115◇昼夜兼行
王都ギルティアスの東西南北に設けられた街門、その西門。
礼装から軍服に着替えた幸助と、その見送りの人間だけが夜天の下に集っている。
英雄らの納得と軍部からの承認を得て、救出作戦は決行となったのだ。
見送りは二人。
『紅の英雄』トワと、白衣の魔術師グレイだ。
トワは毛先を指で弄りながら、地面へと視線を落としている。
そちらに意識が向かないわけではないだろうが、グレイは敢えてそこに触れることなく幸助に声を掛けた。
「……こほっ。やはり行くのか」
今は亡き『霹靂の英雄』リガルの盟友であり、幸助の友でもある彼の目許には深い隈が刻まれている。
ダルトラ王と幸助は契約を交わした。戦争を終了させた暁には、自由を望む英雄にそれを許せと。
トワがリガル殺しの罪を着せられた時から、幸助は『冤罪を晴らした先』のことまで考えていた。
妹が、世界から理不尽を押し付けられずに済むような環境を用意しなければならないと。
とはいえ、幸助一人で世界を、より具体的にアークスバオナを相手取ることなど現実的に考えて不可能。
事実、多くの者の手を借りている。
そして、グレイは友人であるというだけでなく協力者の筆頭でもあった。
「あぁ、こればかりは無視出来ないんだ」
詳しい説明もしていないというのに、グレイは不満を漏らすことなく淡い微笑を浮かべる。
「……きみはそういう男だ。救わずにはいられない。あるいは、立ち向かわずにはいられない、か。こほっ、その生き方に救われたわたしが、どうしたら文句など付けられよう」
幸助も微笑みを返す。それがどこか自嘲を含んだように歪んだことに、グレイは気付いただろうか。
どちらにせよその点に触れることなく、心なしか潜めた声で彼は言う。
「こちらは任せておけ。きみの無茶な要求は、全て実現させた」
「持つべきものは権力と友だなぁ」
軽い調子で言ってはいるが、戦争の行く末を決定づけるほど重要なことだ。
グレイは呆れるように口許を緩め、「きみらしい」とだけ言った。
「クロ」
「ん?」
「……やつが生きていれば、きみと同じように、助けに行くことを選んだ筈だ」
やつ、というのが誰を指すかは尋ねずとも分かった。
「かもな」
それだけ返して、トワの許へ歩いていく。グレイは気を利かせてか、距離をとってくれた。
彼女は上位軍人用のコート、そのポケットに両手を突っ込んであからさまに『拗ねているぞ』といった様子だった。頬は膨らんでいるし、そっぽを向いている。
「トワ」
「コウちゃんは」
彼女がこちらと目を合わせる。その瞳が潤み、月の光を含んで煌めく。
「コウちゃんは、いつも勝手だよ。ちっちゃい頃から、待ってって言っても待ってくれなかったり、トワのおかし食べたり、一緒にやろうと決めてたゲーム一人でクリアしたり」
「……勝手に、塾をサボったり?」
彼女の端正な顔が、急速に泣き顔へと近づく。
「……あいつら、なの?」
「あぁ、人数は分からないけど、最低一人はこっちに来てるらしい」
ブルっと、トワが体を震わせた。寒さによるものではないだろう。
きっと、恐怖だ。
英雄規格の肉体と素質を手に入れても、過去生の記憶は今なお彼女の脳に刻まれている。
忘れていたものを、彼女は全て受け止めた。
だからといって、それでかつての恐怖と苦痛が、消えてなくなるわけではない。
それでも、彼女は気丈に振る舞って。幸助を安心させようとしている。
兄である幸助に、そんな無理が見抜けぬわけもないというのに。
「……あの日のことを、トワは、コウちゃんの所為だとは思ってないよ」
「わかってる」
幸助が、自分の所為だと思っているだけだ。
彼女が手を伸ばして、幸助のコートの裾を掴む。
「警備隊の人達を、助けに行くんだよね?」
「そうだ」
「そこで、コウちゃんを待っているやつを……どう、するの?」
「どう、って……」
殺すつもりでいた。向こうだってそのつもりだろうし、これは戦争だ。
両者の関係性が、過去生において復讐者とその対象であったとしても、その構図は変わらない。
「あのね、コウちゃんは、忘れてるみたいだけど」
上目遣いにこちらを見るトワの表情は、真剣そのもの。
「最後は手を繋いでくれて、次は自分の分のおかしをくれて、ゲームは最初からやり直して、コウちゃんは、そういうことをしてくれるお兄ちゃんだったよ」
「……それは、お前が泣くからだろ」
「じゃあ、今泣いたら、行かないでくれるの?」
それは無理だ、と思って。そうして幸助は気付く。
妹が泣いたからではなく、妹が泣いているのが嫌だから、幼い頃の幸助は彼女の言ったようなことをしたのだろう。つまり、自分の為なのだ。
誰かの為に動くことで得られる、自分の心の充足の為。
「コウちゃんが帰って来なかったら、泣くから。それはもう、大泣きだから」
何も言えずにいた幸助に、彼女の方が折れてくれる。
「いつの間にか、そこそこ話が通じるようになってるじゃないか」
ようやく、どうにか笑った幸助に、トワは無い胸を張りながら抗議した。
「はぁ? 元々ですから、元々超話の通じる美少女として名を馳せていましたから普通に」
それを笑いながら、幸助は考える。自分の為に動くことで、妹の涙が止まるなら。
そこにどんな問題があろう。無いのだ、一つたりとも。
「帰って来るよ。そうだな、お前の旦那になる奴を見るまでは、ちょっと死ねないし」
幸助が冗談交じりにそう言うと、彼女もそれに応じた。
「トワのお眼鏡に適う人ってなると、すごいむつかしいんじゃないかなぁ」
「……父さんみたいに、家族を大事に出来る人にしろ」
「それとお母さんみたいに料理上手で、面倒見が良い人がいいね」
後は、と言ってから、トワは声を少しだけ落として続けた。
「コウちゃんみたいに、優しい人がいいかな」
首を傾け、にへらと微笑む彼女を見て、幸助は呆気にとられる。
優しい。妹にとって、自分は優しい人間に映るらしい。
「……旦那探しは難航しそうだな」
彼女の頬に手を伸ばし、つまむ。
「なにひゅるの」
小生意気そうに膨らむ、そのもちもちした頬から手を離す。
「んじゃ、行ってくる」
彼女の髪をくしゃくしゃに撫で回す。トワは文句を言わず、されるがままだった。
「……うん、行ってらっしゃい」
秘密裏に行われる作戦の為、シロやエコナへの連絡は行っていない。
後で埋め合わせをしなければならないなと、最後にそう考えて。
幸助は意識を切り替えた。




