105◇統御が焦心、黒を前に
オーレリアの糸は一本の例外もなく全て『黒』き装甲を貫き、体内へと達していた。
あとは指から注ぐ魔力次第で、幸助を引き裂くことも可能。
故に彼女から見て、それは勝利以外の何でもなく。
少年から放たれた「逆だろ」という言葉に顔を顰めるのも、無理からぬことだった。
「ばっかじゃない? どう見ても、アタシの完全勝利以外に有り得ないでしょうが」
「なら、もう少し視野を広く持つといい」
幸助の言葉を受けてなお、彼女は自身の勝利を疑っていないようだった。
仕方なく、幸助はそれを目に見える形で示すことにする。
そして、それは効果覿面だった。
「な――」
彼女の足元。というより、演習場の地面と言った方が正確だ。
そこには漆黒の絨毯が敷かれていた。
無論、『黒』である。
やろうと思えば、彼女の剣を受けた時点で【黒葬】を放つことが出来た。
それならばまだ、彼女も回避出来ただろう。
しかし、完全に停止してしまった今。
『黒』が広がりきった今。
それはもう叶わない。
演習場を満たすように『黒』が敷き詰められた、今となっては。
「『囲繞』と『光』による隠匿……っ」
悔しそうに下唇を噛みながら、彼女はキッと幸助を睨め付ける。
躱すことに精一杯とでも映ったのだろうが、幸助は反撃の用意をしていた。
『黒』の強みは戦闘が長引くごとに相手の力を我が物と出来る点だ。
幸助は彼女の『糸』を何度も『併呑』することでそれを構成する魔法全ての適性を得ていた。
自分の得意分野で裏をかかれたのだ、その時ばかりは彼女の怒りも尤もと言えた。
しかし彼女は冷静さを失わない。
「えぇ……いいわ、認めてやるわよ。完全勝利ってのも撤回する。でも、『逆』って言える程じゃないわ。精々相打ち。それってアタシとアンタが同等ってことよね? アンタの下につくには、些か物足りない結果だと思うけれど?」
それに対し、幸助は悪戯っぽく微笑み、足を動かす。
「待っ、今動いたら身体裂けるわよ……っ!?」
幸助を嫌悪していた割には、発せられた声には焦りが滲んでいる。
どれだけ性悪を気取ったところで、嫌いな相手の死を望むことも出来ぬらしい。
だが彼女の心配は杞憂に終わる。
幸助の身体が裂けることは無かった。
彼女は呆けたように自分の指を見遣る。
「言ったろ、逆だって」
彼女の勝ちではなく。
当然引き分けなどでもなく。
自分の勝ちなのだと。
幸助はそう言ったつもりで、事実そうなのであった。
「甲冑の『黒』でどうにか出来るものじゃないのに……。じゃあどうして? 今さっきまでは確かに手応えがあった…………ッ!? アンタまさか」
首を跳ね上げるようにしてこちらへ顔を向けたオーレリアの目は、自身の推論と幸助の正気を疑うように見開かれていた。
「アンタ……最初から体内に魔法を仕込んでいたっていうの!?」
幸助は微笑む。彼女が言うところの『ヘラヘラ』とした、軽薄ともとれる笑みを浮かべる。
「あぁ。お前が近づいてきたあたりから、『黒』と『白』をな」
『黒』に容積あたりの『併呑』量という形で介入限界が定められているという事実は変えられない。
甲冑の装甲では『糸』を『併呑』するには心許ないが、甲冑を分厚くして機動力を下げるのは避けたかった。
であれば、体内を『黒』で満たせばいい。
もしそれでも不足していた場合、接触面に『白』を機能させるよう魔法式を組んであった。
今の今まで貫通した糸に対し『併呑』を機能させていなかった為に、彼女も気付けなかったのだろう。
「…………その魔法、いつ考えたのよ」
「? お前が近づいてきた時だよ」
はっ、とオーレリアは乾いた笑い声を上げた。
信じられないというよりは、不条理を前に諦観するような。
「一歩間違えれば、自分で自分の内臓喰ってたわよ」
「でも間違えなかった。それに、俺は再生持ちだ」
魔法式のミスで内臓を欠損し、それをスキルで再生する様を思い浮かべたのか、オーレリアは「うえ」と舌を出した。
「正気じゃないわ」
「悲しいことに、たまに言われる」
特に、復讐に邁進していた過去生ではかなりの頻度で言われたものだ。
オーレリアは手に持っていた剣を消し、舌打ちした。
「ねぇ、訊きたいんだけど」
「いいけど、ほら、負けたんだから態度を改めろ」
からかうような口調で言うと、オーレリアはあからさまに不機嫌そうな顔になった。
拗ねているように見えなくもない。
「お訊きしたいことがあるのですけれど、よろしいかしら!?」
「言葉じゃなくて態度だ態度……全然直ってねぇじゃねぇか。まぁ、いいや。他の奴と問題起こさなきゃ」
そもそも周囲との関係悪化を危惧してのものであるし、幸助に対してはどう接してもらっても構わないというのが本音だった。
「お優しいのね! ……偽善者。さすが『黒の英雄』さまだわ! ……いいかっこしい」
白々しい賞賛の合間に小声で悪口が混入していて、幸助は思わず苦笑する。
「それで、訊きたいことって?」
一々反応すると話が進まないだろうことは目に見えていたので、敢えて無視。
彼女もわざわざ改めて悪罵を並べ立てることはしなかった。
彼女の方から言い出したことの割に、とうの質問が放たれるまでには長い間があった。
それは抵抗というより、勇気を振り絞るような沈黙で、自然と幸助の姿勢も改まる。
やがて、彼女は今までの勝ち気な態度が嘘であったかのように沈んだ声で、言う。
「自分なりの正義を持って、自分の思う正しいことをしても、自分の望む正しい結果が得られるとは……限らないわ」
「……あぁ」
重々しく、頷く。
今にも崩れてしまいそうな程に弱々しい表情をしたオーレリアは新鮮で、けれどからかおうなんて思えなかった。
「この戦争を終わらせても、待ってるのはハッピーエンドじゃないかも。ただでさえダルトラは『暁の英雄』の蛮行を黙認し、『霹靂の英雄』を暗殺し、『紅の英雄』の謀殺を図った。『国家の繁栄』という大義の許に、あらゆる手段を正当化するのはどこも同じだけど、ここ最近のダルトラのやり方はあまりに過激だわ」
否定のしようが無かった。
全て事実だ。
「この国は……いえ、今のアークレアは、戦争で英雄を消費してる。アタシ達は、コストパフォーマンスの良い、消耗品。だってそうでしょう。国はアタシ達をダルトラに貸し出した。例外もいるけど、大体は充分過ぎる見返りと引き換えに。アタシ達の命を、取引材料にした」
それもまた、一面の真実だ。
オーレリアはこちらを見据え、抱えた苛立ちを精一杯冷静に言語化するように、言葉を紡ぐ。
「どうしてアンタは、こんな状況でヘラヘラ出来るの? どうしてこんな国を勝利に導いてやろうなんて思うの? ……一体どうすれば、そんな風に考えられるの?」




