120◇狂瀾怒濤、放ちて
グレアの余裕が、慢心からではなく自身の実力を正しく認識した上での自負に拠るのだと幸助は気付いていた。
言ってしまえば、強いのだ。
圧倒的強者故に、余裕を持っている。それだけ。
「征くぞ」
グレアが消える。
『空間』属性による瞬間移動ではない。単純に、目に追えぬ速度で動けるのだ。
幸助は剣を腰だめに構えながら、倒れかねない程の前傾姿勢を執る。
瞬間、頭上を暴風が通り過ぎた。
軌道上に存在する全てを余すことなく斫断する斬撃が、空を斬ったのだ。
「ほう」
神速による移動は、己自身でさえ完全制御とはいかない。あらかじめ決めた動きを大きく外れることは極めて困難。幸助は横薙ぎの一撃を見抜き、行動を変えられぬタイミングで回避行動を用意した。
結果、グレアは攻撃を外したのだ。
そして、幸助の居合めいた一閃がグレアを襲う。
襲い、刃が彼の【黒纏】に食い込むも、そこで止まる。
不壊の剣は『併呑』も受け付けないが、硬度を無視出来るわけではない。
切り裂けなかったということはつまり、足りなかったのだ。
力あるいは技量が。
二度目の回避は間に合わない。
グレアの前蹴りが胴に激突。胸骨が砕け散り、体が吹き飛ぶ。
クレセンメメオスの魔力再生で治癒を施しながら回転によって威力を殺し、距離を取って立ち上がる。
すると、目の前にグレアが立っていた。
「貴様に足りぬものを教えてやろうか?」
尊大に構えた物言いではあるが、それが不遜に及ばないのは、事実彼がそれに足る力を有しているからだろう。
「……お前みたいな無駄口か?」
幸助の皮肉にも、彼は小さく笑みを漏らすだけ。
そして、言う。
「なに、難しいことではない。――時だ、クロノ」
「…………」
「時があれば、貴様とて成長出来よう。事実、この短期間で英雄連合を率いるに値すると認められたのだ。精神を戦士のそれに組み替えることもまた不可能事ではないのだろうな。だが、軍場は貴様に猶予など与えぬ。現に今、こうして己相手に後手に回るが精々だ」
グレアは何も自慢をしているのではない。
ただ事実を語っている。
足りないのだ。自分が彼に勝つには、あらゆるものが。
今までのように工夫で勝てはしない。それらを全て上回ることが可能な能力を敵も持っているのだから。
「お前を殺せば、アークスバオナの誰も俺に勝てなくなるってことか?」
幸助の怖じぬ態度に何を思ったか、グレアは肩を揺らして笑った。
「善い。力量差を悟ってなお、屈しない心胆は評価に値する。だが、その認識は誤りだぞ、クロノ」
そう言って、グレアは両手剣を地面に突き刺す。見れば、刀身に小さく何かしらの記号が刻まれている。
「アークスバオナには七征なる称号が存在する。皇帝陛下直属の英雄の中に在って、尋常ならざる貢献を示した者に与えられるものだ。数は最大で七。与えられる格を拝数と言い、数が若い程に格上とされる。そして己に与えらしは――七」
それはつまり。
「己の十年に勝る功績を上げた者が、アークスバオナには後六名いるわけだ。貴様に奴らを殺せるか? 己一人に対し、まともに傷も負わせられぬ貴様が」
七征の序列が単純に戦闘能力順でないにしても、絶望的な情報。
膝を屈し、絶望するに足る言葉。
おそらく、幸助を諦めさせる為にわざわざ漏らしたのだろう。
だからこそ、幸助は言い放つ。
「どうでもいい」
グレアの目が興味深けに開かれる。
「俺に足りないものが幾つあっても、お前が俺の何億倍努力してても、そんなこと知るか」
そして、口許が笑みの形に歪む。
「何をどれだけ並べ立てても、俺が、今、お前に負けていい理由にはならないだろうが……!」
「面白い」
引き抜かれた両手剣が振るわれる。
受太刀を試みるも、虚しく剣圧に体が流された。
幸助はそれに抗わず、むしろ利用して距離を稼いだ。
ポケットに手を入れ、着地。
瞬間、グレアの【黒纏】が掻き消える。
「……これは」
「遅い」
ポケットの中にはスイッチ。
リュウセイが対幸助用に用意していた魔力の発露を疎外する結界。
そして、消えたグレアの【黒纏】に代わり、出現したものもある。
グレアの頭上より、雲すら超える巨大な岩石が落下してきていた。
『土』属性創造魔法によって空中に創り上げ、『囲繞』『光』付与魔法によって存在を隠匿。
結界範囲内への突入によって偽装は剥げるが、創造魔法の産物は『魔力を基に作った物質』である為に、既に魔力を持たない。故に魔力の存在を許さぬ結界内においても消滅せず残るのだ。
さながら、隕石。
質量爆弾とでも言おうか、およそ人体に耐えられる威力では無い。
それがグレアの立つ大地に堕ちる。
豪風と轟音が周囲一体に立ち込め、土煙が舞い上がる。
例え英雄規格であろうと、肉塊になって然るべき攻撃。
それでも。
「善い……! 善いぞクロノ……! 久しく忘れていた高揚だッ……!」
その男は、健在だった。
服こそ汚れているものの、頬こそ切れているものの、たったそれだけで歩み出てくる。
「訂正しよう。貴様は俺に傷を負わせた。己以外の七征相手にも戦えよう。とはいえ、勝利を掴むには足らぬがな」
幸助を見て、微笑む。
「さぁクロノ。次の手を見せろ」
グレアがどう考えているかは分からないが、幸助は驚愕も諦観もしていなかった。
可能ならば、今の攻撃で倒しておきたかったというだけ。
位置関係を確認。
幸助と旅団八名で、グレアを挟む形。
「――【黒迯夜】」
グレアに正面から攻撃すれば、彼の回避が仲間の危機を招くということ。
――状態が『精神汚染1.538』になりました。
大地から水が湧くように、幸助の周囲より『黒』が湧く。
蠢動するそれは、大地を覆い尽くす程の量まで増え続ける。
「……そうか、貴様――神託授受者か」
グレアが何か言ったが、理解出来なかったし尋ねようとも思わなかった。
ただ、放つ。
『黒』き奔流が英雄旅団を襲う。




