91◇導き手、諦観ス
マギウスの言葉を止めなかったのは、予想がついたからだ。
それだけではなく、今後の方針を話すにあたって丁度よかったというのもあった。
迂遠な言い回しは好まないので、結論から告げる。
「連合に加盟した国家から、正規の英雄を派兵することは出来兼ねる」
顔を上げたマギウスの顔に絶望が満ちるのが分かった。
続けて説明を続けようとした幸助の言葉を遮る形で声を上げる者がいた。
「まぁ当たり前だわな。この同盟自体、ダルトラを最終防衛ラインに見立てて組まれたもんだ。ダルトラが自前の兵士を向けてる分にゃあ文句はねぇが、英雄となると話が変わってくる。一人欠くだけで大事だ。それを国の半分奪われたところから盛り返す為に派遣するとなってくると、全員でどうにか出来るかどうかってところだろう。んな話、呑めるわけねぇよなぁ」
幸助から見て正面。
技術国家メレクト所属、『干戈の英雄』キース=フルブラッド。
煤けた灰色の毛髪は逆立ち、黒い瞳は死んだ魚の目とでも言えばいいかおよそ生気といったものを感じられない。
無精髭を撫でながら話すのが癖のようで、今もやっている。
よく鍛えられている肉体は幅も広く、実際の身長よりも彼を大きく見せる。
「『黒』の旦那が言いてぇのはそういうこったろ?」
と、試すような視線を向けて来た。
「表現に難はあるが、概ねは」
無視するわけにもいかないのでそう返すと、キースはニタニタと笑った。
悪い奴ではないが、大人が持つべき正しい狡猾さを備えている。
善意だけを持って生きていくことは出来ないし、出来たとしてもあまりに苦しいものになる。
だから誰もがどこかで、屈折しなければならない。
世界はそういう風に出来ているし、適合しなければ損を被るだけだ。
国家の象徴たる英雄は正義の体現者でありながら、同時に国益の探求者でいなければならない。
故に、他国にとっての不利益すらも時に平然と口にし実行せねばならないのだ。
キースは幸助の代わりに汚れ役を買って出たというところか。
同盟の盟主、更にその代表格である幸助に他の者が悪印象を抱かないように。
それすらも、善意というよりは国益を優先した結果だろう。
「もう、キッスったら、おじいちゃんには優しくしなきゃダメなんだよ? めっ」
同じメレクト所属の英雄、フィオの発言である。
場の空気をここまで自然体に無視できる人材も珍しい。
当たり前のようにキースにも接吻の英訳みたいなアダ名が付けられていた。
キースは頭痛を堪えるように額を親指で押しながら、どうにかといった具合に口を開く。
「おいフィオ。お前さん、ちょっと黙っててくれねぇか。話がな、進まねぇからよ」
「フィオ……邪魔なの? ねぇクロたすー? フィオ……邪魔?」
と、潤んだ瞳でこちらを見てくる。
大変申し訳ないのだが、進行上の都合でフィオには少し黙っていて欲しかった。
「邪魔じゃないよ。ただ、今は大事な話をしているから。続きを話させてくれると嬉しい」
フィオは一転して表情を明るくすると、こくこくと頷いた。
「うん! ほらキッス、フィオ邪魔じゃないって!」
「あー……あぁ、そうだな。静かにしてくれんなら、文句はねぇよ」
キース、苦労が多そうな男だ。
そんなことを一瞬考えている内に、マギウスが立ち上がった。
「……英雄による援軍が見込めぬとあれば、愚生はこれにて失礼させていただく」
愚生……確か男の一人称だった筈だ。書簡に使用されるのが精々で、基本的に小生の方が日常での使用例も多く、現代での知名度も高かったように思うが。
それにしても、英雄は言いたいことを言いたい時に言わないと気が済まないのか。
その辺は幸助も似たようなものなので文句は言えないのだが。
「マギウス殿、今一度ご着席を」
マギウスは従わず、幸助に睨むような視線を向けた。
老人と思えぬ程の炯々たる眼だ。
「愚生を生かす為に、多くの同胞が命を落としたのだ。生き延びたのは、国家の守護と存続を果たす為である。この場でそれを論じぬというのであれば、愚生一人でエルソドシャラルに舞い戻るのみ」
エルソドシャラルは魔術適性を持つ者とそうでないものを明確に区別すると聞いた。
彼の言う同胞に、魔術適性を持たない者は含まれるのだろうか。
どちらにせよ、仲間を想う気持ちは幸助のそれとそう変わらず持っているようだ。
「であればこそ、貴殿は席につくべきだ。同胞が繋いだ命を、無意味に放るというのなら止めはしないが」
マギウスは怪訝そうに眉を顰めた。
「それは一体、どういう……。連合は英雄を派兵しないのでないのか」
「同じことを何度も言わせないで頂きたい。いい加減、首が疲れてきたのだが」
幸助の皮肉を受け取って、マギウスは不承不承腰を下ろした。
座ったぞとばかりに目力の強い視線が刺さる。
幸助は思わず苦笑が漏れそうになるのを堪え、真剣な表情のまま言う。
「エルソドシャラルに英雄は送らないという大前提は崩さない。だからといって、エルソドシャラルを見捨てるとも言っていない」
幸助の息継ぎの瞬間を狙ったかのように、マギウスが口を挟む。
「……正規軍の増援を送るとでも? 注文をつけられる立場ではないと承知の上で言うが――」
無理に言葉を断ち、幸助は続ける。
「頼むから話は最後まで聞いてくれ。増援は通常の兵士ではなく――擬似英雄をあてる」