128◇黒き獣の呻き
その後、幸助は急ぎギボルネへと向かった。
ギボルネまでの道程と神域の位置が記された魔素地図をグラスに容れ、迷わず進む。
直接神域に向かうのではなく、周辺にある筈の村付近で降りる。
ダルトラはギボルネの復興に協力している関係で、村の入口にはダルトラ兵がいた。
グラスの情報と服装から幸助の身分を把握すると、彼らは恐縮しながら村長のところまで案内してくれる。
村の規模はそう大きくない。茅葺きの家屋が十程建っているのみ。
幸助が初めて見る顔だからだろう、住民が怪訝そうな視線を向けてくる。エコナと同じ年頃の子供もいたが、彼女と異なりこちらに向ける視線は鋭い。もしかすると、エコナ同様ダルトラに家族を奪われた経験があるのかもしれない。
村長は年嵩の男性だった。幸助を見て、不思議そうに首を傾げる。
突然の訪問という無礼を詫び、急ぎのようであることを伝えた上で要件を述べる。
「……神域を侵す許可を与えよと、そう仰るわけか」
「…………無理を言っているのは理解しているつもりです」
「あなた達が勝つ為に、二度ギボルネに重荷を代わらせる。ダルトラはそれを良しとするのですな?」
好意的に迎えられるわけはないと知っていた。
それでも無視は出来ない。エコナの祖国であるというのもあるし、そうでなくても彼らは被害者だ。
二度も蔑ろになど、どうして出来よう。通すべき筋というものがある。
「一つ、訂正が」
「と、いうと?」
「『あなた達』ではありません。『わたし達』です」
村長の瞼が、僅かに上がる。
「……ギボルネの民が為でもあると。それを、我々はどう信じればよろしいのか」
「結果を先に示すことは出来ません」
「断ると言ったら?」
「帰ります。帰って、死力を尽くして戦うまでです。『わたし達』の未来の為に」
目が合う。
機嫌を窺うような言葉を言うのは簡単だ。耳触りの良い言葉を吐くのだって。そもそも、ダルトラがその気になれば彼らの拒否など無視してことを為せる。村長だってそれを理解して、その上で質問したのだ。あなたがたのそれが、遠回しな脅しではないならなんなのだ、と。
だから幸助は、脅しているつもりなどないのだと伝える。
無理なら無理で帰って、戦うだけだと。
「…………困りましたな。儂の目が曇っているわけではないのなら、あなたは信用に値する人物ということになってしまう」
「困りますか?」
「…………恨みを消すのは、そう簡単ではないのですよ」
「……あぁ、それなら分かります。とてもよく、わかります」
「それでもなお、我らに頼むと」
「必要ですから」
「同胞の死も、奴隷化も、必要なことでしたか?」
「………………」
言ってから、村長は無理にそうするように、笑みを浮かべる。
「良いでしょう。今のあなたの表情で確信しました。知りもせぬ我らが同胞の死に心を痛めるあなたの心根を信じ、神域への立ち入りを許可します」
幸助は頭を下げた。文化の違いで通じないのだとしても、幸助自身の感謝を示す為に。
「ところで、エコナは元気にやっていますか」
「知ってるんですか……?」
まさか聞くとは思わなかった名に、顔を上げる。
「儂の弟の孫ですからな」
意外なところで繋がるものだ。
「えぇ、元気です。最近は、少しさみしい思いをさせてしまっていますが」
「保護者が英雄ともなれば、そうもなりましょう」
「す、すみません……」
幸助が謝罪すると、村長は逢って初めて、愉快げに笑った。
「エコナが選んだのでしょう。あなたと在ることを。試すような真似をして、こちらこそ申し訳なかった」
「いえ、当然のことと思います」
「老いぼれの相手はこのくらいにして、お行きなさい。元より、そう猶予などないのでしょう」
「……それでは」
もう一度だけ頭を下げて、その場を後にする。
村を出てから神域へ急ぐ。
神域とくくられたところで、周辺の森と何かが変わるようには思えなかった。
それを、見つけるまでは。
洞窟の入り口。見た目だけを語るならばそうなるだろう。
ただ、空洞の奥に何も感じない。
封印が完璧過ぎるのだ。こんなもの、目の前まで来なければ違和感など察知出来ない。
だが、それでは発見そのものが極めて困難になる。
だから、緩む瞬間というのを用意しているのだろう。
それをゲドゥンドラが探知したわけだ。
深呼吸。
剣の柄に手を掛け、侵入開始。
暗い道を、どれだけ歩いただろうか。
体感時間を狂わせる魔法でも張り巡らされているのか、数十秒のようにも、数時間のようにも感じた。
やがて、景色が開ける。
巨大な爪痕だらけの、円状の更地。
観客席の無いスタジアムか、サーカスを思わせる場所だ。
その中央に獣――ではなく、女性が立っている。
細身の剣を腰に吊るすは、長身だが華奢な印象を受ける女性。髪の色は白に黒が交じるという独特のもの。頭頂部に獣の耳めいたものが生えていることから、ホワイトタイガーを連想させた。
瞼は閉ざされていたが、幸助の侵入を察知してか、開かれる。
金の瞳。瞳孔が縦に長い。体は幸助に向いているが、視線はただ地面に刺さっている。
「……折角、今日は調子が落ち着いているというのに。間の悪い侵入者だ」
胸部と局部を隠すように布を巻き、その上からマントのように大きな布を纏う。クウィンの格好と違い、何かしらの補正を付与する装備でなく、ただの襤褸布だ。
にも拘らず、気品すら漂っているように感じられるのは、彼女の理知的な所作のためか。
「…………お前、魔物じゃないな」
完全な人型の魔物もいるだろうが、少なくとも彼女は違う。
これは……亜人だ。
「侵入者よ。去れ、何人も我が主の眠りを妨げること叶わぬ」
違和感があった。
けれど、その正体が掴みきれない。
「お前は『暗の英雄』じゃないのか」
幸助の丁度正面奥に、扉がある。報告とも一致する通り、部屋はもう一つあるようだ。
そこに『暗の英雄』はいるようだ。だが、報告では『黒き獣』が『黒』を行使したという。
ライクのホラか、そうでないのなら――。
「その汚れた口を閉じろ。主を此の地に封じることで存続した世界の者に、あの方の名を口にする資格など無い」
明確な怒気と敵意。
そうだ。人間に対する殺意などを感じないことからも、やはり彼女は魔物ではない。
だが、上階の無いこのような魔術的空間を、人は悪領と呼ぶ。
「……そう思うよ。それでも、その力を貰い受ける理由が有る」
「――恥を知らぬようだな。そこまで言うのなら対話は望まぬ。死して黙するがいい――侵入者ッ!」
消える。否、単純な速度。
眼前に現れた女性が振るう刃を、幸助は不壊の剣で受け止めた。
至近距離で、互いの目が合う。
口を開いたのは、彼女の方だった。
その瞳が、驚愕に見開かれる。
「貴様、その顔貌、どういうつもりだ……!?」
顔貌……幸助の顔を見て、驚いている。
「貴様らは――ッ! どこまで主を愚弄すれば気が済むというのだ!」
右足の蹴り。『黒』き防壁を展開して防ぐ。
「……『黒』、だと!? ……まさか、いや、有り得ぬ! 有り得るわけが……」
女は咄嗟に後ろを振り返り、それから再び幸助を見た。
「侵入者……貴様、名は」
「……クロス・クロノス――」
「来訪者なのだろう、そちらの名だ!」
答える義理などないのに、鬼気迫った表情に、応じてしまう。
「……黒野、幸助」
「……あ、あ、……そんな」
剣を取り零し、女はずるずると後退った。
その反応を見て、気づいてしまう。
神話の『黒の英雄』について。
『黒の英雄』は当初、正義を信奉する若者だったという。
幸助は、自分が正しいと思うことをする人間だ。
『黒の英雄』は差別意識を持たず、亜人や魔物さえ時に仲間にしたという。
幸助は、奴隷や亜人にも差別意識を持たない。
『黒の英雄』は被害者を救えないことを酷く心を傷めていたという。
幸助は、妹を救えなかった経験から救けられる者を救けられないことに苦しみを覚える。
『黒の英雄』は誰かを探していたという。
幸助は、この世界で妹との再会を果たした。
『黒の英雄』は名をエルマーという。
幸助は、それを聞いた時にトワとかつて楽しんだ絵本の主人公と同じ名だと気付いた。
『黒の英雄』は精神汚染で狂ったと考えられる。
幸助は、グレアの持っていない【黒迯夜】や『セミサイコパス』などを有している。
あぁ、なんだ。
そういうことだったんじゃないか。
「貴様は――」
「俺が――」
『黒の英雄』だったんだ。




