102◇統御が逃避、黒は逃さず
『魔弾の英雄』ストックとの模擬戦は幸助の勝利となった。
ただそれは互いに向き合って『一斉の』で開始する試合形式だからこその結果であって、ストックが幸助に劣っているということではない。
近距離戦ならば再度戦っても勝てると幸助は考えているが、そんなものが何の自慢になろうか。
スポーツではなく戦争なのだから、対等な条件下で戦えることの方が稀だろうに。
その点を考慮した場合、ストックの有用性は跳ね上がる。
彼はおそらく、アークレア唯一のスナイパーなのだ。
数キロ先から目標過たず敵を貫く。
その脅威は説明するまでもない。
しかも攻撃手段が『光』だ。まず初見で正しく防ぐことは出来ないだろう。
そして初撃の時点で命を摘み取るそれは、まさしく最強の兵器と成り得る。
運用次第では戦況を覆すことだって可能だろう。
幸助は来るアークスバオナ英雄襲撃への迎撃作戦に彼を上手く組み込めないかと思案する。
皆のところへ戻りながらストックと幾つか言葉を交わしていると、何やら口論が聞こえてきた。
「ふふんっ、だから言ったじゃん。うちのコウちゃんは負けないって」
「はぁ? っていうか気安く喋りかけないでくんない? 貧乳が感染ったら困るから」
「な、なにおう! 自分がちょっと胸に脂肪蓄えてるからって偉そうに!」
「ならアンタはなんで胸の脂肪分ゼロのくせに偉そうなの? 二の腕とか太ももの脂肪分から傲慢を維持しているの? 大変そうね」
「うぐぐぐ……! コウちゃんと戦う前にトワと決闘しろ! 倒してやるんだから!」
「ばっかじゃない? 乳無し偽英雄と戦うなんて時間と燃焼される脂肪の無駄でしょ」
『紅の英雄』トワと『統御の英雄』オーレリアだった。
トワは悔しさからか目許に涙を溜め、機嫌の悪い子猫みたいに唸っている。
オーレリアはそんなトワを見下ろし、ふんっと髪を掻き上げた。
「オーレリア殿! 今すぐシンセンテンスドアーサー殿への侮辱を撤回し給えよ!」
惚れた相手を泣かせたとあって、ストックがやや不快気にオーレリアを怒鳴りつける。
しかしオーレリアは柳眉を寄せ「黙りなさいよ負け犬眼鏡」と吐き捨てただけだった。
――中々拗らせてるなぁ。
というのが幸助の感想だ。
彼女に悪感情を抱けないのは、その態度の理由に察しがつくから。
とはいえ――。
「……お取り込み中悪ぃがな、そろそろ『黒』の旦那とおっ始めていいかい?」
首を鳴らしながら『干戈の英雄』キースが観覧席から飛び降りようとした時だった。
彼よりも先にオーレリアが演習場に着地する。
「代わりなさい髭。アタシが先よ」
『神速の英雄』フィオが付けるアダ名は独特ではあるが愛称であると分かるのに対し、オーレリアのそれは微塵も敬愛を感じなかった。
今までのラインナップは『クズ』『貧乳』『眼鏡』『髭』と錚々たるメンツである。
幸助がクズかはさておくとして、他は端的に特徴を呼称としていてシンプルだ。
シンプルだが、呼ばれた方の気分は良くないだろう。
「おいおい『統御』の嬢ちゃん。『順番』って言葉を知ってるか?」
「知らないし興味も無いから辞書は引かなくていいわよ。っていうか一口目には興味ないのに二口目にはこだわるわけ? ちょっと意味分からないんだけど、まぁでも興味無いから説明しなくていいわ。黙って観戦してなさい髭」
そろそろ口を挟もうかと思ったタイミングで、フィオが声を上げた。
「おーたむ、怒ってるのー?」
おーたむというのはオーレリアのことだろう。
心配気なフィオに対し、当のオーレリアは目許を歪ませて彼女を睨んだ。
「その天然気取った喋り方どうにかならないの? 全身刺青と相まって薄気味悪いのよ」
その発言にフィオは傷ついたような顔をし、オーレリアと同国所属『血盟の英雄』シオンが「いい加減にしとけよ馬鹿女」と注意する。
オーレリアが抗弁しようとシオンを見上げた時には、幸助は彼女の胸ぐらを掴み壁に叩き付け終えていた。
「っ――な、にすんのよクズ! 殺すわよ!?」
幸助は彼女の耳許に口を寄せ、誰にも聞こえないように配慮した声量で囁く。
「お前が過去生でどれだけ辛い目に遭ったんだとしても、それは他人にキツく当たっていい理由にはならねぇぞ」
「――――」
ひぅっ、と驚いた際に出るような呼吸音が聞こえてきた。
オーレリアはきっと、幸助で言うシロとの出逢いや、加護『トワの祈り』発見に相当する『変わるきっかけ』を得ることが出来ていないのだ。
幸助が復讐を完遂した者としての精神性でいたら陰気で冷たく態度の悪い人間であるように。
オーレリアは今もなお過去生に心を引き摺られている。
英雄規格のステータスを持つ人間が、それを得られる程の不幸から立ち直れるとは限らない。
トワが記憶を封印せねば正常を保てなかったように。
それすら出来ずに生きてきたオーレリアが、抱えきれない苦痛を他者への攻撃性へ変換してしまうのも無理の無いことではあった。
とはいえ、『可哀想だからそっとしておきましょう』とはいかない。
腫れ物を扱うようには接してやれない。
「耐えられないなら逃げていいぞ。だからどうか、前に進もうとしてる人間の邪魔をしないでくれ」
それだけ言って離れると、オーレリアは顔を赤くしていた。
異性に近づかれた羞恥からではない。
自身の中身を見透かされた者の恥と怒りだ。
「……アンタみたいに、ヘラヘラ笑ってる奴に何が分かるって言うの」
幸助だって最初は自殺を考えていた。
逃げる者に説教など出来よう筈も無い。
けれど、幸助は立ち向かう者の邪魔をしようとは思わなかった。
自分が逃げて終わり。そこで完結しようとしていた。
オーレリアは、中途半端だ。
逃げることも立ち向かうこともせず、目を逸らしながら生きている。
だから辛く、自身に対する苛立ちは消えない。
「分からないよ。言ってくれなきゃ、分かるわけない。お前が逃げてるってこと以外は、な」
「ふんっ、転生してすぐ英雄になっちゃうようなアンタには分からないわよ。チヤホヤされるのが嬉しくて過去生のことなんて忘れてるんでしょう? 誰もがアンタみたいにお気楽でいられると思わないでくれる?」
「ふぅん。不幸な人間は『自分は辛いんです苦しいんです~』って空気を振りまかなきゃいけないのか? 笑ってる奴が全員幸福だとでも思ってんなら、幸せなのはお前のスカッスカな脳みそだろ」
「不幸な人間がアンタみたいにヘラヘラ出来るか!」
オーレリアは声と感情を荒げるが、幸助は努めて冷静に言い放つ。
「知ったことか」
「運良く『黒』を手に入れたからって、調子に乗らないでくれる?」
幸助はいい加減面倒くさくなった。
首の裏を撫でながら、提案する。
「賭けをしよう」
オーレリアの「はぁ?」を無視して続ける。
「俺が勝ったら、この戦争中だけでいい、周囲への態度を改めろ」
彼女は目を吊り上げるようにして幸助を睨む。
「……アタシが勝ったら?」
「なんでもいいぞ」
「じゃあ死んで」
幸助は笑う。
「あぁ、それで構わない」
幸助の返答から『絶対に負けるわけがない』という自信を感じ取り、オーレリアは一層不快そうな顔をした。
そして何を思ったか、言う。
「……内容を変更するわ。アタシが勝ったら――アンタの『不幸』を教えなさい」
一瞬、返答が遅れてしまう。
「構わないが……知ってどうする」
「『くっだらない』って、笑ってやるのよ」
強気でいなければ、彼女はここまで生きてこれなかったのだろう。
だからそれ自体を否定する気も、カウンセラー気取りも幸助はしない。
ただ、和を乱されては困る。
だからこの賭けは手っ取り早かった。
「あぁ、いいぞ」




