113◇狂気再び、黒は軋み
シオンは血を、最初から用意していなかったのだという。
正確には、用意出来なかった。
ゲームなどではぼかされていることもあるが、治癒魔法は自然治癒力を促進させるのであって、失った血液を無から生み出しすことは出来ない。
魔力を血液に変換する魔法式も組めなくはないが、高位の術者でなければ出来ぬ芸当だ。
だから、この世界でも輸血という概念は存在する。
今更説明するまでもないが、神話時代から今まで、来訪者がどの異界・どの時代からでも訪れる以上、あらゆる分野の発展状況が幸助のもといた時代と比較できないのは当たり前だ。
つまり、治癒魔法で代替不可能な部分の医療技術に関してはそれなりに発展しているということ。
商業国家ファルドは近年、そこにも目をつけた。
少し考えれば簡単だ――戦争は多くの兵士が傷つく。
そこに保存状態の良い血液があれば?
必然、多くの傷病兵を救える。
その事実に気付けぬ各国ではない。
結果――血が売れる。
現在、輸血用血液の価格は高騰している。
そして、吸血鬼であるシオンとその家族がその煽りを受けていた。
元よりファルドは亜人の立場が良くないらしいが、吸血鬼となると尚更だ。
似た特性を持つ魔族も存在する為、恐怖と嫌悪の対象とさえされることがある。
そんな中、シオンは有用性を示し続けることで金銭を得、それで血を買っていた。
だが、それも戦争の件で困難になる。
そう、自分を含む十七人の家族全員が――吸血鬼だったから。
途端、家計が逼迫してしまったというわけだ。
かといって、ファルド以外の国で安価で安定した血液の供給路があるわけでもなく。
シオンは家族の為に、今まで以上に働かなければならなくなった。
英雄個々人に、連合へ参加した理由があるのだろう。
シオンの場合は、それが家族ということだ。
そもそも何故、吸血鬼は人間の血を飲むのか。
それは吸血鬼がある意味で甚大な欠陥を抱えているから。
彼らは長寿で、容貌に優れ、夜目が効き、鋭い牙を持ち、変化可能で、再生能力を有し、自身の血液を自在に操ることが出来る反面――自ら血液を生み出す能力が無い。
幸助の知識で語るなら、骨髄の造血幹細胞に問題がある、ということになるか。
吸血鬼を襲う飢餓感は、普通の人間が空腹時に感じるそれと意味合いは同じなのだ。
喰わねば死ぬぞ、だから喰え。そう身体が訴えかけるのと同じで。
飲まねば死ぬぞ、だから飲めと本能が命じている。
彼らは摂取した血液を、体内で自身のそれとして機能するよう『加工』する能力を持っている。
栄養摂取とは別に、血液摂取も行わなければならない種族、というわけだ。
そして、シオンが補給用の血液を所持していなかった理由。
それは、ファルドの意向だった。
彼らは吸血鬼の生命線である血液を握ることで、シオンを縛っている。
表情が歪むのを堪えられない幸助に、シオンは呆れるように「お人好しが」と笑う。
「戦が終われば、自然と値も下がるだろう。奴らは需要に対して適正価格を付けてるだけだ。別に恨んじゃいねぇよ」
しかしその達観したようなセリフには、諦念が滲んでいて。
恨んでこそいなくても、やりきれないという思いは確かにあるのだと、伝わってきた。
どうにかしたいと思わないわけではないが、それは傲慢というものだろう。
もといた世界でだって、格差はあった。
皆同じ人間であるにも関わらずだ。
そこに亜人が加わるとなれば、生じる問題もそれだけ多くなるのは必定。
ただの復讐者が、大層な力を持った英雄になったところで、この世の全てを救えるわけじゃない。
「……俺は神じゃないから、なんでも出来るわけじゃない」
そこで一度区切って、小さく呼気を吐く。
「でも、水を持っている時に、目の前に喉が乾いている奴がいたら、多分分けるよ」
幸助の迂遠な言い回しに、シオンは「ハッ」と笑った。
とても、愉快げに。
と、そこで幸助の視界左情報に文字がポップアップする。
ダルトラ王の騎士・モッゾからだった。
文面に軽く目を通し、急ぎの用であると理解する。
「あー、なんか呼び出された。そろそろ行くわ」
「あぁ、さっさと行ってくれ。男二人で夜空なんか眺めてたら、妙な誤解をされかねねぇ」
幸助は苦笑を返して、軽く手を振ることを挨拶にその場を後にする。
室内に戻る手前で、シオンが言う。
「ナノランスロット」
「ん?」
「どこかで女吸血鬼に血をやることがあったら、気をつけろ」
言ってから、シオンは自身の唇を指で引っ張り、牙を見せる。
「絶対に牙から血を吸わせるな。操られるぞ」
蚊の吸血が何故痛みを伴わないのかというと、大雑把に言ってしまえば針が細すぎて気付けないからだ。太く痛みが伴えば、多くの蚊は即座に殺されるだろうから、必要な能力であると言える。
でも吸血鬼はそうは行かない。
だから、吸血鬼には魅了の魔法が備わっている。
牙から分泌されるそれは、注入された人間を操り人形と化す。
持続時間はそう長くないが、しばらくは言いなりに近い状態になるとか。
「美女に吸われたいっつってたろ? 精々操られないようにな」
幸助の苦笑が、やや引き攣った。
「……気をつけるよ」
◆
王は執務室にいた。
前回のように押しかけたわけではないので、モッゾの方から幸助を招き入れる。
とはいえ、友好的かと言われればそんなことは断じて無いのだが。
執務室にいるのは、王とモッゾ、そして幸助だけだ。
いつもは部屋の外に控えている筈の兵すら引かせていたので、余程の問題なのだろう。
「アークスバオナ関連のこと、だよな?」
モッゾへ視線を向けながら問うと、難しい顔で頷かれる。
「ロエルビナフとの国境線に敷かれた警備部隊が……捕らわれている」
「国境警備隊を? わざわざ?」
大群を率いて突っ込んでくるなら、潰す必要はあるだろうが、幸助らは隠密行動を執るものと思っていたのでやや意図が読めない。
いや、殺したではなく、捕らえたということは……。
「人質交渉? 捕虜交換でも要求してきたか?」
長らく平和だったアークレアには、戦時条約なるものが整備されていない。
連合加盟国内での取り決めはあるが、アークスバオナ側への提案は全て却下されたという。
ただ一点、捕虜に対する扱いだけは違う。
従う者を手厚く遇すると言われるだけあって、敵に捕らわれた仲間も見捨てる気はないようだった。
だから、捕虜の交換が一番考えられる線かとも考えたが、違うようだ。
「これは、奴らの密使が届けられた密書だ。……貴殿宛である」
幸助宛と言う割には封が開けられていたが、特に不満は漏らさずに受け取る。
読み、そして――紙をくしゃくしゃに握り締めた。
密書にはこう書いてあった。
よぉ、黒野。
ちんけな人殺しがどのツラ下げて英雄を名乗ってやがる。
今度はおれがお前を殺してやるよ。
嫌なら勝手にすりゃあいい。
そん時はこっちから行って、またお前の妹で遊んでやる。
「はっ、あはは」
その笑い声は当然、楽しくて漏れたわけではない。
「……過去生の関係者か?」
というモッゾの声に、幸助は答えない。
あぁ、まったく。
この可能性をまったく考えなかったわけじゃない。
トワと幸助の現れた神殿が違ったのだから、同じ国・同じ場所で死んだ人間が同じ神殿に転生するとは限らないではないか。
だから、そう。
幸助に殺された不幸なクズが転生し、この世界で力をつけることもまた、おかしくはない。
幸助だって人殺しだ。転生基準に生前の行いは含まれないのかもしれない。
けれど、いくらなんでもこれは性格が悪いのではないかと、神に文句を付けたくなった。
付けたところで、何も変わりはしないのだけれど。
問題は、奴がトワの存在に気付いているらしいところだ。
逢わせるわけにはいかない。
自分の失態で妹が害される事態だけは避けなければならない。
「奴は、二日以内に貴殿が現れなければ警備隊の者を処刑する、と」
「……でも、ここで俺を行かせるのは得策じゃない」
それが分かっているから、アークスバオナの側もこんな私怨丸出しの行動を許可したのだろう。
幸助を国境まで誘き寄せることが出来たなら、それは王都守護の戦力低下に繋がる。
そして幸助が行かなかった場合、『ダルトラの英雄は救えた筈の兵を見捨てた』という事実が生まれる。
「…………ルキウスを呼び戻してくれ。あいつなら二日でどうにか戻って来れるだろ」
「まさか貴殿、敵の誘いに乗るつもりではあるまいな」
「大丈夫。すぐに戻ってこれるよう、手を考えるよ」
幸助がにこやかに微笑みかけると、モッゾは言葉を失い、一歩後退した。
……そんなに下手だったかなと、幸助は自分の顔に手を当ててみる。
それとも、この状況で晴れやかに笑える異常性にでも怯えたのだろうか。
確かに、幸助も今の自分が抱いている感情を正確に表す言葉は用意出来なかった。
だが、嬉しいという感情は紛れもなく、微かにではあるにせよ含まれている。
だってそうだろう。
妹を殺した犯人を、二度殺せる機会なんて。
そう与えられるものじゃない。




