110◇編纂語りて、黒を明かす
神話英雄の話である。以前幸助は『黒』属性に関する情報収集を行った。その際に、神話に描かれる『黒の英雄』と『暗の英雄』は同一視されることがままあると聞いた。
幸助がよくやるように、悪神を食らった『黒の英雄』がその力を『黒』に混ぜて戦うようになったことで『暗の英雄』と呼ばれるようになったのではないかという説だ。性格の不一致については、おそらく精神汚染の進行によるものだろう。
だが今、アークスバオナに『暗の英雄』を名乗る者がいる。
もし歴史家の言った説が事実であるというのなら、アークスバオナの『黒の英雄』は、どこかで悪神の一部を食らったということになる。
そのあたりを、情報国家所属の人間に聞いてみたかったのだ。
プラナはふむ、と一度頷き、考えをまとめるように数秒おいてから、話し出す。
「まず考えられるのは、『暗の英雄』を僭称している可能性」
それは真っ先に思い浮かぶものだ。
要するに、こちらを混乱させる為の嘘ということである。
実際、それが本当であることを前提にものを考えねばならなくなったわけだから、効果はあったといえる。
「次に、事実であったとして。一、『暗』と『黒』は別種の属性である。二、悪神の一部を喰らい『暗』へと至った。この二つが考えられる」
「一応、伝承では悪神は悪領のどこかに、神は神域のどこかに、いるってことになってるよな。それを見つけたってことか?」
「それが、一。二、神話時代に切り離された『悪神の肉体』が何処かに眠っており、それを発見し『併呑』した」
神話の『黒の英雄』が一部を喰らったというのが事実なら、例えば他にも傷を負わせていて、その一部を保存・あるいは封印したというのは、なるほど考えられなくはない。
一部ではあっても神だ。そう簡単に消滅はさせられなかったとも考えられる。
それを発見したのであれば、『黒』の遣い手が『併呑』するのはそう難しくない……か。
「三、何らかの方法で『暗の英雄』を発見し、それを『併呑』した」
「――――な」
考えもしなかった発想に、幸助は目を見張る。
だが確かに、まったく有り得ない話でもないように思えた。
神話時代の英雄において、例えば『燿の英雄』や『紅の英雄』はダルトラに子孫がいることからも分かるように、何処でどう果てたかが記録に残っている。
だが『黒』と『暗』は違う。特に精神汚染のことを考えれば、それこそ人類の脅威とみなされ殺害や封印の対象になっていてもおかしくはない。
それこそが、記述無き理由だとすれば、納得も行く。
記録者に不都合なことが、後世に伝えられないのは当たり前だ。
「だが、いずれにせよ実物を確認する他に、事実を検める方法は無い」
それもまた、その通りであった。
少なくとも、可能性としては有り得ない話ではないということ。
「そう……だな。ありがとう、助かったよ」
どうにか微笑んでそう言うが、彼女は納得していないようだった。
「清算には足りない……ので、幾つか情報を与える」
そう言って、彼女は続ける。
「魔法【黒迯夜】及び特定スキル発動における精神汚染値の上昇だが、これは理性による感情の制御機能を著しく低下させ、記憶野との接続状況を劣悪なものとする。別人になるのではなく、理性と記憶が遠くなることで正常な判断を行えなくなる」
「……あぁ、だから正常に戻った時、その間の記憶が無くなってたりするのか」
「逆に言えば、理性が消失するわけでも、記憶との接続が断たれるわけでもない。よって、与えられる刺激次第では衰えたそれらが活性化し、精神汚染値を下げることに繋がる」
幸助にとっては、その刺激とやらが幸福、ということだろう。
「だが、それにも限度がある。生物が誕生と同時に死に近づくように、精神汚染もまた開始と同時に宿主を破滅へと導く。望むのが英雄としての死ではないのなら、御することも出来ぬ力に溺れることなきよう、努めるべき」
それは、忠告だった。
幸助を勝利の為の駒だと考えている者には出ない、慮るような言葉。
「心配してくれてるのか。優しいんだな」
幸助が笑うと、彼女は不機嫌そうに眉を寄せて、ぬいぐるみに顔を半ば沈めてしまう。
「否。わたしは貴重なサンプルが損なわれることを情報国家の者として憂いているだけであって断じて個人の感情で発言したりなどしていないのであなたは即刻先程の発言を訂正すべき」
と、早口で何かまくし立てていたが、ぬいぐるみ越しなのでよく聞き取れなかった。
幸助はしばらくそれをにまにまと眺めていたが、ふと気になったことがあり尋ねてみる。
「そういえば、神話の『黒の英雄』ってどんな奴だったんだ? 『正義を信奉する若者』ってのは聞いたことがあるんだが」
プラナはしばらく恨みがましい視線を幸助に向けていたが、やがて答えてくれた。
「それは間違ってはいないが、正確ではない。『黒の英雄』は正義を信奉していたのではなく、正義を行っていただけ。記述は文献によって多少のばらつきがあるので致し方なきことではある。彼は世界を救うことに能動的だったが、自らを善と定義したことは無かった。亜人や半魔だけでなく、魔族であっても時に仲間とした。逆に、人であっても悪しき者であれば罰し、時に殺めた。宗教国家ゲドゥンドラでは神話英雄を聖者と呼称するが、『黒き聖者』はその行いから『魂の裁定者』として崇められている」
外貌や種族ではなく、その者の行いによって善悪を判断する。
その公正さは、確かに支持を集めそうではあった。
同じくらい、疎む者もいただろうが。
「エルマー・エルド=アマリリス。黒髪黒瞳の青年で、ゴーストシミターと呼ばれる曲刀を振るう彼に斬れぬものはなかったと。魔法はあまり使いたがらず、それでいて他者の危機とあれば迷わず発動したと言われている」
「……エルマー?」
その名前に幸助は咄嗟に呟き、目許を歪める。
「彼の名前がなにか?」
こてん、と首を傾げる無表情のプラナは可愛らしかったが、幸助の表情は緩まなかった。
「いや……たまたま知ってる本の主人公と名前が同じだっただけだよ」
児童文学で、かつてトワと一緒に愛読していたもの。
とはいえ、そう珍しい名前でもない。
改めて考えると、何故気になったのかさえわからなくなる程、些細な問題だった。
「そいつは……どんな不幸でアークレアに飛ばされたんだろうな」
それは独白だったが、プラナは質問と受け取ったようだ。
「それは明らかになっていない……が、彼は『被害者を救えないこと』に酷く心を傷めたという。それと関係があるかは不明だが、探し人がいたとの記述も認められている」
「世界を救った英雄が、人探しもしてた、か。見つけられたのかな」
「それもまた、明らかになっていない」
世界を救ったのだから、せめて逢いたい人物くらい、逢えているといいのだが。
幸助がそんなことを考えていると、くいくいと袖を引かれる。
「……ところで、わたしは次にチョコレートファウンテンの調査を行いたいと考えているのだが、引き続き助力を願えるだろうか」
どこか恥ずかしそうに、プラナはそう言った。
近くを見れば、確かにチョコレートファウンテンも用意されている。
最近アークレアに入ってきた料理だというので、両方用意されているのかもしれない。
先程満足したと言っていたような気がするが、女の子らしく甘いものは別腹なのかもしれない。
「喜んで」
幸助は意識して優しげな笑みを浮かべ、そう答えた。
 




