜びにでも目覚めたらしい。
「あのクズ共……すなわち英雄規格の来訪者さ。きみを作る前、都合よく六体も死んだものだから、ふんだんに使用した。僕はこれまで、英雄の持つ固有の力を一から作り上げる、あるいは複製出来ると思っていた。だが違ったんだ。それらは神の領域。複製不可能な情報だったんだよ。なのに、きみは奴らの持っていた全てを持っている。どうしてだか分かるかい?」
クウィンが一向に言葉を発さないというのに、気にした様子もなく男は語り続ける。
「――魂の摘出に成功したからさ。そして英雄規格の寵愛を受けた部分だけを削りとり、それらを組み合わせて出来たのが――君だ。クウィン」
継ぎ接ぎの、人造英雄。
けれど、クウィンは思った。
あなたは、作ったんじゃなくて。
積み木遊びをしただけでしょう?
◇
「よく戻って来たね、グレア。我が愛しき夫よ」
倉庫を出ると、一人の女性が待ち受けていた。
身長はそう高くないが、健康的な肉付きをしている。灰を被ったような銀髪は肩口まで。横髪の一部を染めて、更にその部分を編んでいる。彼女から見て右の一房は黒。左の三房は紅、蒼、翠。
とても美しい女性だった。他人に関心の薄いクウィンをして、美しいと思わず感じる程度には。
そんな楚々とした美女は、肩に軍服を掛けている。肩章には、アークレアの文字で『1』と彫られていた。
つまり――。
「何度言えば理解する、ジャンヌ。己は貴様の夫ではない」
「あぁ、済まない。私はいつも言葉が足りないね。それでいつもホルスや皆を困らせてしまうんだよ。まったく反省しないとね。というわけで訂正をさせておくれ。よく戻って来たね、グレア。我が愛しき『将来の』夫よ」
グレアは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、ジャンヌと呼ばれた女性はにこやかに微笑むばかり。
その銀を溶かしたような瞳は、何処かおかしかった。
誰を見ているか分からない――そう、焦点が合っていない。なのに、目が合っている。
「さすがだね、『白の英雄』殿。ご賢察の通り、此の目は転生以前に像を結ばなくなっている。だからと言って哀れんでいただく必要は無いよ。視覚なんてものが無かったところで、グレアの勇壮さも、君が見目麗しい少女であることも、私にはしっかりと分かるのだから。瞳に映らずとも、手に取るように」
と言って、妖艶に笑う。
「……貴官、何故我らが戻ると分かった」
「やーだなー。先程のように、優しく蕩けるように、ジャンヌと呼んでおくれよ。グレア。そう、まるで夜、枕元で言うようにさ」
「貴官と寝所を共にしたことなど、一度足りとも無かった筈だが?」
「おやおやおやおや、痛いところを突かれてしまったねまったく。でもね、君は確かに寝台の上で私に伸し掛かりながら愛を囁いたんだよ!」
「……そうか。それはいつ、何処でのことだ」
「一週間ほど前かな。私の夢の中の出来事さ」
「知ったことか」
「故に私は言ったのさ。痛いところを突かれてしまったね、と。あの夢を私は正夢なのではないかと感じていてね」
「妄想だ」
「それならそれでもいいさ。今日あたり、現実に変えてみないかい?」
「あいにくと、上官と寝る趣味は無い」
グレアの言葉に、ジャンヌは悲しげに目を伏せる。
「つれないな。私が七征拝数一だからと言って気にする必要はまったくないんだよ? それともあれかい? 自分より社会的に成功している女性と付き合うと劣等感が刺激されるかい? 君がそんな瑣末なプライドで愛を見失うような男だとは思わなかったよ。あぁ嘆かわしい。今一度自身の胸に問い給え。己が愛しているのは誰なのだろう。そうすれば気付く筈だ。あぁ、ジャンヌ! ジャンヌ=インヴァースこそ我が妻に相応しき女性だ! とね」
彼女が語っている間にグレアは歩き出したので、クウィンも続く。
「ちょっとちょっとちょっと。上官が話している途中じゃあないか。不敬だなぁ。営倉にぶちこまれたいかい?」
「貴官と違い、我ら旅団は忙しい身でな。戯れはまた別の機会にでも」
「もう、君ってやつは。かれこれ十年口説いてこれだ。いい加減この一途な想いに傾いてくれてもバチは当たらないと思うのだけれどもね」
「……この世界で、誰かを娶ることはない」
「それは、過去生で救えなかった奥方へ対する、愛のつもりかい?」
見えたが、クウィンは止めなかった。
グレアが凄まじい速度で剣を抜き、それをジャンヌの首筋に添えても、何も思わなかった。
「貴官が、あれのことを口にするな。例え神だろうと、それは許さない」
「あはは。いいなぁ。だから私は君が愛おしいんだよグレア。この世で出来ないことなんておよそ無いと言われる私だけれど、十年掛かっても君の心だけは手に入れられずにいる。だから欲しいし、かつてそれを向けられていた奥方が――羨ましくてならないんだ」
ジャンヌの笑顔は、その時々で変わる。
聖母のようにも、淫婦のようにも、天使のようにも、悪魔のようにも変わる。
盲目でありながら、最も帝国に貢献した者。
『教導の英雄』――ジャンヌ=インヴァース。
「それじゃあ、今日のところはここまでにしておこうかな。君の貴重な怒り顔も視れたことだしさ。あぁでもグレア」
こちらに背を向けて歩き出しながら、振り向きもせずに彼女は言う。
「陛下と君が裏でこそこそ何をしているのか、私の慧眼を以ってしても見通せないけれど。そこなお嬢さんの『白』を使ったところで、何かが好転することはないと、私はそう思っちゃうんだなぁ」
「…………ふざけた女だ」
グレアの苦々しげな表情が、何よりも彼の感情を物語っていた。




