118◇絶類抜群に在り
「安心しろ、敵にも払うべき礼儀がある。己が一人で戦うと言えば、他の者も手は出さんさ。一騎打ち、と言ったか? それを約束する」
男の言葉は、玲瓏たる響きで空間に染み渡る。
そこに相手を欺かんとする安い駆け引きの色は無い。
「はっ、礼儀? ふざけたことを。お前の部下は、俺を苛立たせる為だけに警備隊の人間を殺した。部下の躾けも出来ない奴が、気取ってんじゃねぇぞ」
幸助の返す言葉は敵愾心に満ちたものだった。
しかしそれを受けた男の方は、平然と歩みを止めない。
「ふむ。では非礼を詫びよう。済まなかったな」
それだけで話は終わりとばかりに、グレアは背に手を伸ばし、肩に吊るした両手剣を抜き放つ。
色は幸助のものと同じく漆黒。アークスバオナ皇帝がダルトラ王と同じく神の血を引く者であるのなら、英雄に下賜されし武具に付される能力もまた、場合によっては一致することもあるだろう。
「始めても構わんか? ……いや、まだ話し足りぬようだな。不満を湛えた目だ。いい、話せ」
なにもグレアの許可を待っていたわけではないが、結果としてそれに応じるような形になる。
「お前は、お前らは、あんなクズでも仲間として扱うのか」
グレアは怪訝そうに眉を歪め、背後の八人も銘々似たような反応を示した。
「異なことを言う。貴様とて、人殺しには相違あるまい。今貴様を仲間と呼ぶ者達は、それを咎めたのか? あるいは、こう言いたいのか? 道楽と復讐では、殺人という行為に伴う罪過の重量が変じると。故にリュウセイは何者にも受け入れられてはならず、貴様は幸福を享受してもよいのだと」
「……違う」
「ではなんだ。年端もいかぬ処子を戯れに陵辱して回る。あぁ、許されざる罪だろう。だが、それも過去生の話だ。貴様自身の手によって殺められたリュウセイは、アークスバオナの地にて皇帝陛下に忠誠を誓った。ならば、同胞と扱うにどのような不都合があると言うのだ」
「生まれ変わったから、許すって? 随分と寛容なんだな」
「否、何者もやつの罪を浄化など出来ぬ。勘違いするなよクロノ。我々は同胞の罪に目を瞑るのではない。赦しも与えぬ。ただ、知ってなお、仲間として扱う。それだけのこと」
それを聞いて、幸助は自分の勘違いに気付く。
罪人であることと、仲間であることは、矛盾しないのだ。
罪人として捕らわれたトワが、その瞬間妹で無くなるなんてことは有り得ない。立場が変わろうが、関係は変わらない。実際そうして、幸助はトワを救った。誰にとって罪人でも、幸助にとっては大切な妹だったから。
彼の主張は、順番が前後してもそれは変わらないというもの。
過去生でどれだけの罪を犯した人間でも、そのまま、仲間という関係性になれる。仲間だから、大切に扱う。それだけのこと。そう言いたいのだろう。
共感は一切出来ないが、理解だけは出来る。
「やつは目的を欲していた。熱意湧き起こる目的を。その達成への大きな貢献を望んでいた。だがな、やつの才覚は『優秀な兵士』以上のものではなかった。故に、やつが貴様を誘き出す術があると献策した際、己は許可を与えたのだ。叶えば、死してなおやつは目的を達することが出来る。己が貴様を殺すことで、ダルトラ侵攻への道は開けよう。さすれば、その切っ掛けとなったやつは本国で讃えられる。後の歴史書にも名が刻まれるだろうな。リュウセイが一人で貴様を迎え撃ったのは、それが理由だ」
死ぬと分かっていて単独行動を許可した。それだけが、リュウセイの望みを叶える手段だったから。
「……まともじゃない」
幸助の言葉に、グレアは短く冷笑を溢す。
「それは済まなかったな。貴様らが聖者の軍団だとは知らなんだ。我らを愚弄するからには、貴様らの身はさぞかし潔白なのだろうな。いやしかし、己も耄碌したか。白きを主張するには、ダルトラを含む国家の云為は些か穢れを含みすぎているように思うが、貴様はそれを錯覚だと言うのだろう?」
グレアの言葉に対し、即座に返す言葉を幸助は持たなかった。
幸助が見てきただけでも、ダルトラでは狂気が凝っている。
国家という総体を存続するにあたって、ほんの些細な過ちや穢れも許さないというのなら、長期間存続可能な国家など果たして存在するのか。
「でもなければ、黒きが黒きを嘲笑うという滑稽な構図が出来上がってしまう。よもや、黒の英雄殿がそのような愚昧さを有しているとは思えぬ故、己が過ったのだろう。謝罪が必要か?」
「全ての国家が清廉潔白とは言えない。だからって、その事実はお前らの狂気を正当化したりはしねぇぞ」
「理解しているとも。だがな、クロノ。同様に、この世の何も、貴様の狂気を正当化しないのだと知れ」
「……なにを」
「『紅の英雄』が『霹靂の英雄』を殺めた本人であったら、貴様は処刑したか?」
「――――」
「正常を語るなら、正常で在れ。狂気を排し、罪を憎め。どうなのだクロノ、貴様は妹が罪人であったなら、それを理由に、英雄として正しく罰することが出来たのか?」
即答出来なかった。それが答えだった。
出来るわけが無い。もし、妹が本当にリガルを殺していたとしても。
幸助は葛藤の末、最終的には彼女を助けようとした筈だ。
それが正しくないと、知りながら。
どうしようもなく、大切だから。
「理解したか? 他者と身内の境界、その線引きが貴様と己で異なるというだけのこと。その差異を理解不能と切って捨てるのであれば、思考停止による峻別は、やがて蒙昧なる差別を生む。閉じた正しさは、無自覚に過ちを犯す。斯様な者共に、正義の御旗を掲げる資格が在るとは思えんがな」
清く正しく在ることを正常と呼び、そこから外れる全てを狂気と定義するなら。
グレアの『仲間と認めた者の罪は問わず、またどのような形であっても願いの成就に貢献する』という考えも、『大切な者を傷つけた者へ復讐を果たす為、また大切な者を救う為ならば、世のどのような決まり事も無視出来る』という考えも、揃って狂気に分類されるだろう。
常人から外れてこその英雄。冠絶してこその英傑。
人並み外れた才覚や能力を持ち合わせた人間には、当然並の人間とは違う部分が在る。
思考形態に限ったそれを狂気と呼ぶのなら、幸助やグレアだけでなく、あらゆる英雄やその末裔は狂っていると言えるだろう。
特に、英雄という器に注がれる狂気は、貴族が持つものとは比べ物にならぬ、いわば原液。
であれば、思想や信念が常人の理解が及ばぬものになっていたとて、疑問を挟む余地は無い。
異常であることが正常。それを英雄と呼ぶのであれば。
つまり、無駄なのだ。
「善悪を論じるつもりはねぇよ。お前の考えはもう分かった」
「そうだ。話し合いの卓に着くことが出来なかったが故の闘争なのだからな。自覚したのならばなにより。これで、戦いにのみ全神経を傾けられよう?」
わざわざ幸助の話に応じたのは、そういうことらしい。
僅かな疑問すら潰して、幸助が全力で戦えるようにという配慮。
それは礼儀というより、彼自身が『黒』を相手取りたいという感情からだろう。
「征くぞ、クロノ――そう簡単に壊れてくれるなよ?」




