117◇報仇雪恨、叶いて叶わず
やつの瞳に怯えが走ったのを見て、幸助はかつて感じたものと同種の怒りを抱く。
この程度の人間の所為で、妹は死に、黒野家は崩壊し、自分は人の道を踏み外すことになったのだという事実が、どうしようもなく耐え難かった。
「ふ、ざけやがって……!」
喘鳴混じりに放たれる粗野な言葉は、虚勢であることが透けて見えて。
けれど、幸助はそれに失望も落胆もしない。最初から、器の底など知れていたのだから。
過去生では父親の権力、転生後はステータス補正。虎の威を失えば、無力な狐が残るのは必定。
それでも、胸の裡で燃える怒りだけが、消えてくれなくて。
佞悪醜穢の体現者、家族の人生を破壊した者が、こんなにも愚昧で脆弱だという事実が。
どうしようもなく、耐え難い。
人の幸福は、小物の気まぐれ程度のもので壊せてしまうという現実が、辛くて堪らない。
「その目をやめろやッ! 黒野ォッ!」
痛みと怒りで冷静さを失っているのか、やつの行動は悲しいまでに愚か。
ただの突進。
幸助は剣で左腕を切り飛ばし、前蹴りで右膝を圧し折る。
唾を撒き散らしながら膝をつくやつを見ながら、ふと気になった。
トワを傷つけた犯人達は、誰一人としてそれを覚えていなかった。
今目の前にいる人間は、何故トワが幸助の妹だと知っているのだろう。
単純に、思い出したということだろうか。
どちらにせよ、どうでもいいことだ。すぐに分かること。
やつのポケットからスイッチを取り出し、再度押す。
魔法の使用が可能になったことを確認。
「視せてもらうぞ」
左手でやつの頭部を鷲掴みにし、抵抗する間もなく記憶を覗く。
仮にもエルフィの『神癒』を獲得している幸助にすれば、造作もないことだった。
閲覧というより、複製。やつの記憶を情報として、自身の脳に刻む。
少年の名前は、リュウセイ。転生時、共に殺された者達の姿は無し。力を買われ、アークスバオナ軍に入隊。先の発言と矛盾もなく、ある意味で心を入れ替えている。
少年が過去生で非行に走ったのは、退屈だったから。言ってしまえばそれだけ。なんとなく満たされない、享楽への飢えなんてものは、若者に限らず持つものだろう。
それを無理に満たそうと動けば、自身や周囲を損なう。少年はそれを厭わず、生じた問題の一切を親の権力で強引に解決した。
アークレアに来た彼は、それを満たすものを見つけた。戦争だ。世界征服。異界征服。自分には特別な力がある。そう、彼は心を入れ替えた。暇潰しはもうやめ。真剣に、享楽に浸ろうとした。
幸助のことがバレたのは、単純。
『霹靂の英雄』リガル殺しの真犯人を捕まえる為、幸助はグレイと共にとある策を敢行。
それは成功したが、情報聞紙に虚偽を載せることとなった。
その詫びとして、幸助はそれまで断っていた顔出しによる記事の掲載を許可。
アークスバオナの密偵がそれを本国へ送り、情報を目にしたリュウセイは幸助だと気付く。
そして、冤罪を着せられた紅の英雄の名前と、幸助の必死ともとれる動きから、思い出す。
自分達が殺した少女のことを。少年が、その兄であることにも気付いた。
即座に上官に報告、そして今回の件に繋がったわけだ。
「て、テメェ、何してやがる! 離せ、離せよクソがッ!」
必要な情報のコピーを終え、幸助は要望通り手を離してやる。
「さて、お前にほんの少し残ってた利用価値も、今消えたわけだが。何か言い残すことは?」
状況は、想定された中で最悪。幸助とトワの関係、仲間の多くに秘しているそれを敵は知っているのだ。それはつまり、トワが危険に晒される可能性が上がったということ。
それだけでも、目の前の首を怒りに任せて飛ばす理由としては充分だった。
しなかったのは、きっと。
後悔するところを、見たかったから。
許せない人間の無様な姿を、殺す前に眺めていたかったから。
実際、少年の姿は無様でならなかった。
戦場に立つ二者の関係性は、加害者と復讐者、敵と敵でしかなく。
もはや少年に許された結末は、死以外に無い。
「残り少ない生を噛み締めろ。三度目なんて期待すんなよ?」
リュウセイはキッと幸助を睨み、歯を軋ませる。奥歯の砕ける音もした。それだけ悔しいのだろう。
けれど、末路は不変。彼の挙措は、幸助を苦笑させる程度の変化しか起こせない。
あぁ、くだらない。胸中で呟いて、幸助は自分を窘める。
今の自分はもはや『黒野幸助』ではない。『黒の英雄』としても必要だからこそ赴いたのであって、復讐者としての私情に浸るのでは、目の前の小物以下だ。
浅く呼気を漏らす。捕虜として捕らえることも考えるが、不要と判断。それこそこの先捕虜交換などで帰還などさせてしまえば、今回のように多くの仲間を欠く事態を招く。
この場で処分するべき。
剣を少年の首に添える。
少年の肩が震えていた。今になってまともな恐怖が機能した――というわけではなさそうだ。
「ふ、は」
溢れるようなそれは、笑み。
「あ、はははッ。あ~あ、気付いちまったよ。思いついちまったよ! なぁ黒野! テメェ、オレの記憶盗み見たんじゃねぇのか? なぁ、そうだろ! まったくテメェらしいぜ! オレらに逢うために、なんだっけか? ちまちま頑張ってたんだもんなぁ? やっぱ変わってねぇよお前」
「そうだな。その頑張りに、二度も殺される気分はどうだよ、クソ野郎」
「テメェもオレと変わらねぇだろうが! 自分のやりてぇことをやってる! ルールを無視して! だっつのに、なんでテメェはそうも偉そうにしてやがんだ! なぁ、ふざけてんじゃねぇぞ!」
「…………」
「『自分は正しいことしてます』ってツラすんのやめろやッ!」
「……そうか。じゃあ、言おう。俺は間違ったことをしているよ」
そんなこと、過去生の時点で自覚していた。けれど、それでも、それをしたのは。
「けど、間違ったことをしなきゃ殺せないクズはいるだろう?」
切っ先がやつの首筋を薄く斬る。流れる血を見ながら、続ける。
「ルールを操る側の庇護下にいて、罰から逃れた奴が、何を偉そうに罪人ぶってるんだ? お前なんて、罪を罪とすら認識出来ない癖に」
「馬鹿が! オレはそれを許された人間なんだよ!」
「へぇ、誰に? 偉いパパか? それともお前に『次の景色』とやらを見せてくれる上官? いいね、おめでとう。でも、誰がお前を許しても、俺は赦さねぇぞ」
あぁ、そうだ。罪の意識? 要らない。改心? 期待しない。贖罪? 求めるつもりもない。
ただ、苦しんでほしい。罰を以って、自らの行いを悔いてほしい。
その果てに死んでくれれば、もう、それだけで満足だから。
「なぁ、なんでテメェがこんなことやってんのかあててやろうか?」
「まだ気付いてないのか? お前を地獄に落とす為だよ」
「バァカッ! そうじゃねぇよ。なんで、とっくに死んだブスの仇を討つために人生無駄にした馬鹿兄貴が、この世界来て英雄ごっこしてたのかっつぅ話だ。記憶を覗いたんなら、俺が何考えてっかは分かる筈だよな。でもよ、お前、全部は視てねぇだろ?」
「あ?」
「オレが、オレ達が、テメェの妹マワしてやった記憶は視てねぇんだろ? オレよ、こっち来て思い出したんだわ。あんまりにも! 貧相な体してやがったから! 忘れてたんだけどよ!」
少年の言葉は止まらない。
「『紅の英雄』トワイライツ。それ、テメェの妹だろう。時期がピタッと重なってんのがいかにもだよな。名前もときてる。テメェは、愛しの妹を、今度こそは助けようとしたわけだ! あはは! 良い兄貴じゃねぇか。何をしたところで、処女を散らして凍死した事実は消えねぇってのに」
幸助は、理解していた。目の前の少年が目的をシフトしたことに。
幸助を殺すことは無理と判断。生存も不可能。だから、そう。それしか無いのだ。
せめて死ぬまでに、自分を殺す人間の心をかき乱すこと。不愉快にさせること。
それしか、出来ることがない。それだけ。だというのに。
「んで知ってっか? 来訪者のステータス補正にはなぁ、なんと過去生での闕乏を埋めようとする動きがあるらしい。んで、そこでシスコンに問題だ。お前の妹の、火を使う能力に特化した『紅の英雄』さまの闕乏は、過去生で求めてやまなかったものは――なんだと思う?」
「…………お前、それ以上口を開くな」
「答えはな、温かさだ! ははは! お前の妹な、ずっと『寒い寒い』『コウちゃんコウちゃん』ってうるさかったぞ! なぁ、警察や親がテメェに教えてねぇといいんだが……どうしてお前の妹が家に帰れなかったか分かるか? 全裸だったから? マワされて弱ってた? 寒さに凍えてた? 全部正解だが一歩足りねぇ。なぁ、わかるか!?」
「……お前の、たわごとに付き合ってる暇は――」
「手足を折って、首を木にくくりつけたからだ」
「――――」
「ほら、たまにいんだろ? スーパーの前とかに犬っころ紐で括りつけて待たせるババアとかよ。あれな、毎度邪魔くせぇと思ってたんだが、相手の立場や事情も知らずに批判するのはいけねぇわな? だから試してみたんだよ。いやぁ、便利だな。ちょっと待たせておくには楽だよ。まぁ! お前の妹の場合はすぐに死んじま――」
気付けば、少年の体が吹き飛んでいた。
剣を捨て、殴ったのだと、拳の感触で気付く。
「人間じゃない……ッ!!」
スキル『セミサイコパス』が発動――失敗。
精神振幅値――調律限界を超過。
……七百七十七度の再試行――失敗。
例外処理適用。部分発動実行――成功。
――精神汚染が加速します。
剣を拾い上げる。少年に近づいていく。
「その顔だ。それが見たかったんだよ黒野。オレらを殺す時、テメェは一切、表情を変えなかった。オレらが何を言っても、オレらに何を、しても……。あれから、消えねぇんだよ。テメェの、能面みてぇなツラが……チラついて仕方なかった! かはっ、はは! 分かるか? テメェは今! オレに負けたんだ! オレの思い通りに動いた! オレを殺せて満足か? あぁおめでとう! でもな、オレは後悔してねぇぞ。テメェの妹が、弱かったのが悪い」
立ち上がることも出来ずに、首の動きだけで幸助を見上げる少年は、どこからどう見ても敗者だというのに。
「そうかよ。なら、今のお前がゴミみたいに死んでくのも、お前の弱さに問題があるな」
その表情は、引き攣りながらも勝ち誇っていて。
「俺の理屈が正しいって認めんだな?」
幸助を、酷く苛つかせた。
「お前の死を正当化出来るなら、どんなに破綻してようが認めるさ」
「次があったら覚えてとけよ黒野」
「お前に次は無い」
心臓めがけて、剣を突き下ろす。
迷いは無かった。長く苦しめようとも思わなかった。
もう、一秒だって呼吸を許したくなかったのだ。
妹が生きている世界に、存在することを許容出来なかった。
ようやく沈黙が降りる。
記憶を思い出してからのトワは、それを気にしていないとばかりに明るく振る舞っていた。
けれど、思い返せば幸助の近くにいることが多かった。
そんなものは、当たり前だ。
トワにとって、幸助だけが、この世界で唯一、『自分を傷つけないと確信出来る相手』なのだから。
彼女は幸助を優しいと言った。その言葉が、今は酷く胸を締め付ける。
「……違う、トワ。俺が優しいんじゃない」
お前を傷つけた人間が、優しくなかっただけなんだ。
彼女の不幸は過去生の死に留まらなかった。アークレアに転生し、英雄として国家に貢献してなお、無実の罪を着せられ、危うく処刑されるところだったのだ。
そこから自分を救い出した、実の兄である幸助を拠り所にするのは、自然なこと。
そうだ。ならば今、彼女はどれだけ心細い思いをしているだろう。
幸助はなんとか立ち上がる。剣を抜き、血振るい、納剣。
「……任務、ご苦労様です。一緒に、帰りましょう」
吊るされた警備隊の遺体を、『黒』に収める。せめて亡骸だけでも、遺族や故郷の許に帰してやらねば。
一度だけ少年の死体へ視線を向ける。
「呑み込む価値もない」
「ならばその亡骸、己が回収して構わんな?」
それは、一瞬の内に起きた。
背後を振り返りざまに抜剣。
そこにあったのは、巨大な闇。
突然に、空間に穴でも空いてしまったかのように黒が生じていた。
そして、その闇から人間が歩み出てくる。
九人。そのいずれも、見覚えがある。幸助の記憶ではなく、今しがた殺めた少年の記憶。
声の主は、悠然とこちらに近づいてくる。
黒髪は長く腰まで流れ、銀灰色の瞳からは余裕が感じられた。鍛え上げられた肉体と、気品すら感じる顔貌の美しさから、美丈夫と言っていいだろう。
男こそが、『暗の英雄』にして、アークスバオナにて新設された『英雄旅団』が団長。
名を、グレアグリッフェン。
「ふむ……どうしてもと言うから任せたが、やはりこうなったか」
男はリュウセイを一瞥し、目を瞠る速度で『黒』を展開、遺体を呑み込む。
「貴様の策によって『黒』が釣れた。後は己の中で、次の景色を待て」
そしてようやく、幸助に視線を合わせる。
「クロノ、と言ったな。お初にお目にかかる」
グレアグリッフェンはもちろんのこと、その後ろに控える八人も英雄規格であることが魔力反応から窺えた。
それはつまり、幸助の今の状況は。
自身と同等かそれ以上の力を持つ敵と、それに八人の英雄を加えた戦力と相対している、ということになる。
「『英雄旅団』団長、七征拝数七――『暗の英雄』グレアグリッフェン・ダウンヘルハイト=シュヴァルツィーラ」
名乗り、笑う。
「長くて済まんな。だが、省けば礼を欠くことになろう」
「礼?」
「何者に殺されたか、あの世で語れぬのでは不便もあろうかと考えてな。可能な限り名乗ることにしている」
幸助の死を前提にした礼儀というわけだ。
この状況では、そう間違った前提とも思わない。
だが。
「ダルトラ国軍名誉将軍――『黒の英雄』クロス・クロノス=ナノランスロット」
幸助の名乗り上げに、相手の眉宇が僅かに歪んだ。
「誰に殺されたか、地獄で自慢出来ないと寂しいだろ? せいぜい覚えておけよ」
「面白い――手を出すなよ、今この時より、此れは己の戦いだ」
背後の八人は各々反応を示しつつ、それでも命令に逆らうつもりはないようだ。
「その油断がお前を殺すぞ」
「『集団を相手にしたから負けたのだ』という言い訳が欲しいと言うのであれば、考え直すが?」
幸助が今まで戦ってきた敵。
魔物とも、ライクとも、アリスとも、リュウセイとも、違う。
生物としての、規格が。
それでも、自分は。
「ほざけ」
帰らなければならない。
待っている人間が、独りにしておけない人間が、いるのだから。
 




