126◇吐露と告白
彼女の言葉は、ストンと胸に落ちた。
反論も誤魔化しも出来なかったのは、幸助自身驚いていたからだ。
誰かに気付かれているとは思わなかったから。
「……きみは、この世界で、幸せになるんでしょ。それで、今はどうなの」
「どう、って」
「これが、幸せ?」
悲しげに首を傾げるシロ。彼女だって、そう思っているわけではない。
そんなこと分かっていたけれど。
「そんなわけ……そんなわけ、ねぇだろ」
「クロ。あたしは、きみの仲間でも、部下でも、友達でも、家族でもないよ。だから、大丈夫」
彼女のすべやかな手が、頬に伸びる。
幸助は『黒の英雄』だ。そうでなくても英雄規格のステータス補正を受けた来訪者で、エコナの保護者で、トワの兄だ。だからそう、彼らに弱いところは、情けないところは、見せられないという思いがあって。
けれど、シロは違うから。彼女はそのどれにも該当しないから。
幸助が弱くても、情けなくても、気にしないからと。そう言っている。
「……上手くいかないことばかりなのは、当たり前なんだ。全部自分の思い通りに行くなんて、有り得ない。それじゃ妄想だろ。俺達が生きてるのは、現実だから。どうしようもないことも、出来ないことも、叶わないことも……! あるって、分かってた」
だから、何も悪いことをしていない妹が陵辱の果てに死ぬこともある。
自殺を試みた愚か者が転生することもある。
「だけど……! これは酷すぎるよ」
ゲームだったらとっくに電源を落としている。そうして逃げられるならそうしている。
それだけ、状況は悪い。
それでも、幸助に諦めることは許されない。背負ってしまったものだから。やると決めたものだから。
「じゃあ、やめちゃおっか」
「――は?」
呆ける幸助の頭を、シロが背伸びして胸に抱く。
彼女の香りと温もりが、張り詰めていた緊張の糸を緩めるように、幸助を包む。
「だってそうでしょ? クロが……幸助、きみがやらなければならないことなんて、無いんだから」
それが許されるなら、どれだけ。
「出来るわけないだろ……! ライクを殺したのは俺だ! リガルはもういない! トワに人殺しなんてさせられない! 戦わなかったらッ! 勝てなかったらッ! お前もエコナも酒場の皆も他の奴らも! 死ぬんだぞ!? クウィンはどうする! 俺の所為で国を裏切ることになったのに! もう……! もう、何も捨てられないよ……」
そうだ。幸助の襲う苦しみの正体。
過去生では、自分一人だった。だからどうとでもなった。父と母にだけ迷惑が掛からないよう努めたが、それだって復讐に比べれば優先度の低いものだった。
孤独だったから、失うものが無かったから、幸助は強かった。
けど、今は違う。
沢山のものを得てしまった。
大切なものを取り戻してしまった。
失いたくないものばかりが周囲に増えた。
それなのに、昔と同じような戦い方をして。
だから、負けた……?
自分の周りにある大切なものに目を向けることを忘れ、自分を大切に思うもの達が何を想いどう動くかを、考えることが出来ていなかったから?
「幸助、きみは頑張っているし、頑張ったよ。だから、大丈夫。あたしも、トワちゃんも、エコナちゃんも、きみが大事に思う人はみんな、きみを責めたりしないよ。だから、したくないことは、しなくていいんだ」
そうして、彼女は。
まるで親が子にするみたいに、幸助の頭を撫でた。
馬鹿みたいだ。
『黒の英雄』をあやそうとする目の前の女も。
それの言葉に、優しさに、心が軽くなる自分自身も。
幸助は、そっと彼女に手を伸ばす。
「…………ねぇ、なにやってるのかな」
顔を上げると、シロが頬をひく付かせながら幸助をジト目で睨んでいる。
「……なにって、乳を揉んでる」
「だから、なんでこの雰囲気でおっぱい触るかな!?」
「元気つけようとしてくれたんだろ? 男はおっぱい揉むと元気になるんだ」
「ん、んー? それなら――いやダメだこれは! そういう感じの元気をあげたいわけじゃないし!」
幸助の手を引き剥がそうと、彼女は「てい、てい」と腕に手刀を落としているが、幸助は手を離さない。
「まるでくっついてるみたいにとれないなきみ! その執念はどこからくるんだ!?」
「したくないことはしなくていいんだろ? 俺は今、手を離したくない」
「そういう使い方をさせるために慰めたんじゃないんだけど!? ぶっ飛ばすよ!?」
飛んでくる彼女の右拳を掴む。
胸から手を離し、彼女を抱きしめた。
またセクハラか!? と警戒していた彼女も、幸助の次の言葉でおとなしくなった。
「ありがとう」
「……おっぱい揉ませてくれて、ってオチじゃないよね」
「……それもある」
「いいから、そういうの」
呆れ気味の彼女に苦笑しながら、幸助は口を開く。
「『逃げちゃだめだ』って考えが、自分を追い詰めたみたいだ。うん、大丈夫。『逃げてもいいよ』って言われて、ちゃんと分かった。俺は、自分でそうしたいから、戦うんだ」
「……いいの?」
「欲しい未来があるんだ。俺もトワも、普通に街の人間で。エコナは学院に通ってる。そういう未来の為に、勝ちたいんだ。勝てれば、それを得られるって約束を、とりつけてあるから」
そう。ダルトラ王との約定だ。
「……よくわかんないけど、いっこいい?」
「あぁ」
シロを見ると、その顔がやけに赤い。
「み、未来にあたしいなくない?」
少し拗ねるような表情なのは、そういうことか。
「……悪い、いるのは当たり前だと思ってたから」
と思ってたことをそのまま言うと、彼女の顔が更に赤くなる。
「きみは……! また、そういうことを、平然と……!」
「あ、そうだ。お前今、酒場の屋根裏部屋に住んでるんだよな?」
急に話が跳んだように感じたのだろう、シロがぽかんとした表情になる。
「うん、そうだけど……?」
「じゃあ、戦争終わったら一緒に暮らそう」
元々、幸助一人で済むには大きい家だ。エコナや、トワにシロが加わったとて、それは変わらない。
この世界では十五が成人ということだし、幸助は既に住居もあれば貯金もある。無責任ともとられまい。
シロを見ると、固まっていた。
「そ、しょれって……」
噛んだ。
「ダメか?」
シロが機械だったら、ぷしゅう、と煙を噴いていたかもしれない。それほどの衝撃だったようで、彼女は目をぐるぐると回しながら、やがて幸助に背を向ける。
「か、考えといてやる……!」
捨て台詞のようにそう言い残して、部屋を出て行ってしまった。
……エコナを置いて何処へ行くつもりなのだろう。
「…………ふ、あはは。なんだあれ」
本当に、自然に。楽しくて、笑いが溢れる。
酷く久しぶりに感じたのは、戦争というものがあまりに濃密だからか。
笑っている場合ではないのは分かる。
けれど、それで心を重くしては、望む成果も出せまい。
『暗の英雄』となる。
英雄旅団を打倒する。
クウィンを取り戻す。
アークスバオナに勝利する。
そして、平穏を獲得するのだ。
自分の意思で、自分がそうしたいから。




