108◇天恵擦り寄り、紅憤る
エルフは確か、どこかの神話を起源に持つ種族であったように思う。
だが幸助にとってすれば、フィクションで定番の存在だった。
ファンタジー作品であれば登場しないことの方が珍しいと言える程メジャーである。
少なくとも、幸助がフィクション作品に熱中していた時はそうであった筈だ。
そして、当時それを横で眺めていた双子の妹もまた、エルフの存在を知っているのだった。
幼い頃の彼女は、いつまでも美しく、また弓なり剣なり魔法なり卓越した技能を持つエルフという存在を大層気に入っていた。
幸助もエルフは好きだった。
……幼い少年には少々刺激の強い格好とかが特に。
アークレアに転生する来訪者は、あらゆる異界から集められた者達だ。
故に、亜人や半神の実在する世界からそれらが転生してくる可能性も十二分に考えられる。
今までたまたま、目にしたことが無かったというだけで。
ダルトラの王都ギルティアスの神殿へ転生するのは日本人が多いということからも、地域や神殿ごとに接続世界がある程度決まっているという考えでいいだろう。
「きゃあっ」
なんて幼子みたいな歓声を上げて、トワがアリエルへ駆け寄る。
「あ、あ、あのっ。耳を、耳を触ってもいい? ですか?」
両手をわきわきと動かしながら、興奮し切った様子のトワを前に、アリエルが一歩後退する。
幸助はゆっくりと近づき、トワの頭にチョップを叩き落とした。
「痛っ。なにすんのコウちゃん! 邪魔しないでよ、だってエルフさんだよ、エルフさんだよ!?」
愛読する物語の登場人物に直接逢うようなものだ、高まるのも充分に理解出来た。
だが相手は血の通った人間であるのだから、困らせてはいけない。
「ったく。アリエルが困惑してるだろうが。悪いな、こいつエルフに逢うの初めてで」
「……ですが、ご存知なのですね」
「あー、うん。俺達、出身世界が同じなんだけど、その世界では空想の種族として物語によく登場したんだ。すごく人気だったよ」
その説明に納得したのかしなかったのか、アリエルは僅かに眉を寄せた。
後ろで『魔弾の英雄』ストックが「同郷……なるほど道理で仲がいいわけだ」と都合よく解釈してくれているが、幸助の意識はそちらに向かなかった。
「そ、それでだな……耳触ってもいいか」
「ちょっ!? 抜け駆けなんてずるいよコウちゃん! トワが言った時は叱ったくせに!」
「うるせぇ、先に生まれた順だこういうのは」
「誤差の範囲しか違わないじゃんか! っていうか来訪者は転生者なんで! 先に転生したのトワなんで!」
「笑えない来訪者ジョークはやめろ」
「あの、あの、御二方とも」
困惑をふんだんに滲ませたアリエルの声に、二人は醜い言い争いを中止して彼女に向き直る。
「ナノランスロット殿、シンセンテンスドアーサー殿。御両名に問います」
こほんっ、と見た目に似合わぬ可愛らしい咳払いをしてから、アリエルは口を開く。
「御二方とも……亜人差別はお持ちでないと考えて、よろしいのですか?」
それに対し。
幸助は「あぁ、無いよ」と答え、トワは難しそうな顔をした。
幸助の耳へ顔を寄せ――身長差の問題でつま先立ちしていた――囁く。
「あじんさべつ、ってなに?」
「あー、ゲームでもたまにいたろ? 犬耳生えてる獣人は家畜同然だ~とかほざくキャラが」
思い出したのか、トワは「うえ」と嫌そうな表情をしながら「たまにいたね、大体むかつく敵キャラ」と言った。
それからアリエルに「無いです。差別。エルフさん綺麗です! 耳触らせてください!」と続けた。
アリエル本人も、また彼女の後ろに控えるサラも驚いたようだった。
「え、えぇ……よく分かりませんが、それくらいなら、どうぞ」
幸助は「あ、俺も」と挙手したが「未婚の男女が異性の耳に触れるものではありませんよ」と窘めるように言われてしまう。
「そ、そういうものか」
「そういうものです。ご存じない?」
「……少なくとも、俺は聞いたことない文化だ」
「では、これを機に覚えておいてくださればと」
「そうするよ……」
がっくりと項垂れる。
確かに外見的特徴が幸助の知るエルフだとしても、文化まで同一ということはないだろう。
そもそも幸助の知るエルフだってほとんど二次創作的存在なのだし。
そんな幸助に、トワはこれみよがしに耳に触れて、ドヤ顔を向けた。
悔しがる幸助だったが、それもすぐにやむ。
ふと、彼の服の袖を引く者がいたからだ。
「おにいさん、亜人差別、ないんですか」
そう言ったのは、『天恵の修道騎士』イヴだった。
桃色の髪と瞳。やや小柄だが、中学生くらいの年頃に見える。
「ん、あぁ。さっきも言ったけど、無いよ」
「おにいさんのいた世界の人は、みんなそうなんですか」
声は可愛らしいが、抑揚が無い。声量も小さく、染み込んだ諦念が発声を阻んでいるような……そんな違和感を感じる。
「どうかな……実在はしなかったから、断言は出来ないよ」
「イヴのいた世界では、亜人、差別の対象でした」
どうやら彼女の過去生にも亜人は存在したらしい。
「そう、か……。そうだな、そういうことも、充分考えられる」
近親憎悪というのは、人間の性質だ。
人間は実際の違いがそう大きくなくとも(肌の色、ものの考え、亜人の場合は身体的特徴)、その差を想像の中で無限に、かつ悪意的に増幅させられる生き物だ。
これは幸助だって例外ではない。
中学時代。例えば自分より成績の良い者を、自分より容姿の優れた者を、自分より運動の得意な者を、素直に賞賛出来る程人間が出来ていなかった。
為人をよく知る友人ならまだしも、よく知らない他クラスの生徒の場合は『あんなに優秀なんだ、自分より出来ない奴のことを見下しているに違いない』と思ったことがある。
それは一種の自己防衛だ。
他者によって自身の価値が揺らいだ時、その他者の欠点や短所を、例え妄想でも見つけ出すことが出来たなら、僅かばかりであっても心が落ち着くから。
武器の扱いに長け、長寿で美しく、魔法が使えるエルフ。
でも耳が長くて気持ち悪いし、頭がいいことを鼻にかけて人間を見下している嫌なやつらだ。
という風に。
微差のナルシズムと言ったか、残念ながら人が人である以上、そういった昏い感情からは逃げられない。
逃げられないからと言って、その自己防衛が害意として牙を剥くなら許されるべきではないだろう。
幸助はそっと呼気を吐いて、それから意識して微笑みを浮かべて見せた。
「うん。そいつらと俺にきっと、大した違いは無いよ。けど、少なくとも今は、何かされたわけでもないのに嫌ったりはしない、かな。よくわからないけど、人間に出来ないこととか出来るんだろう? すごいじゃないか、って思うけど」
幸助の言葉を噛みしめるように目を瞑ったイヴは、やがて何かを覚悟するようにこくりと頷き、そっと帽子をとった。
彼女の頭部で、二つの三角形がぴょこんと揺れていた。
獣耳である。
そう、彼女自身、亜人だったのだ。
亜人が差別される世界からの来訪者で、当人も亜人となればその不幸など考える余地もない。
「……犬、とは少し違うようにも見えるが」
「きつね、です」
そう言って、彼女は頭を差し出すように近づけてくる。
「え? あ、もしかして、触ってもいいってことか?」
またしても彼女が頷き、それに伴って耳が揺れる。
桃色と狐というのはどうにも上手く結びつかなかったが、目の前にあるのは当人も申告しているし、言われてみれば狐の耳に見えた。
そっと、手を伸ばす。
「んっ」
と、彼女が思わず漏れたとばかりに嬌声めいた声を上げるが、止められなかった。
想像以上に、もっふもふだったからだ。
「うぉお……」
得も言われぬ感動に、もふもふと繰り返し触ってしまう。
しばらく堪能し、正気に戻った幸助が「すまない」と手を離した頃には、イヴの顔は紅潮し切っていた。
「……あの、おにいさんは、きつね…………の亜人は…………好き、ですか?」
途中不自然に声が途切れたが、『きつね、好きですか?』と大事な部分は聞こえたので、幸助は頷く。
「あぁ、好きだよ。かわいいしな」
「……かわいい」
「そういえば、イヴには人間の耳もあるんだな」
幸助が話を振ると、彼女はゆっくりと顎を引いて頷いた。
「はい。きつねの耳は生命の声を、人の耳は人族の声を、それぞれ捉えます」
「へぇ、じゃあ動物とも喋れるってことか?」
「虫や、植物とも」
「すごいじゃないか!」
単純に可聴域の問題ではなさそうだ。
幸助が手放しに賞賛すると、彼女は照れるように俯き、指と指をもじもじ絡ませる。
「あの、おにいさん、良い人なので。イブ、おにいさんが、まとめ役で、いいと思います」
それは、英雄連合を束ねる者として認めるということか。
「ありがとう……いや、でも、いいのか?」
自分はただ、自分の考えを述べ、耳をもふもふしただけだ。
こくこくと、イヴは何度も頷く。
「ゲドゥンドラは、亜人の転生者、多くて。あの、でもアークレア神教は、『人の本質は容貌に依らない』と言って、差別を禁止しているんです。けど、やっぱりまったく同じようには、接してくれない人が多くて。だから、差別のないおにいさんなら、みんな、ついていくと思います」
なるほど、『亜人を差別せず、大陸を平和に導く英雄』か。
幸助の個人的な考えは、ゲドゥンドラの士気を高めることに利用も出来る。
それを幸助自身が望んだわけではないが、低いよりは高い方が良いだろう。
「そうか……ありがとう」
「あの、もう一回、撫でられますか?」
ぐいっと頭が近づく。
幸助は先程より自制しながらも何度か撫で、それからアリエルへと向き直った。
相変わらず彼女の耳に触っているかと思ったが、トワは何故か不満気に頬を膨らませ幸助を睨んでいる。
何故かも何も、イヴと仲良さそうにしているのが気に食わないのだろう。
どうしようもないので、幸助はその点には触れないことにした。
「待たせたかな。トワの方も済んだみたいだし、そろそろやろうか」
「いえ、その必要はありません」
おや、と首を傾げる幸助に、彼女は言った。
「貴方の魂が真贋、その見極めは先程済みました」
いつの間に? というのが本音だったが、ひとまず幸助は尋ねてみる。
「……えぇと、そうか。それで、結果は?」
「わたしく、聖アークレア騎士団副団長・アリエルは、貴方を指導者の資格在りと判じます」
幸助はしばし考えて、それから思い至った。
「もしかして、亜人差別が無いって言ったからか? ……嘘かもしれないのに?」
「自分を良く見せたいのであれば、差別する者と自身を同列に並べはしないでしょう」
「……あぁ、そこも聞いてたわけね」
「自身の穢れを否定せず、人の痛みに寄り添うことも出来る貴方であれば、問題はないと判断したまでです」
「それも含めて、演技かも」
「そうですか。ならば、この場でそのようなこと仰られるのは妙ですね」
騙そうとしている人間が、自分から疑えと言うのはおかしい、ということだろう。
「あんまり簡単に信じられると、逆に不安になるものだよ」
「簡単ではありませんよ」
即座に言い返したアリエルの眼差しは、真剣な光に満ちていて。
「亜人の存在を好意的に捉えることは、簡単なことではありません。世界規模でみれば、尚更」
幸助が考えているよりもずっと、デリケートな問題らしい。
彼女の後ろに控えていたサラが「アリエル様がお認めになられるというのであれば、否もありません」と素っ気なく呟いた。
近くでアルも「はいはーい、俺ちゃんもいいと思いまーす」とひらひら手を振ったりなどしている。
「イヴも、もちろん、良いと思います」
耳を撫でたわけでもないのに、彼女は頬を染めていた。
「ですが……それでも貴方が自らを疑えと仰られるのであれば、いいでしょう」
彼女は腕を右手を左の剣の柄へ伸ばし、晴れやかに笑う。
「わたくしの全力を尽くし、お相手仕りましょう」
そんな彼女の申し出に、幸助は微笑んで。
「あぁ、頼む」
そう返した。
その後、アリエルやキースだけでなく、他の英雄達の力も『黒』によって得ることが出来た。
自軍の戦力を正確に把握しておくは必須であったし、その戦力を簡易な方法で増強出来るとあって皆協力を惜しまなかった。
というより、ここまでのことを踏まえ、協力に応じてくれたというべきだろう。
戦争が避けられぬ以上、それは最善の行為だった筈だ。
だが、最善の策が最善の結果を引き寄せるとは、限らない。




