132◇鏡写しと言うには違い過ぎて
はっ、と息が漏れる。
閲覧の終了と共に、自分が息を止めていたのだと気付いた。正確には、息をするのも忘れて過去に没入してしまった。他人と呼ぶには、あまりに近過ぎる存在の末路に、己を重ねてしまったのだ。
「…………ふっ」セツナは自嘲するように、乾いた笑いを溢す。「笑えるだろう。これが、世界を救った者の末路だよ。いつだか、彼が言っていた。英雄とは生贄のようなものだと。神に捧げられ、人々の幸福の為に消費される。なるほど確かに、こうすけさんはどうしようもなく英雄だったようだ。あなたも、そう思うかな……?」
エルマーは英雄だった。それは間違いがない。
英雄達の行いも、理解こそ出来るが到底許せるものではない。
だが、幸助はそれによって繋がった現在、その力を手に入れようとしている。
果たして、糾弾する資格など有るのだろうか。
そして、それとは別に。
幸助は、強大な違和感に襲われていた。
――状況が、似ている。
悪神を討伐する為に人類が協力しあい、魔物と戦った過去。
アークスバオナを打倒する為に各国が協力しあい、帝国と戦う現在。
『黒』が率い、保持者は精神汚染を抱える。
だとすれば、自分の未来もまた――。
かぶりを振る。今考えるべきことではないだろう。
「色々気になることはあるが……一ついいか」
「……あぁ。わたしに答えられることなら」
「――エルマーって、俺より年上っぽいな?」
映像の中のエルマーは、幸助より幾分年を重ねているように見えたのだ。
セツナは一瞬、ぽかんと口を半開きにした。
それから、呆れるように肩を揺らす。
「……第一にそれか、まったく。そうだよ、こうすけさんは二十三歳だ。あなたは若いな。十八の時のこうすけさんにそっくりだ」
「そのままずばり十八歳の幸助さんだよ。なに、年単位で見た目変わるようなやつだったの?」
「? なにを言っている。主の変化はミリ単位の散髪や装飾具一つの増減まで、従者として気付いて当たり前のことだろうに」
そうなのだろうか。
突っ込むべきではないと判断して、幸助はスルーの方向で進める。
ともかく、エルマーは幸助より五年程長く来訪者として過ごしたようだ。
「クローズの言っていた開放条件が満ちた時に、お前やエルマーが外に出ることは?」
「外の気配を感じることが何度かあったが、無理だった。ずっと此処に引っ張られるような感覚があって……でも、わたしのそれは、先程消えた」
「……なら、エルマーを魔術的に留める魔法だったんだろう」
そんな彼と繋がっていた彼女だから同じく閉じ込められ、幸助がそれを断ち切ったことで解放された。
「ということは、わたしは外に出られるのか…………不思議なことに、欠片も喜びが湧かないよ」
不思議でもなんでもない。
主を置いて得られる自由に、彼女が喜びを見い出せるわけがない。
そんなこと、関係の浅い幸助にだって分かった。
「それで、これを見せて何を教えたかったんだ?」
「あの人が、あなたなんかより余程すごい人だということ」
「……あぁ、そうかい」
渋面を作る幸助を見て、セツナがくすりと、弱々しくはあるが微笑む。
「冗談だよ。嘘ではないけれど、冗談。知っておいてほしかっただけなんだ。これが、あなたと違うのだとしても、『黒野幸助の末路』だということを」
「……そう、だな」
「あの人を倒して、外にいる何かを打倒したとて、待っているのは同じ末路かもしれない……」
「心配してくれてるのか? 俺は、エルマーじゃないのに」
幸助の言葉に、セツナは不服そうに片頬を膨らませる。
「馬鹿を言え。誰があなたの心配など……。あなたが不幸に見舞われれば、トワ様が悲しまれるだろう。それを憂慮しているに過ぎない。勘違いしているようなら言っておくが、わたしはあなたとこうすけさんを混合してなどいないし、投影もしていない。なにせ、まったく、これっぽっちも、欠片一つ分でさえ、あなたとこうすけさんは似ていないのだから」
「……いや、さっき十八の時のにそっくりだって」
「似 て い な い」
「……そうですか」
張り合ってもしょうがないので、幸助は折れることにした。
「それと……こんなことを頼むのは気が引けるんだが」
それを口にする前に、彼女は頷く。
「あぁ、いいよ。こうすけさんの戦い方の情報が欲しいんだろう。見るといい」
さすがエルマーの従者、理解がはやい。
「――だが、それ以外は見るなよ。いいな?」
「プライバシーくらい守る」
「それと、戦闘情報をいくら取り込んでも、あなたではこうすけさんに勝てないだろう」
「さっきも言ってたけど、そこまでか?」
「当たり前だ。五年後のあなたに、悪神の力を加えた人間だぞ。どうして今のあなたが勝てると思う」
グレアの言葉を思い出す。
時が足りない。幸助が弱いのではなく、幸助よりも強い人間がいるという当たり前の現実。
それを覆すには、策が必要だ。
「わたしから、提案がある」
そして――。
◇
幸助は一人、扉をくぐった。
先程の空間と同じ造り、同じ広さ。
その中央に、【黒纏】を纏った男が立っている。
「おやぁ? どっかで見たようなツラをしてるなぁ、侵入者くん」
「だとしたら、鏡とかじゃねぇか、エルマー」
身長は少しだけ向こうが高い。体格も優れている、鍛えたのだろう。左耳に黒いピアス。表情は挑発的で、浮薄な印象を受ける。
「ははっ。なんだよおい、よりにもよってそうくるか。ったく趣味がわりぃよな。どうしようもねぇよ、本当に」
腰に差しているの剣は、鞘などからして日本刀のように見える。
エルマーは後頭部をぼりぼり掻きながら、無遠慮に近づいてきた。
「なぁ、侵入者くん。無駄だぞ、全部」
「あ?」
「お前の順番になるだけだ。救う価値なんざねぇぞ」
「お前、誰だ?」
幸助の言葉に、エルマーの姿をした男が固まる。
「……分かってねぇなぁ。いや、分かってて言ってんのか。俺は黒野幸助だよ。精神汚染が進み、人が善性と呼ぶ愚かしさを失った、ただの黒野幸助だ」
「そうかよ。自分が馬鹿みたいな罠に嵌ったからって、それで救ったものを全部無駄とか言うなんて、精神汚染とはよく言ったもんだなぁ。汚れに、染まりきってるみたいだ」
「馬鹿はてめぇだ。せめて未来の自分を反面教師にしようとは思わねぇのか」
「俺の選択は全部、二度と後悔しない為のものだろ。それを嘆くなら、お前はもう俺じゃねぇよ」
「……そうかい。まったくの他人なら? 心配してやる義理も――ねぇよなッ!」
エルマーの姿が掻き消える。
幸助は後方へ振り返りつつ抜剣、居合の要領で切り上げを放つ。
その一撃は、真後ろに出現したエルマーの右腕を断裁した。
「それはもう視た」
そして飛んだ右腕を『併呑』。
――適性魔術属性に『空間』『時間』が追加されました。
と始まり、多くを獲得する。
「……クソ猫の入れ知恵か。主人を裏切るとはな、とんだビッチを側に置いちまったもんだよ」
「ほざくなよ。てめぇが主人じゃねぇってだけのことだろうが」
「あはは、そうかい。ところで侵入者くん、左腕はもう要らないのかい?」
見れば、幸助の左腕が地面に落ちていた。
彼の左腕には黒い曲刀が握られている。
「莫迦みてぇに時間だけはあった。そりゃあ器用にもなるだろうて。そうだろう?」
互いに切断された腕を再生する。
「その時間、俺が貰い受ける」
「他人にタダでくれてやるにゃあ、ちょいと価値がありすぎるもんでな。欲しけりゃ奪ってみるといい。お前さんにそれが出来るとは、思わねぇけどよ」
瞬間、双方から『黒』が迸る。




