106◇統御が揺らぎ、黒は鎮め
ダルトラに対する周辺国家からの評価は、以前まで高かった。
不信感を植え付けることとなったきっかけは、言うまでもなく戦争だろう。
英雄を祖に持つ『貴族』という存在は、その高いステータスによって国家に多大なる貢献を示した。
平時であればそれは、優秀な人材として機能する。
しかし戦時下ともなると、そうはいかない。
元々が戦争で神と人類に味方し戦果を上げた存在だ、真価を発揮するのは争いごとであると言える。
世代を重ねその血が希釈されているとはいえ、その狂気は縷縷として継承されているのだ。
自らが英雄であることに拘泥する彼らに、戦争という活躍の場を与えれば躍起になるのは自明の理。
問題は、これがアークレア大陸にとってあまりに久方振りの戦争であること。
小競り合いや紛争を除き、あくまで戦争に限定すれば実に神話時代以来の出来事だ。
軍隊はあるとはいえ、訓練は積んでいるとはいえ、ダルトラは戦争経験に乏しい。
そんな条件下で、それでも貴族達が『自分達の活躍』を求めれば暴走するのは目に見えている。
そしてそれを、王室は止めることが出来なかった。
負けられないから『暁の英雄』ライクの暴走を黙認する他無く。
露見するわけにはいかないから『霹靂の英雄』暗殺事件の真相を隠匿し。
その人身御供として『紅の英雄』トワを差し出すことをよしとした。
その全てが、ダルトラの平和に繋がるのだとしても――実際は多分に利己的な思惑が絡みついていたわけだが――許されることではないだろう。
ただおそらく、国政というものは『許されること』だけで行うことは出来ない。
だから問題は、それに気付き巻き込まれた時、納得出来るかどうか。
出来ないとして、どうするかということだろう。
オーレリアが理解できないのは、国家の非道な仕打ちに対し、それでもなお国家に尽くす行動を執ること。
トワはもちろん、率先して皆を率いようとする幸助の態度もまた、彼女には理解し難いのだ。
彼女の気持ちは理解出来た。
迷わずに言葉を返す。
「後悔を少なくする為だ」
これ以上なくシンプルに回答したつもりだったが、オーレリアは「……はぁ?」と首を傾げた。
煽るのではなく、完全に理解不能といった顔だ。
幸助は頬を掻きながら、捕捉するように続ける。
「自分が幸せになる為に、率先して誰かを不幸にしようとは思わない。アークスバオナが身内だけを幸福にするのだとしても、その輪に加わりたいとは思えないよ。そんなことしても気分が悪くなるだけだし、その時点で幸せとは程遠い場所にいる」
「それがアークスバオナにつかない理由? じゃあ、このクソ連合のボス猿を気取る理由は?」
クソ連合ときたか……。
彼女の気持ちを考えれば、仕方の無いことなのかもしれないが。
「この国には、良い奴が多い。少なくとも俺が出逢った人間のほとんどはそうだったよ。俺が自分のことだけ考えて逃げたら、そいつらは良くて奴隷落ち、悪ければ殺される。それは嫌だ」
「だから?」
「戦争に加担するのも、大切な人を見捨てるのも、どっちも嫌なのは変わらない。だから簡単なことなんだよ。選んだ時、より後悔の少ない方を選べばいい」
幸助の答えが不満だったのか、オーレリアは唇を尖らせた。
「……結局、人生はクソってことじゃない」
「けど、幸いにも俺達には力がある。それで、自分を幸せに出来るかもしれない」
「不幸にするかもしれないわ」
「そうならないよう選ぶんだ、全部自分で」
彼女は探るような視線で幸助を見た。
目を逸らさず、真っ向から見つめ返す。
「……アタシは、誰かの為なんてもう真っ平。自分の為だけに動くわ」
もうということは、やはりかつては違ったのだろう。
誰かの為に尽くした果てに、アークレアに飛ばされる程の不幸を経験したというのなら。
彼女のその考えを否定出来る者など、いよう筈もない。
「なら、それでいい。お前が自分の為に動くことが、誰かの為に繋がる」
「はぁ? どこをどう解釈すればそんなことに――」
彼女の言葉に被せるように、幸助は言った。
「なんでお前はアークスバオナにつかないんだ? 自分のことしか考えていないなら、それが一番賢い選択なのに」
「――――っ、そ、れは」
言葉に詰まる彼女を見て、自然と笑みが溢れた。
「きっとお前は、損得じゃなくて善悪で動いているんだ。だから大丈夫だよ。そんなお前が自分の為に動くなら、それは誰かの為になる」
オーレリアは反論するように口を開きかけたが、唇の形を変えるだけでいつまで経っても返す言葉は出てこない。
下唇を噛み、ぐにゅうと眉を寄せてから、上目遣いに幸助を睨みつける。
「……アタシはただ、戦いなんてしたくないだけ。疲れるし、服とかも、汚れるし」
「それは、アークスバオナにつかない理由にはならないだろう」
「け、契約したのっ。……この戦争が終わったら、金輪際アタシに関与しないって」
彼女の言葉に、幸助は僅かに瞼を広げ、それから苦笑した。
どうやら、彼女と自分は同じ要求を国に叩き付けていたらしい。
戦争が終わったら英雄をやめる。
幸助はダルトラ王にそう言ったし、許可も得た。
やりたいやつは続ければいい。だが自分はやめる。
オーレリアも、同じということか。
「なに笑ってんのよ。口縫い付けられたいわけ?」
どうやら自然と頬が緩んでいたようだ。
嘲笑ではないことを伝える為に「悪い」と謝ってから、幸助は続けた。
「俺も同じだよ。この戦争が終わったら、ただの来訪者に戻る」
言うと、オーレリアは信じられないという顔をした。
「…………まさか、じゃあ、アンタも?」
「あぁ。それでなんだけど、お前、自由になってから行く宛とかあるのか?」
オーレリアは怪訝そうな顔をしつつも、「無いわよ。なんでそんなことを?」と尋ね返してきた。
「もしよかったら、この都市にある生命の雫亭って酒場に来るといい。意外と繁盛してて、人手はある程助かるみたいだから」
オーレリアは数秒、真意を探るように幸助を見ていたが、やがて裏がないと判断したのか表情を歪めた。
「アタシに、給仕女をやれっていうの? このオーレリアさまに?」
「あぁ、嫌ならいいよ。疲れるし、服だって汚れる仕事だから。ただ……」
「ただ?」
「戦わなくていい」
その言葉に、オーレリアは目をパチクリさせて。
それから俯いたかと思うと、肩を震わせた。
泣いているわけではないようだが、両腕で腹を抱えている。
やがて顔をあげた彼女は、笑っていた。
出逢って初めて見る、漏れ出るような笑顔だ。
「少なくとも、今よりはいい労働環境だってことね」
「あぁ、出てくる料理も美味いし」
自慢するように幸助が言うと、オーレリアは「変なやつ……」と言いながらも笑みを消さない。
「ナノランスロット。アタシは誰も信じないわ」
「あぁ」
「正義に酔った馬鹿の下について、死ぬなんて御免被るもの」
「あぁ」
「でも、アンタが違うっていうなら。アタシと同じで、自由を求める人間だっていうなら。……しばらくはアンタの指揮下に入ってもいい。勝負にも、負けたし」
「助かるよ」
「ただ、勘違いしないでよね」
オーレリアは何故か、頬を赤らめ、スカートの裾を握りしめながら言う。
「アンタのことを、全面的に信用したわけじゃないからっ!」
それっきり顔を背け、皆の方に向かってズンズン歩いて行く。
幸助は首の裏を撫でながら、口の端を苦笑の形に歪める。
言われなくても、わかっている。
信用と言えば聞こえは良いが、大抵の場合、それは疑うことの放棄だ。
真に人を信じたいならば、何度も何度も疑うべきなのだ。
安易に信じて裏切られるのは、自分の責任。
相手が悪いが、自分の過失。
此処にいる誰かが裏切ることも、充分に考えられる。
だから幸助は知らねばならない。
皆の考えを、中身を。
仲間として、信用出来るように。
……ただまぁ。
オーレリアの場合は、照れ隠しの発言だろう。
さすがに幸助も、それくらいは分かるのだった。
 




