131◇英雄神話、その抹消されし真実の目睹
エルマーの変化に気付いている者は、セツナ以外にも数多くいた。
特に、共に戦う戦友や、英雄達は全員気付いていたと言ってもいい。
『白の英雄』スノーダスト・フィーネラルクス=クリアベディヴィアも、
『紅の英雄』ハートドラック=グラカラドックも、
『蒼の英雄』クローズヴォートニル=ダグニィットも、
『翠の英雄』ジョイド=ネリヴラドも、
『燿の英雄』ローライト=ガンオルゲリューズも、
『黒の英雄』エルマー・エルド=アマリリスの異常を、察知していた。
人魔双方に多大なる犠牲を出した大戦は、悪神の負傷から人類の優勢となった。
その後追い詰められた悪神は、世界各地に建造していた魔物製造所を改造、悪領とし、姿を消してしまう。
短期間に多くの来訪者を招き、人類に多くの恵みを齎した神もまた、休息を必要とした。人々は神に授かった道具の多くを返還。神はそれを受け取ったものの、いずれ人類に必要な時、それを持つ資格を認めた人類に再度貸し出すとして、一部の神殿を改造、神域とした。
人魔大戦は、終結したのだ。
だが、もうその頃には、黒野幸助はほとんど正常を失っていた。
会話が噛み合わない、感情の起伏が激しい、酷く衝動的で暴力的。
そんな『人格』と呼ぶ他ない、別の黒野幸助である時間が長くなってきていたのだ。
部下は彼を信じた。皆、彼に救われた者達だったから。
英雄の一部もまた彼を心配した。
しかし、英雄の多くは――危惧した。
悪神の力すらも獲得した彼が、万が一にも人類の脅威となってしまうことを。
また、『悪神の力』を人類側に残しておきたい、という思いもあったのだろう。
ある日、彼に正常が戻った時のこと。
出来たばかりの悪領に部下達が向かったと聞いたエルマーは、それを援護・救出しに向かった。
セツナは彼の側近であった為、それに随行した。
主と認めた者に絶対服従を誓い、許諾されることで結ばれる縁。そうしてセツナはエルマーと魔術的に繋がった。けれど、彼は一度足りともセツナに命令をすることはなかった。
悪領に辿り着いた幸助とセツナは、違和感に足を止める。
その時には、もう遅かった。
体が、地面に強く引っ張られるような感覚に襲われる。
何事かと振り返れば、そこには、英雄達が立っていた。
色彩属性を保持した英雄からは『白』『紅』『蒼』『翠』の四人。その他英雄を含めれば計十三人。
「……これはどういうことだ」
エルマーの問いに、『蒼の英雄』クローズが言う。
「安心してください。きみの部下は、みんな無事です」
「……ふざけるな! これは何の真似だと問うているのだ!」
セツナの叫びに、クローズは困ったように肩を竦める。
「セツナさん、あなただって本当は気付いている筈だ。彼と繋がっているあなたこそが、誰よりも主の現状を」
その言葉は、セツナの胸に深く突き刺さった。
じゃあ、つまり――。
「……裏切るわけか、俺を。用済みに、なったから」
隣に断つエルマーの顔を見ることが出来なかった。
出来るわけがなかった。
これまで苦楽を共にした仲間が、終戦と同時に自分を切り捨てる。
そんな絶望に、主がどれだけ傷つくか。想像するだけで胸が引き裂けようだった。
「勘違いしないでください。救えるものなら救っています。僕らにとって、あなたは今までもこれからも、最も頼れる仲間です。だからこそ、これ以上壊れるあなたを見てはいられない。そして、悲しいことに英雄の誰も、あなたを殺すことなど出来ない。心情的にも、実力的にも」
「じゃあ、これは」
「封印です。『白』にてこの悪領と悪神の経路を『無かったこと』にし、『蒼』によって空間内における肉体的成長を『途絶』させ、『紅』と『翠』を併用することで寿命の軛より解放しました。口で説明する程簡単なことではありませんでしたよ。それこそ、色彩属性保持者一世一代の大魔法と言えるでしょう」
エルマーは既に何もかも諦めているようで、声からも色が失せていた。
「……ローは」
そうだ。人類を先導した六人の英雄の内、此の場には『燿の英雄』の姿が無い。
「彼女には反対されてしまいました。だからこの件に誘った記憶のみを『無かったこと』にしただけです。彼女には、そうだな。仲間を救おうとしたところで精神汚染に呑まれ、魔物に食われたとでも伝えておきましょう。泣かせてしまうことになるでしょうが、それくらいは仕方がない」
賛成するわけが無いのだ。
『燿の英雄』。ある意味で、幸助よりも余程英雄然とした女性。人々を救う為に、世界の為に命を懸けられる真の英雄。仲間の命を何よりも尊ぶ彼女が、エルマーを見捨てるなど有り得ない。
けれど、彼女の反対は、多すぎる賛成を前に消されてしまったのだ。
「これから僕らは外に出ます。そして出入り口の繋がりを『途絶』する。開放条件はそうだな……。『悪神の反応』と『黒保持者の出現』でしょうか。ねぇ、エルマー。どうか次の世代を救う一助となってください。きっといつか、あなたを殺して、力を貰ってくれる人が現れますよ」
周囲の面々は、下を向いていたり、涙を流していたり、謝罪を繰り返していたりする。
その中で、クローズだけが笑顔だった。
「クローズ」
「なんでしょう」
「お前は、俺が嫌いだっただろう」
「――――ッ」
余裕の笑みが、一瞬で凍る。
「知ってたよ。でも、別に良かった。お前が世界を救いたいと思っている気持ちが、本当だって分かってたから」
「僕は――」
「頼みがあるんだ」
セツナの胸がざわつく。
彼の正常は、あと僅かばかりしか残っていない。
「もし、この後で、トワを見つけることがあったら、どうか力になってやってほしい」
クローズの表情が、醜く歪む。拳を握り、肩を震わせている。悔しそうに。
「……こんな時になってまで、人の心配を。あなたの、そういうところが」
「嫌いだったんだろ。分かってるって。お前はいつも苦しみながら冷静な判断をしてるのに、俺はいつも感情論で好きに動いた」
「……そして、何故かいつも成功させていました。皆の感謝も、武功も、あなたに集中した」
「今まで馬鹿のお世話ご苦労さん。あぁそうだ、部下達にも死んだって言っておいてくれ」
「……恨み言の一つでも、吐いたらどうなのですか」
「恨み? 無いよ。いや、セツナを巻き込んだことだけは、ぶん殴ってやりたいけどさ。まぁ、こんなもんだろ。復讐者の末路なんてものは」
クローズは何かを言おうとして、失敗したみたいに口をパクパクと動かした。最終的に吐き出した言葉は、元々口にしたかったものではなかっただろう。
「トワさんの件、承りました。……逢えるとも思いませんが」
そして、彼らはいなくなる。
世界と切り離されるような感覚があった。
「セツナ」
エルマーが、いや、幸助が名を呼んでくれる。
「ごめんな、約束守れなくて」
その顔は、本当に申し訳なさそうなもので。
「そんな……! わたしは、こうすけさんといられて、それだけで――」
そして、二人の意識は、此処で一度途切れる。
彼のことが、後の世にどう伝わるかなんて分からない。
けれど、真実が知らされることだけは無いと、セツナにも分かった。




