135◇猫なのに
セツナが、膝をついたまま俯いている。
幸助は声を掛けることをしない。
エルマーを『併呑』した幸助は、彼の全てを継承していた。
これで、グレアの言っていた『時間』の差も埋まった。
呑み込んだものの中から、刀の鞘と彼のピアスを取り出す。
地面に落ちていた刀を拾い上げ、納刀。剣と共に腰に吊るす。
コートを羽織りながら、幸助はピアスの効果を思い出していた。
『抗穢の耳飾り』――精神汚染発症時における記憶野との断絶を軽減する。(耐久度アリ)
これは、彼が自分ではなく、いつか自分を『併呑』する者の為に作ったものだ。
その者が、精神汚染に呑まれぬように。
千年の中、正気でいられる少ない時間を費やして作られた魔法具。
自分が世界に裏切られてなお、次に世界を救う者の扶けになればと、彼は自分の力を尽くした。
死ぬまで、そんなことを言わず。感謝すら求めない、その在り方に。
憧憬の念を抱いてしまう。
あと五年で、自分がそこまでの人間になれるか。幸助には分からない。
ただ、彼の残したものは、何一つとして無駄に出来ないと思った。
浅く呼気を漏らす。
「セツナ」
彼女の前に片膝をつき、声を掛ける。
「……ひとまず、俺の所属してる国に行こう。その後で……なるべく安全な場所に送ることを約束するよ」
「……なにを、言っている」
「エルマーが言ったように、俺もお前に生きてほしい。だから――」
「だから、あなたは何を言ってる」
そう言って顔を上げた彼女の顔は、目許を腫らしながらも涙は無く。
凛々しい造りのそれに、怒りの表情を浮かべていた。
「あなたは、確かにわたしの愛したこうすけさんではないけれど、だからと言って『何処でどうなろうがどうでもいい』と、そう考えられるとでも?」
「そ、れは……」
出来ないだろう。
例えば幸助も、『エルマーのトワ』に出逢ってしまった時、自分の妹ではないからと無視することは出来ない。きっと、出来る限りの助力をしようとする。いや、絶対にそうする。
「でも、エルマーはきっとお前が戦うことを望んでは――」
「彼の命令は生きろというものだった。逃げろ、ではない」
「……説明してなかったが、今外は戦争中なんだ。人なんて、簡単に死ぬ」
「人が簡単に死ぬのは、戦時中に限ったことじゃない。生きている限り、誰だって、簡単に死ぬ。せめてその時が来るまで、わたしはわたしとして生きるだけだ。何か文句でも?」
幸助はしばらく睨むように彼女を見たが、セツナは動じるどころか視線を合わせてくる。
「…………クソ頑固なところが、どっかの生意気な妹に似てるなぁ」
「ふふ、トワ様とわたしが似ている? よせ、そう褒めるな」
「褒めてねぇよ……なんでちょっと嬉しそうなんだ」
エルマーがトワのことをどう語っていたかは分からないが、主の妹ということで過剰に素晴らしい存在だと勘違いしている節があるように思う幸助だった。
溜息を溢す幸助に、彼女は言う。
「とはいえ、あなたの隣で戦うには、わたし個人の能力は心許ない。だから、契約を結んでもらえればと思う」
確かに魔術的な経路を繋ぐことで『黒』の使用までもが可能になるなら、有用性はぐっと高まる。
しかしそれは――。
「勘違いするな。わたしの持つ恋情の一切は彼にのみ向けられるもので、この忠誠に弐心など無い。これはそう、言うなれば――取引だ」
「……お前が力を貸す代わりに、俺は何を差し出せばいい?」
「あなた自身の終わりが、幸福であること」
力を貸すから、幸せになれ。
エルマーの従者は、主の似姿にそれを望むという。
「……俺ばっかりが得をしている」
「なら、他にも色々つけるといい。この世界で生きる常識を教えてもらわねば困るし、身分の用意も頼む。それから衣食住の保障は外せないな。それと、耳を隠して暮らすことはしない。亜人差別の無い土地を探すか作るかしてもらおう。あとはだな……」
などと彼女は要求を並べ立ててていたが、そこに先程までの真剣味はない。
あくまで幸助を納得させる為に、天秤の片側にものを載せているだけ。
仮初の均斉を演出することで、幸助側の遠慮を無くそうとしている。
「……分かったよ。お前と契約しよう、セツナ」
「ふふ。最初からそう言えばいいものを」
勝利したとばかりに笑う彼女を見ていると、どちらが主だか分からない。
「さっさと済ませてしまおう。それでは、手を」
幸助が差し出す前に右手を取り、彼女はその甲に唇を触れさせた。
その部分が熱を持つ。
「……許諾する」
幸助の意思に反応してか、熱が全身まで広がった。
「……んっ」
頬を紅潮させたセツナが一瞬、艶めかしい声を上げる。
「……大丈夫か?」
「と、うぜんだ。契約は問題なく完了した」
「こんな簡単でいいのか?」
「難しい儀式が必要だとでも思っていたか?」
「……まぁ、多少」
セツナはふっと小馬鹿にするように笑ってから、立ち上がる。
「安心するといい、不本意極まりないが、わたしはあなたに絶対服従の身となった」
そう言って彼女は舌を見せる。そこには、契約の印だろうか、紋章が刻まれていた。
「……どうすんだよ、俺が妙な命令ばっか下すような奴だったら」
「くだらないことを訊くな。有り得ない」
その信用はしかし、幸助ではなくエルマーに対するものだろう。
「さて、……ふむ、ところでわたしは、あなたをどう呼べばいい?」
確かに、こうすけさんと呼ぶには抵抗があるだろう。
「エルマーのことはどう呼んでたんだ?」
「他の者の目があるところでは、『主』だな。当然、あなたのことはそう呼ばない」
「まぁ、クロでいいんじゃないか」
「それもよろしくない。わたしは名目上、あなたの従者ということになるのだから。例えばそうだな……こういうのはどうだ? 『ご主人様』」
「却下だ」
「……わがままな人だ。クロさま?」
「さま付けなんてよしてくれ」
「あなた、よく面倒くさいと言われないか?」
「失礼な従者だな……」
「……ふぅむ。旦那、ご主人、クロ殿……マスター?」
「あー、まぁ、それでいいんじゃないか?」
酒場のマスターを連想させるが、主人という意味でも使われるものだ。不都合もないだろう。
「ふむ、ではマスター。わたしはこれより、あなたの犬だ」彼女はそれから、おもむろに両手を自身の耳へと近づけ、指差す。「猫なのに」
「………………………………………………えぇ、と」
幸助が反応に困っていると、それを聞こえなかったからだと判断したのか、咳払い。
「マスター、わたしはこれより、あなたの犬だ…………猫なのに、にゃあ」
凛然とした女性が、顔色一つ変えずそんなことを言った時、どう反応するのが正しいのだろう。
固まっている幸助を見て、セツナは怪訝そうに首を傾げる。
「…………おかしいな、千年前は大ウケだったのだが」
「笑えない亜人ジョークはやめてくれ」
やはりギャグだったらしい。
「何を言う。宴では百発百中で周囲の者達を沸かせたわたしの持ちネタだというのに」
セツナはどこか不満げだ。「千年の間に、笑いの流行が変化したのか?」と顎に手を当てながら真剣に考え込み始める。
その様子を見て、幸助はやはりセツナとトワは似ていると感じた。
妹も、自分が傷ついている時に限って無理に明るい話題を展開しようとする。
セツナも同じだ。
エルマーを失って、悲しくないわけがないのに。
それを殺した幸助を、快く思えるわけがないのに。
そういったものを隠して、前に進もうとする。
その強さが、完全に正しいとは思わない。弱さを曝け出すことも、時には必要だ。
だが、今はその強さが頼もしかった。
「次の宴では、違うやつを披露してくれよ」
「次の? ……あぁ、そうか。あなたは勝つのだものな。うむ、考えておこう」
そして二人は微笑み合い、戦場へ――。
「その前に服を用意してくれ。さすがのわたしも、羞恥心くらいは備えているのでな」
締まらないなぁ、と思いながら、幸助は苦笑する。
戦いの前に、彼女に服を用意する必要があるようだ。




